Inc.:Wendy Wangさんは大学1年(2008年)の夏、中国南部にある世界第2位の携帯電話工場のラインで、作業員に成りすまして働いていました。
「何よりもツラかったのは、毎日10時間以上の立ち仕事でした。工場内にはイスすらなく、ずっと立ちっぱなしでの作業だったのです」
作業員に成りすましていたのは5人で、全員が中国生まれのハーバード大学生。成りすましを知らない工場作業員らと、労働・食事・生活を共にしました。彼らは皆、ハーバード・ビジネススクールで経営学を教えるEthan Bernstein助教による実験に参加していたのです。
工場には素性を伏せて潜入
実験の目的を平たく言えば「職場の透明性における悩ましいパラドックス」を研究すること。常に監視下にある状態で、人はどれだけうまく仕事をこなせるのか。従業員の監視は、良識ある理想のもとに生まれたはずなのに、生産性を阻害してしまう可能性があります。
つまり、常に監視された状態では、工場作業員が最高のパフォーマンスを発揮することはできないのです。
「The Transparency Trap」(透明性のワナ)と名付けられたこの実験についての記事では、Wangさんをはじめとする成りすまし作業員が研究に携わっていたことが記されています。研究結果は、Administrative Science Quarterlyにも掲載されました。どちらの記事でも、監視の有無による作業者のタスクへの取り組みの違いが詳述されています。
一見なんの変哲もないような行為(例えば、組立時や部品取扱時のゴム手袋の使用)が、監視の有無で大きく変わりました。工場のルールでは、ライン作業者には手袋または指サックの両手装着が義務付けられています。しかし、成りすまし作業員が観察した結果、監視されていないときの作業者は、このルールを守っていなかったそうです。
作業者は、それぞれに独自の方法で手袋を着けていました。片手だけに着ける者、指先が出るように手袋の先端を切る者。片手を素手にするか、指先を出しておくだけで、作業がずっと速くなるからです。
この観察結果は、かなり有益な情報です。マクロに見ると、作業員は監視されている時しか手袋装着ルールに従っていないことがわかります。もっと細かく見ると、手袋の設計が良くないために、作業員が生産性目標を達成するためには、(安全性を犠牲にしてでも)ルールを破らなければならないことがわかります。つまり、管理職らは、安全性を犠牲にして、過度な生産性を求めている可能性があるということです。
最初の課題は、工場の労働者に紛れ込むこと
Wangさんをはじめとする成りすまし作業員にとっての最初の課題は、工場の労働者に紛れ込むことでした。ライン作業者にうまく成りすませば、こっそりと作業者の行動を観察できます。そして、4時間ごとに40分与えられる休憩時間を利用して、別のフロアの個室で待機するBernstein助教に、監察結果を伝達していました。
具体的には、成りすまし作業員が、気付いたことをボイスレコーダーに録音します。そして、Bernstein助教がそれを文字に起こしていました。1日の仕事が終わると、成りすまし作業員はオフィスに戻り、言い残した観察結果の録音や、チームとして1日の振り返りを行ないました。いわゆる、古典的な民族誌的観測、記録、共有の手段を取っていたのです。
Bernstein助教は、成りすまし作業員の能力に応じて配属先を決めていましたが、成りすまし作業員らは、自分の本当の目的がバレてしまうのではないかという不安にさらされていました。中国で育ち、11歳のときに渡米したJieliang Haoさんは、「少し怖かった」と言います。この任務が、彼女にとって初めての帰国だったのです。
「工場の労働者は、私がかつて見慣れていた社会的階級とは異なる人々でした。私の両親はアカデミックだったので、労働者の世界にはなじみがなくて」
Haoさんにとって、話す言葉は問題ありませんでしたが、「何かを書けと言われたら、小学生の字だとバレてしまうことがわかっていました」。
Xiao Congさんが不安だったのには、別の理由がありました。彼女の出身は、中国北部。一方で、多くの工場労働者は南部出身です。Congさんは、北部の訛りで怪しまれるのではないかと心配していました。それに、彼女の身長は約173cmと、「中国南部の男性よりも背が高かった」のです。
