マジックの世界ではミスディレクション(Misdirection)という手法が使われます。ミスディレクションとは「観客の注意をそらす」という意味で、マジックショーでもよく使われます。マジシャンはトリックがばれないように、観客の注目を惹いてトリックが見えないようにしています。観客はマジシャンが誘導するものだけを見ているため、トリックに関わる部分を見逃してしまいます。もう少しわかりやすく説明するため、2つの例をご紹介します。
■記憶したカードが消えるマジックの例ミスディレクションを使ったカードマジックを1つご紹介しましょう。まず、画像にある5枚のカードから1枚のカードを選んでください。
そのカードを記憶してください。
最初の5枚を見ずに、記憶したカードに集中してください。 あなたが記憶したカードは消えています!なぜでしょうか? 最後の5枚は、最初の5枚とは別のカードだったのです。すべてのカードが別のカードなので、記憶したカードは消えて当然です。5枚のうち1枚のカードだけを覚えようとしたため、他のカードには注目していなかったのです。これがミスディレクションです。
■不注意による見落としミスディレクションは心理学的な現象で「不注意による見落とし」と呼ばれています。心理学系ブログ「You Are Not So Smart」を運営するDavid McRaney氏は次のように説明します。
注目していないのは、「見えていない」のと同じです。マジックショーを見ている時、私たちは一部の情報だけに注意を向けています。その後、注意していなかった部分を思い出す際は気づかないうちに「こうだったに違いない」と推測しているのです。正確な情報を思い出せるかどうかは、注意していたかどうかによって変わってきます。注意して見ていなかった情報を思い出すときは、多かれ少なかれ「色づけされた記憶」が出てくるということです。
もう一つ例を挙げましょう。下の動画を見て、白い服を着た人達がボールをパスする回数を数えてみてください。
動画の中で登場人物がパスを交わしている間、ゴリラの着ぐるみを身に付けた人が横切ります。これは明らかに不自然ですが、初めてこのビデオを見た人の多くはゴリラを見逃し、後からゴリラがいたことを知って驚くそうです。これは、他のタスクをさせることで注意をそらせるミスディレクションの一例です。次のセクションで紹介する「気づかれずにウソをつく方法」もこのような心理を利用したものです。
■ミスディレクションを使って聞き手を誘導するウソをつくのは意外と大変です。いつも本当のことを話しているなら、思ったことをそのまま言葉にしても問題ないでしょう。
しかし、ウソをつくときは以下のように、多くのプロセスを踏む必要があります。
- 本当のことを思い浮かべる
- それを伝えるかどうか迷う
- 伝えないと決める
- ウソを考える
- できるだけ自然に言う
覚えるだけでも大変なプロセスなのに、これらを瞬時に行うのはさらに難しいはずです。ミスディレクションを使って聞き手を誘導する方法は、簡単ではないですが、ウソを考える必要がありません。ウソを考えるのではなく聞き手の注意をそらすことで、自分ではなく相手に答えを想像させるのです。以下、例を参考にして具体的にどうしたらいいのかを考えてみましょう。 ■知られたくない秘密をうまく隠す
次のことを想像してみてください。
あなたは10年前にアルコール依存症になった過去があるとします。それから10年かけてなんとか克服し、人生も順調に動き始めました。ある日、気になっていた人と最初のデートに出かけることになり、レストランで飲み物を何にするか聞かれます。彼女はアルコールを頼み、あなたは水を頼みます。彼女は疑問に思い、「なぜ飲まないの?」と聞いてきます。
もちろん、過去のことは正直に打ち明けるほうがよいし、困難なことを乗り越えた経験は誇りに思っていいことですが、このシナリオではあえて「まだ過去のことを打ち明ける準備ができていない」としましょう。この場合、選択肢は2つあります。ウソをつくか、ミスディレクションを使って相手を誘導するか、という選択肢です。
この状況でウソをつくのは大きなリスクがあります。まず、これから同じ質問をしてくる人すべてに同じウソをつかなければいけません。そもそもウソをついたことを忘れてしまう可能性もあります。過去に打ち明けた人がいるなら、「誰に言っていて、誰に言っていないのか」を覚えておく必要もあります。
