スタイリッシュなアップル製品のファンは、ライフハッカー読者にも多いだろうと思います。しかし『アップル帝国の正体』(後藤直義、森川潤著、文藝春秋)に目を通してみれば、日本を実質的に「植民地化」していたといっても過言ではない同社の姿勢に驚かされることになるかもしれません。

もちろん、だからといって個人的にもアップル製品から離れる気はなく、そう思わせるところは強みでもあるわけです。けれどもその魅力を生み出すために、驚くべき遂行力が行使されていたという事実を、我々は本書によって知ることができます。第1章「アップルの『ものづくり』支配」から、いくつかを引き出してみましょう。

アップルによって"丸裸"に

アップルの取引先は、神経質なまでの秘密保持契約を結ばされる一方で、逆にアップルには"丸裸"にされてしまうのだそうです。

アッップルの支配は、取引先の工場の情報をすべて把握することから始まる。複数の分野の専門家によれば、「通常、10〜20人体制で"Audit(監査)"にやってくる」のだという。このチームは一人一人が部材や工場の生産に精通しているスペシャリストであることが多く、生半可な嘘やごまかしで煙にまくことは不可能だ。

(61ページより)

取引先には生産設備や生産能力、工場の人員に、外部調達先、生産のリードタイム(工程ごとの所要時間)などについて鋭い設問が次々と投げかけられ、ある素材メーカーの幹部は「これだけ聞かれたら、どうやってもうちの製品の原価計算ができてしまう」と戦慄を覚えたといいます。そして、その不安は的中したのだとか。

「アップルが定期的に求めてくるコスト削減のターゲット(目標)は、絶対に下がらない」。ある取引先メーカーの首脳はそのように断言する。アップルの購買担当者と価格交渉をする際には、アップルの言い値に難色を示したりすると、「原価はこれくらいだから、できるはずだ」と一刀両断されたという。

(62ページより)

"移植"される日本の匠

アップルは技術に対するこだわりも徹底しているわけですが、そこでは技術が堂々と"移植"されることすらあったのだとか。たとえば2005年に新潟県燕市の中小企業の作業場で確認されたという、彼らの姿勢を象徴するような出来事がそれを代弁しています。2001年に発売された「iPod」の裏蓋を職人がひとつひとつ手作業で磨きあげていた、知る人ぞ知る磨きのプロの仕事場。

しかしこの日は、小型のビデオカメラを片手に、朝から晩まで、じっと彼らの動作を撮影している男が立っていた。

「ちょっと作業風景を撮影させてほしい」

アップルに金属部品を収めている地場の金属加工メーカーから派遣されてきたというこの男は、職人たちに近寄ると、彼らの手元にレンズのピントを合わせていった。(中略)親方の小林は、このビデオ撮影が何を意味するのか、直感的に理解していた。

(38ページより)

つまり、iPodの仕事は手作業ではこなせないほど増えていたため、もっと安い人件費で、大量に磨けるところへ移転させようとの目論みだったということ。ビデオに録画された匠の技術は、どこかアジアの別の国に"移植"されたのです。

「iPodを磨く作業のビデオ撮影は3日間続きました。でも注文をくれる地場の親会社から頼まれたら、我々は断れませんからね」

ビデオ撮影を受け入れてからほどなくして、小林はこの仕事から手を引いた。そしてピーク時には地元の研磨業者約20社が1日で1万5000〜2万台も磨き上げていたiPodの仕事は、地元から消えてしまったのだ。

(39ページより)

特筆すべきは、これが決して特別なケースではなく、同じような立場に置かれることになった企業が数多く存在するということです。たとえば大手でいえば、「iPhone5」のタッチパネル式液晶パネルをつくっていたシャープの亀山第1工場もそれにあたります。

iPhoneは、まるで日本のものづくりの「標本」のようだ──。

アップル製品を水面下で支えている日本企業は、液晶パネルのシャープだけではない。iPhoneのフタをとって中身をのぞいて見れば、実はそこは日本製の最先端部品で埋め尽くされている。

(20ページより)

もちろんアップルが独自の方法論を強制したのは、iPhoneの製造現場だけではありません。ブランド力によって完全に制圧された家電量販店、iTunesによって不況に追い込まれた日本の音楽業界、赤字を押しつけられる携帯キャリアなど、アップルによって苦境に立たされた業界の真実が、本書では赤裸々に描写されています。

アップルファンもアンチも、ともにのめり込める緻密な取材内容。読みごたえは充分です。

(印南敦史)