アメリカの心理学専門誌『Psychological Science』に掲載された研究によると、私たちが感じる満足感には、「社会的な満足感」と「非社会的な満足感」という2つの種類があるそうです。

「非社会的な満足感」の場合、それが冷えたドン・ペリニヨンのピリリとした味わいにせよ、新車のマセラティが轟かせる力強いエンジン音にせよ、すぐに慣れてしまうのが特徴です。そういった体験は通常、それが新鮮なあいだか、あるいは珍しい時に、最も大きな満足感を与えてくれるそうです(Frederick & Loewenstein, 1999; Wilson & Gilbert, 2008)。

一方、「社会的な満足感」には、それらとは違った魅力があります。人間には、他者から受け入れられ、集団に所属し、仲間意識を持ちたいという欲求があるのです(Baumeister & Leary, 1995)。こうした欲求は、たいていは、集団の中で目立つタイプの人よりも、集団に溶け込みやすいタイプの人のほうに強く現れる傾向があります。人が得る満足感には、このように、「非社会的」と「社会的」という2つの種類があるため、「まだ誰も経験していないことをやってみたい」という思いと、「皆と同じでありたい」という思いの、2つの矛盾した欲求が生まれるのです(Brewer, 1991; Fromkin, 1970, 1972)。

非日常的な体験をするとき、私たちはふつう「非社会的な満足感」を感じます。けれども、そのような体験は、実際に体験した人でなければ理解しづらい場合が多いので、他人でも理解しやすい(そして、おおかたは平凡な)体験について話す場合よりも、得られる「社会的な満足感」はかなり小さいものになってしまいます。

たとえば、崖からバンジージャンプをした時の話をすると、友人たちは黙ってしまうかもしれません。けれども、友人たちは必ずしも、あなたのことを妬んでいるとは限りません。彼らはただ単に、その話を身近なこととして感じられないと思っているだけなのです。

とはいえ、すべての非日常的な体験が、すべて理解が難しいというわけでもありません。例えば、 映画スターに偶然会うという体験は、「非社会的な満足感」だけでなく、それと同じくらいの「社会的な満足感」ももたらしてくれるでしょう。

同じように、日常的な体験であればどんなものであっても他人から理解されやすい、というわけではありません。もし友人全員がある映画を見ていて、あなただけが別の映画を見ていた場合は、映画を見たという点は同じであっても、「社会的な満足感」は得られないでしょう(たとえあなたが見た映画のほうが優れていると感じた場合でもです)。

「社会的な満足感」が大切であるのは間違いありません。ただ、個人的な成長という観点でみると、ときにはコンフォートゾーンから抜け出すことも、同じくらい重要です。人は、2つの満足感をバランスよく体験するのが大切なのでしょう。

The Unforeseen Costs of Extraordinary Experience[PDF] | via PsyBlog

Herbert Lui(原文/訳:ガリレオ)