「ナルシスト」という言葉は、単に自己中心的なだけの人を指すものではありませんが、実際には、人をけなす際によく使われます。でも、少しだけ自己中心的なのは、悪いことではなく、精神衛生上、不可欠な場合もあります。ただし、「越えてはいけない一線」があるのです。この記事では、その線引きを明確にするとともに、ともすれば自分だけに向きがちな意識を外の世界に向けていくにはどうすれば良いかを見ていきます。

「ナルシシズム(自己愛)」とは正確には何なのか

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ナルシストという言葉は、最近インターネット上でよく使われます。たいていは、自分のことで頭がいっぱいになりがちな人とか、SNSなどで傍目には「痛い」振る舞いをしている人に向かって、厳しい批判として投げつけられています。

ところがこの言葉は、本来は心理学の用語であり(そもそもは「ナルシシズム」「ナルシシスト」というのが正しい表記です)、「自分撮りやランチの写真をやたらにSNSにアップする」程度の人を指すものではありません。心理学の用語が一般の人に誤用されている例はほかにもありますが、この言葉も間違った意味で、悪口として定着してしまいました。

米Lifehackerではおなじみのメンタルヘルスの臨床医ロジャー・ジル(Roger S. Gil)氏によると、「自分が大好きで、自分の言葉に酔いしれるタイプの人」と、ナルシシスト、すなわち「自己愛性パーソナリティ障害」(Narcissistic Personality Disorder)を有する人との間には、大きな隔たりがあるそうです。

医学用語としての病的なナルシシズムは、パーソナリティの機能の欠陥を指し、その人の自己認識や、他者との関わり方、他者に対する振る舞い方などによって起こります。自己愛性パーソナリティ障害の患者に多く見られる特徴の例としては、自己のアイデンティティを確立するのに他者からの承認を必要とする他者への共感や他者と打ち解けることが難しい他者と敵対する、などがあります。

Drew Pinsky氏とMark Young氏が実施した調査によると(Pinsky氏はDr. Drewとしてメディアにも多数出演しています)、セレブの中では特にリアリティ番組の出演者に、医学的な意味でのナルシシズムの傾向を強く示す人が多かったといいます(調査の内容は『The Mirror Effect』という本にまとめられています)。というわけなので、典型的なナルシシストがどんなものか知りたければ、テレビをつければ良いのです。

要するに、医学的な意味でのナルシシストとは、「やたらに自分撮りをしてはInstagramにアップする人」を指すのではないのです。とはいえ、本物のナルシシストの中にも、この手の行動をする人はいます。結局は、その人のパーソナリティの全容を見て、その人が他者に共感できるかどうかで判断することになります。

医学的な意味でナルシシストに該当するかどうかの判断は、パーソナリティ障害を持つ人を多く診てきた専門家に任せるのが一番です。そうした専門家ならば、その人がナルシシズムをコントロールするのに必要なレベルの自意識を育む手助けもできます。ナルシシズムに伴ってメンタルヘルス上の別の問題が生じることは珍しくありませんが、それらをコントロールするための助言も行えます。あなたがそうした専門家でないのなら、自分撮りが大好きなクラスメートや、食事の写真をアップしたInstagram上の友達の悪口を言いたくなっても、口をつぐんでおくのが賢明です。

とはいえ、一般の人が、自分撮りとナルシシズムを結びつけて考えるのは、無理もないことです。今年のはじめ「自分撮りとナルシシズムの関連を専門家が認めた」とする記事がインターネット上に現れ、またたく間に広まりました。これが完全なる悪ふざけのパロディ記事だとわかったときにはあとの祭りでした。とはいえ、こうしたデマが作られ、多くの人がいまだにそれを信じているという事実から見えてくるのは、私たちの誰もが、「自分のことで頭がいっぱい」な状態にちょっとした罪悪感を覚えており、人がそうしているのを見ると(ましてその相手が言い訳もせずに開き直っていると)ひどい嫌悪を抱く、ということです。

