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犯した過ちで自分を責めてはいけない理由

author Sam Blum - Lifehacker US[原文]/訳:春野ユリ
犯した過ちで自分を責めてはいけない理由
Image: Shutterstock

誰かが過ちを犯しても、その過ちとその人のアイデンティティを切り離してとらえられたら理想的ですが、実際には簡単にできることではありません。

誰でも誤った判断を山ほどしながら生きていますが、犯した過ちによって人生を決めつけたり、自信を喪失しないようにすることが大切です。

どんな失敗にも、正しい意思で向き合えば、つまり、自分を許し、自分が傷つけたり失望させたりした人たちのことを理解する方法を探し求めれば、その失敗は学びの瞬間になります。

犯した過ちで自分のアイデンティティを決めつけてはいけない

行動とアイデンティティの違いを理解することが重要です。

この2つは多くの点でもともとつながってはいますが、必ずしも片方がもう片方の症状であるとは限りません。

行動とアイデンティティの関係は独自の研究分野として確立しており、宗教のさまざまな宗派が罪を罪人から切り離すことができるかどうかについて議論しており、学者たちは1930年代以来、個人の明確な自己意識と行動癖との関係を研究してきました

しかし、人間が失敗の中に成功を見つけることができるように、自らの過ちから学べると、あるいは、少なくとも自分に過失があるとき、そのことに気づくことができると、他人から好ましく思われるようになることも事実です。

過ちを認めることで、「パートナーや同僚にして欲しいことのモデルが設定されます」と、心理学者で『Sacred Baths』の著者であり、「The Love Psychologist」 というポッドキャストのホストを務めるPaulette Sherman博士は米Lifehackerに語っています。

そうすることで、あなたは説明責任を果たし、信頼を得られます。自分の間違いについて正直になれる安全な場所を作れば、きっと他の人も安心して同じようにふるまえるはずです。

明らかに、これは「言うは易し行うは難し」です。多くの人にとって、特に自分自身に厳しい人にとって、過ちを認めることは、自分自身のアイデンティティを貶めることです。

臨床では、これは「認知的不協和」と呼ばれる概念です。

社会心理学者のCarol Tavrisさんが、2017年にNew York Timesに、「認知的不協和」について次のように述べています。

私たちは、自己概念(私は賢い、私は親切、私はこの信条が真実であると確信している)が、私は賢くないことをした、私は他人を傷つけるようなことをした、その信条は真実ではない、というエビデンスによって脅かされたときに認知的不協和を感じます。

自己の概念が、身近な人によって引き裂かれたように見えると、打ちのめされたような気がするかもしれません。しかし、こちらの過ちの影響を受けた人が「打ちのめしてやろう」と意図することはめったにありません。

行動とアイデンティティを分けて考えることは学びのプロセス

簡単にできる次のような演習があります。子どもに話しかけるという観点から考えてみましょう。

Shermanさんが指摘するように、子どもに対して、その子が本質的に悪人だ(あるいは、内気だ、好き嫌いが激しい頑固だ威張っている泣き虫だ)と説明したいとは思わないでしょう。

単にその子の行動が良くないと説明したいはずです。

時には、批判への抵抗感は子ども時代のある種のトラウマに根ざしていて、それが悪化して大人の内面に巣くうことがあります。

「(批判に対する抵抗感の)根底にあるのは、人間は完璧でないと解雇されたりパートナーから愛されないという恐れかもしれません」とShermanさんは言いました。

それで、罪悪感と省略による嘘に蝕まれるのですが、信頼が築かれていなければ物事はうまくいきません。

要は、自分で自分の心を鎮めることを学ぶ必要があるということです。

「私たちの中にあるハイヤーセルフ(より高次の自分)は、私たちが愛すべき人間で、学び成長するために存在していることを知っています。

ハイヤーセルフの声をもっと優しくすると、より大きな広がりが生まれ、より良い方向に向かわせてくれるでしょう」とShermanさんは言いました。

罪悪感と恥の違いは?

自我と批判を分離するために役立つもう1つの重要な違いは、罪悪感と恥の違いを理解することです。

もちろん、誰もあなたに罪悪感を抱かせようとすべきではありませんが、自分で自分のある行動に嫌悪感を抱くと、罪悪感を抱く強いモチベーションになります。

有資格の臨床ソーシャルワーカーであるJustin Lioiさんが米Lifehacker に次のように語っています。

罪悪感は、自分がしたことが有害であることを確認し、二度と同じことをしないようにする強いモチベーションになります。

一方、恥は、自分が生まれつき悪い人間であるせいで悪いことをしてしまうと考えさせる底なし沼に陥れます。

それより得られるのは、変化するためのエネルギーでなく、自己防衛をしてそういう自分を隠そうとする気持ちです。

行動は、本人が改める気がまったく無い場合や他人に繰り返し害を及ぼしてもまったく良心の呵責が無い場合に限って、その人の本性を現しています。

幸い、大多数の人は、これに該当しません。


Source: Springer Link, Dr.Paulette Sherman, SMARTER LIVING

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