『「編集手帳」の文章術』(竹内政明著、文春新書)は、読売新聞の看板コラム「編集手帳」の6代目執筆者である著者が、その経験に基づき、ときに自身の"失敗作"すら公開しながら展開する「文章術」。その文体は柔らかくて読みやすく、ウィットに富んでいます。
たとえば序文の「猫の水泳談議 ─はじめにー」では、「マグロは海中を時速160キロで泳ぐといいます」と切り出し、「私はマグロではありません。水棲生物ですらありません。ほんとうは泳げないのに、間違って文章の海に落ちてしまった猫です」とつなげます。そしてさらに、こう続けています。
文才に恵まれぬ身で誰のいたずらか、読売新聞朝刊の一面コラム「編集手帳」を書いてきました。もう11年になります。何度も溺れかけては塩辛い海水を飲みました。自慢できるとすれば、死にもせず、いまもしぶとく水に浮いていることだけです。
ユーモアを盛り込みながら同時に謙遜もし、無駄のない短文のなかに出自を記しています。これこそ名文。読んでいると、心がすーっとしてきます。ですから全文を掲載したいくらいなのですが、そうもいかないので、著者にとっての「嫌いな言葉や虫酸の走る言い回し」を紹介した第3章「『出入り禁止』」の言葉たち」からいくつかをピックアップしてみます。
ちょっと待ってほしい(84ページより)
誰かの主張を紹介したあと、それに意義を唱えるときに使われる言葉。「耳を疑う」でも、「何をおっしゃる」でも、「笑わせてくださる」でも、「いい記憶力をお持ちである」でも、言い換える方法はいくらでもあると著者はいいます。使いたくない理由は、「言い回しの"陳腐番付"をつくれば東の横綱になれるほど手垢がついているから」。ちなみに西の横綱は「ここに一枚の写真がある」だとか。
意気投合した(88ページより)
この言葉に漂う、人と人との変にベッタリした密着感が嫌いで使わないのだそうです。初対面の人同士は「すぐに打ちとける」ことや「会話が弾む」ことはあっても、それらと「意気投合する」との間には相当な隔たりがあると主張しています。人はもっとおずおずと知り合うものだから、この表現に出くわすたび、「嘘をつけ!」と言いたくなるそうです。
こだわる(88ページより)
著者はここで辞書を引用しているので、それをここに"再引用"しましょう。
[こだわる](1)つまらないことに心がとらわれて、そのことに必要以上に気をつかう。拘泥する。(2)[新しい言い方で]細かなことにまで気をつかって味覚などの価値を追究する。
──『明鏡国語辞典第2版』(大修館書店)
本来の意味は(1)だったため、本来ならば「あいつはこだわってる」というような言い回しは間違い。しかし、時代の変化とともに肯定的な意味が生まれ、仕方なく(2)のような記述が加えられるようになったという経緯があるのです。なので、これは強く共感できます(といいつつ使ってしまうことはあるのですから、まったく矛盾しているのですが)。
定番(93ページより)
もともとは小売業者が内輪で使っていた符丁(仲間うちだけで使う専門用語)で、そのにおいが残っているので使わないと著者はいいます。その事実は知っていましたが、楽な言い回しのでつい使ってしまいます。でも、そんなことではいけませんね。
合掌(93ページより)
同感です。誰かが亡くなったとき、この言葉で締めてあると、個人的には逆に誠意のなさを感じます(ヒップホップ・シーンでよく使われる、英語の"R.I.P."もまたしかり)。著者も、「『合掌。』とは書かずに、合掌している筆者の姿が行間に浮かんでくるような最後の一文をひねり出す。それが文章を書く醍醐味のはずです。『合掌。』で締めくくる追悼文にはプロの誇りが感じられません」と突いています。
嫌いな言葉だけではなく、他にも文章を書くという行為の奥深さを実感させられるような話が詰まっています。メディアがなんであれ、なんらかのかたちで文章を書く機会が多い方にはぜひ読んでいただきたい名著です。
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(印南敦史)