自己中心的な人を見つけるのは簡単です。たとえば職場の同僚で、いつでも会話の中心になりたがる人がいますよね。運転中に事故にあった時、同乗者のことよりも自分の車を心配する人もいます。我が子には学用品も買ってやらないのに、自分用には最新のゲーム機を買ってしまう親というのも怪しいですね。こうした人たちは皆、自分のことで頭がいっぱいだと言えます。でも「その人が自分の行動をどうコントロールしているか」を見ないことには、その人がただの性悪なのか、医学的な意味でのナルシシストに該当するのかはわかりません。

すでに述べたように、専門家以外の人がこれを見極めるのは容易ではないのですが、ジル氏がいくつかアドバイスをくれました。

病的なレベルのナルシシズムに気づくのは容易ではありません。というのも、ナルシシストは現実をゆがんだ形で捉えており(「認知のゆがみ」と言います)、周囲の人もしばしばそれに引きずり込まれてしまうからです。本物のナルシシストを見極める上でわかりやすいのは、彼らは「認知のゆがみを指摘されるのに耐えられない」ということです。「自分は偉大である」という考えに疑義を挟まれたり、それ以外にも何であれ自分の見解に反論されたりすると、ナルシシストは何らかの形で感情を爆発させます。

本物を見分けるもう1つのサインは、その人の過去の人間関係に「破綻の痕跡」が認められるかどうかです。本物のナルシシストには、近づいてきた人の感情を傷つけた過去のある人が多いのです。ナルシシストには、誰かと本当に打ち解けた関係になれなかったり、共感力の欠如ゆえに、相手との関係を良くする行動が取れなかったりする傾向があるからです。

本物のナルシシストのサインの3つ目は、「自身の利益のために他者を利用する」という傾向です。本物のナルシシストにとって、自身にとってメリットのある結果が得られるのならば、そのための手段は何であれ正当化されます。

ウォルター・アイザックソンによるスティーブ・ジョブズの伝記に、ティナ・レドセという元恋人が登場したのを覚えているでしょうか。ジョブズはアイザックソンに対し、彼女はこれまで出会った誰よりも自分を理解してくれたと語っています。その一方でこの本には、レドセがジョブズを自己愛性パーソナリティ障害であると考えていたという一節もあります。ここでジョブズの伝記を例に出したのは、この本には彼の張りつめた人間関係や「奇矯な」振る舞い、他者への敵意がさまざまに描かれていて、おまけに彼の最大の理解者が、彼を自己愛性パーソナリティ障害であると疑っていたとも書かれているからです。

本物の自己愛性パーソナリティ障害の人は、「いつでも自分が主人公でいたい人」とは違います。自己愛性パーソナリティ障害の患者は、人間関係の構築がうまくいかず、自分が悪いとはめったに認めません。自身のものの見方と矛盾するような事実や出来事は、目の前でその正しさを突きつけられたとしても、理屈をつけて否定してしまいます。もし、医学的な意味でのナルシシズムの兆候を見つけた場合、理想的な対応は専門家に任せることです。そうしないのであれば、相手の共感力に訴えかけて、相手の振る舞いがちょっと自分勝手だと指摘すると良いかもしれません。

誰にでも、ちょっと自己中心的なところはある(それは悪くない)

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繰り返しますが、ちょっとナルシシズムの傾向を示したからといって、その人が医学的な意味でのナルシシストに当たるとは限りません。誰だって自分の物語の主人公なのですから。でも、自分以外の人もそれぞれの物語の主人公だということを理解できるか、他者とつきあう時にそれを思い出せるかは、共感力の有無をはかる踏み絵になります。もしあなたが、自分の利益を考えつつも、他者の利益も認められるなら、特に問題はありません。ほどほどのナルシシズムは、私たちの誰にとっても、悪いものではないのです。ジル氏はこう説明しています。