これらの不安や身長の高さにもかかわらず、成りすまし作業員らは、ライン作業者として紛れ込むことに成功しました。そして、10時間以上も組み立てラインで立ち仕事を続けるという、本当の労働が始まったのです。
工場での経験が教えてくれた気づき
日々のタスクは、ピンセットで小さなゴムのボタンを付けることから、ベストプラクティスについて上位者に相談することなど、それぞれに異なりました。Congさんは携帯電話の前面と背面を組み合わせる作業を担当し、Haoさんは携帯電話内部の基盤を担当しました。基盤は、4枚分が1つになった状態でコンベアを流れてきます。
「それらの基盤を1つ1つに切り分けたあと、4枚すべてを1台の携帯電話に取り付けます」とHaoさん。前面部に2枚、背面部に2枚を取り付ける作業です。
「時々、背面部の取り付けを忘れてしまうことがありました」。もちろん、わざと忘れたわけではありません。止まることのないコンベアと向き合う10時間シフトの中では、どうしても不注意やプレッシャーに襲われることがあるのです。彼女は後に、箱詰め作業も担当しました。すべての付属品を、正しく箱詰めする作業です。別の成りすまし作業員であるSteve Linさんは、天井からぶら下がった電動ドライバーを使って、データカードを挿入した携帯電話カバーをねじ止めする作業を担当していました。
Nathanael Renさんは、開発部隊にアドバイザーとして入り込み、工場の慣習について、異なる視点からの情報をBernstein助教に提供していました。彼の記憶に残っているのが、「管理職が、私が思っていたほどマクロに考えていないこと」。管理職らが、妥当な賃上げ交渉を、当初「無視」していたことを振り返ります。
「どんなに基本的な検討事項であっても、無視してフィードバックを跳ねつけるのが彼らのやり方でした」
Renさんにとって教訓となったのは、階層構造が生み出す弊害でした。言われたことをこなして、波風を立てずに1日をやり過ごそうとする考えを持っていたのは、手袋をしないことによる効率向上を管理職に伝えようとしない労働者だけではありませんでした。上位レベルの管理職ですら、妥当な変化の構想を受け入れようとしていなかったのです。
Renさんは現在、ボストン近郊で生活しています。医療テクノロジー部門に属する6人のスタートアップで、来夏にローンチを予定しているのだとか。
Haoさんは、シリコンバレーのスタートアップで機密性の高いプロジェクトに取り組んでいます。彼女は中国での経験から、自分が手を動かすのが好きなことを発見したそうです。
ハードウェアに親しみを持つ彼女ですが、大学卒業後は、2年間ウォール街で働いていました。「私は、目で見て、触れるものが好き。金融はあまりにも抽象的で、生活とかけ離れていました。だから、もっと人に近いところで、何かを変えたいと思いました。"あなたの製品を使って何ができますか"という質問に答えられるような仕事がしたかったんです」
Wangさんは、ウイーン音楽院でオペラの修士号を取りました。目下、役を求めて、歌声の録音と推薦状を多方面に送っているところ。彼女には、工場で仲良くなった少女がいます。翻訳家になることが夢だというその少女は、「工場のフロアに暗記カードをもちこみ、英語のボキャブラリーを増やそうとしていました。退屈な仕事をこなしながら、少しでも時間が空くと、単語の記憶をしていたのです」とWangさんは振り返ります。
「彼女のような意欲を見ると、オペラで成功できる確率は極めて低くても、日々の努力が違いを生むのだと思い出させてくれます。どんな状況でも、希望を持ち続けることが大切なのだと」
信念を持って日々努力を続けることが、あなたの支えになる。この教訓は、誰にでも当てはまるのではないでしょうか。たとえあなたが、中国で携帯電話を作っていても、アメリカでスタートアップを指揮していても、ヨーロッパでオペラを歌っていても。
Here's What Happened When 5 Harvard Students Worked in a Chinese Factory | Inc.
Ilan Mochari(訳:堀込泰三)
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