また、もしこれからその彼女とうまくいけば、いつかは真実を話さないといけなくなるでしょう。その時、ウソをついたことがわかれば、信頼関係にキズが入るかもしれません。反対に、ミスディレクションを使う選択肢は単純明快です。無理して「アルコールは嫌いなんだ」と不自然なウソをつくのはやめて、アルコール依存症になった知り合いの話をすればいいのです。親戚で依存症になった人や、治療をしている友達の話をただ真剣に語るのです。その話を聞いた彼女は、「だからお酒を飲まないのか」と勝手に思い込んでくれます。私自身は特に依存しているものはありませんが、お酒をあまり飲まない理由やドラッグをしない理由について聞かれたときは、他人の話をするようにしています。このような話をすれば、それ以上しつこく聞かれることはないでしょう。
知られたくない秘密は人それぞれですが、それを隠す方法は同じです。答えにくいことを聞かれた時は、自分以外の話をしましょう。聞き手に思い込んでもらうのがポイントなので、必死になってウソを作り出す必要はありません。
■友達の秘密を守る友達のBrianが浮気をしているとしましょう。あなたはそのことを知っていますが、誰かに告げ口したいとは思っていません。ある日、別の友達Larryがあなたにこう聞きます。
「Brianは浮気していると思わないか?」
しかし、もちろん本当のことは言いたくありません。
この状況で「そんなことはないと思う」とウソをつくのは簡単です。しかし、「なぜ?」と聞かれたら答えに困ってしまうでしょう。この会話が進めば、さらにウソを重ねることになります。代わりに、「Brianは奥さんのことが大好きみたいだけど」と言えば、「それなら浮気するわけがない」と思ってくれるでしょう。
もちろん、聞き手を誘導するには自信を持って言う必要があります。また、事前にどんな誘導をするか考えておくと、突然聞かれてもすぐに答えられるでしょう。
他の例として「Brianは1日12時間も働いているよ」と言えば、Larryは「浮気をする時間なんてない」と思ってくれるでしょう。「先週見たときはとても仲が良かったよ」と言えば、Larryは「それなら浮気していないのか」と思ってくれるでしょう。簡単そうに聞こえるかもしれませんが、これはとても効果的な方法です。ポイントは「あなたは1つもウソをついていないし、秘密を漏らしていない」ということです。Larryの結論は、あなたの情報からLarryが勝手に推測しているだけであって、あなたが直接教えた意見ではないのです。
■聞き手を誘導する準備をしておく質問を受けてその場で聞き手を誘導するには、素早い反応が必要になります。隠したい秘密がわかっている場合は、事前にどのように聞き手を誘導するか計画しておくのが良いでしょう。
前のセクションで紹介したアルコール依存症の場合でも、彼女に「なぜお酒を飲まないの?」と聞かれてから答えるのではなく、事前に「アルコール依存症になった親戚の話」をしておきましょう。事前にアルコールを飲まない理由を伝えておけば、彼女が疑問に思って聞いてくることはありません。このように事前に情報を与えておくだけで、ウソをつかないといけない状況自体が発生しなくなるのです。アルコール依存症になった人の話をそれとなく伝えるのは難しそうですが、よく注意して会話を聞けば必ずタイミングが見つかるはずです。それに、ある程度親しくなれば他人の話をすることが自然になるはずです。
■それでも練習は必要聞き手を誘導するのに才能は必要ありませんが、練習は必要です。ウソをつくよりは簡単ですが、慣れるまでは難しいと感じるかもしれません。緊張せずに自然に話す練習も必要です。これは何度か試して失敗するとコツがわかってくるでしょう。
とはいえ、聞き手を誘導するのは「それなりの理由」があるときだけに留めておくべきです。個人の秘密やプライバシーに関わることはもちろん守るべきですが、何から何まで意地悪く誘導する必要はありません。誘導するスキルを使うなら、責任が取れる範囲にしておくのがベストです。
Adam Dachis(原文/訳:大嶋拓人)
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