誰にでもナルシシズムの傾向はあります。ナルシシズムは、自分にとっての最優先課題を見つけるのに役立ちます(「私にはその価値があると思うから、昇進を目指そう」)。それに、自分の良いところを見つける上でも有益です(「私はきっと目標を達成できる、だって私は粘り強いから」)。さらに、悪い状況から抜け出す契機になることもあります(「もう別れよう、あんなことをされて我慢してはいけなかった」)。

私たちの行動や、他者のナルシシズムに対する反応からは、人間の性質について多くのことがわかります。米誌『Forbes』に、「自分撮り」文化についての優れた記事がありますが、それによれば、「自分撮り」は突き詰めると、自分の属する社会で承認され称賛されたいという願望の表れなのだそうです。

「自分撮り」という文化現象は、人類の根本的欲求を示しています。注目され、承認され、称賛されている手応えがほしいという気持ちの表れです。「自分撮り」は、必ずしも望ましい形の承認を引き出すものではありませんが(自分撮りを嫌う人が多いのは、たぶんそのせいです)、FacebookやInstagram上の友達から、ほんのいくつか「いいね!」をもらっただけでも、人間の心理の根源的な要素が発動します。それはつまり「人は承認され、感謝されたと感じると、その承認を引き出した行動を繰り返す」というもので、この性質自体は、たとえば仕事で成果をあげるのにも役立ちます。

O・C・タナー・インスティテュート米HealthStream社が10年間にわたってアメリカとカナダで10万人を対象に行った調査では、従業員が雇用主に対して求めているもののトップは承認であると確認されました。この調査によると、仕事を辞めた人の79%が、離職の主な原因として、十分な感謝がなかったことを挙げています。仕事への意欲がきわめて高いと答えた回答者の94.4%が、上司は自分をきちんと承認してくれていると回答している一方で、意欲が低い人の中で、上司が承認してくれていると回答した人は、わずか2.4%でした。

恋愛と結婚生活に関するサイト「YourTango」がメンタルヘルスの専門家を対象に行った調査からは、感謝されたいという欲求がはたらくのは職場だけではないとわかりました。パートナーとの良好な関係を維持する上でも、不可欠な役割を果たしていたのです。

この調査は、もともとは結婚生活の中で起こりやすい問題を探る目的で行われたものです。それによると、回答者の65%が「コミュニケーションの問題」を、離婚につながる要因の中で特にありがちなものとして挙げています。離婚を考えている夫婦のコミュニケーションに関する不満として、男性の側でもっとも多かったものは、「配偶者からの非難や不満」(70%)で、次点は、「配偶者が自分に十分な感謝を示さない」(60%)でした。女性の不満のトップは、「自分の気持ちや意見を尊重してくれない」(83%)でしたが、これは、気持ちや意見を「承認」してくれないと言い換えてもほぼ同じことでしょう。

私たちが自分のことで頭がいっぱいになりがちなのには、ちゃんと理由があるのです。世界に向けて公開するのに、編集や加工を施したセルフイメージを用いたがるのにも理由があります。私たちは、自分にとって関わりの深い人々から、承認され、称賛され、感謝されたいのです。そして、私たちの交際の範囲がテクノロジーのおかげでこれまでにないほど拡大したのに伴い、SNSやオンラインコミュニティといったインターネット上にまで承認欲求が広がりを見せたのは、当然のなりゆきです。今や、Facebook上の友達やInstagram上のフォロワーから承認を得ることは、隣人や同僚から承認を得るのと同じくらい重要になりました。それ自体はやはり悪いことではありません。テクノロジーがどんなに私たちを結びつけているか、私たちのつながり方が、どんなに強固かつ多様になったかを示すものでしかありません。

自分に向きがちな意識を、共感と生産的行動に向かわせるには

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というわけで、本物のナルシシストと、「ちょっとナルシシスト的な行動」をしてしまう人の違いはわかりましたね。自分のことで頭がいっぱいになりがちな性質は、私たちの誰もが持っているものです。では、これを何か有益な形に変換することはできないでしょうか? 

まず、私たちは誰しも、周囲からの承認と感謝を欲しがっているということを認めましょう。仕事でも、恋愛関係でも、オンラインでも、私たちは社会的な肯定を得たいのです。身近な人は、相手から直接求められなくても、すすんで肯定してあげるようにしましょう。

次に、自分がどういう時に承認を求めているのか理解しましょう。承認欲求は、普通だし自然なことです。特に身近な人からの承認が欲しいと思うのも、自然なことです。自己検閲の必要はありませんが、自分の行動をまずチェックする習慣をつけましょう。あなたが肯定してほしいと思っている相手は、あなたにどう対応していますか? 相手との関係は? 相手との距離は、近いですか? 遠いですか? あなたの感触では、相手はあなたを歓迎していますか? それとも、イヤイヤつきあってくれていると思いますか?

自分自身や周囲の人がちょっと自己中心的になっているような気がするのなら、そんな時こそ利他的な行動をとってみましょう。ジル氏によると、他者のために行動すれば、自分のことを頭から追い払えるのだそうです。ボランティアをしたり、困窮状態の人に援助したりすると良い気分になるのには、理由があったのです。今度「新しい靴」に散財する時は、自分の1足を選ぶだけでなくホームレスのためにも1足買ってみては、とジル氏は勧めています。あなたは良い気分になれるし、実際良いことをしているし、それでいて物語の中心に据えられるのは、(少なくともその瞬間は)あなたではなく、あなたが助けた相手なのです。そんなお大尽遊びをするお金はない、という人も、別の形で誰かの役に立てるはずです。

もちろん、上記の効能が得られるのは、本物の利他的行動をとった場合だけです。何のしがらみもない状態で、何の見返りも求めずに、他者のために何かをする、という境地でなくてはいけません。チャリティに寄付をしたり、困窮状態の人に援助したりするのは、もちろん立派なことですが、しがらみがあって仕方なくとか、「チャリティに熱心な人」という評価をお金で買いたくて、といった動機ならば、それは利他的行動とは言えません。利他的行動の仮面をかぶったナルシシズムにすぎません。

時間やお金を他者のために提供する習慣をつける、というこの方法に加えて、ジル氏はもう1つ、別の提案もしています。自己中心的な性質も、うまく使えば他者の身になって考えるのに役立つというのです。まずは聞き上手になるところから始めましょう。能動的に耳を傾ける方法を身につけるのです。

具体的には、相手の話を中断しない、反論したり否定したりしない、すぐ自分の話に持っていかない、などの点に注意します。他者の話に耳を傾け、今は相手のための時間であって、自分が主役ではないのだと肝に銘じます。それがうまくいったら、相手の身になって、どんな気分か想像してみましょう。すでに述べたように、もしあなたがちょっとだけ、自分のことで頭がいっぱいになりやすいだけの人なら、相手に共感するのは難しいことではないはず。ただ単に、人の話を聞いている時に相手に共感するのが、自然な習慣になっていないだけでしょう。

結局、医学的な意味でのナルシシストも、ちょっと自分のことで頭がいっぱいになりやすいだけの人も、共感力の問題ということになります。以前の記事でも、共感力というスキルがなぜそんなに重要なのか共感によって周囲の人との関係が強固になるのはなぜか、といった話題を取り上げています。

もちろん、他者に共感し続けるのは容易なことではありません。身近な人たちが、いつもあなたの時間に割って入ろうとし、あなたの注意を独占しようとするような環境であれば、なおさらです。そうは言っても、ちょっとした共感力の発揮は、自分自身の充実感を得るのにおおいに役立ちます。あなたの人生にとって大切な人たちから見て、あなたが「要求を口にするだけの、その他大勢」の1人になってしまわないためにも、共感を示すことは大事なのです。

Alan Henry(原文/訳:江藤千夏/ガリレオ)

Title image by Tina Mailhot-Roberge. Additional images by Emergency Brake and Alper uun.

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