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オオバコは踏まれることを巧みに利用しているスペシャリスト? 「雑草」に学ぶ生存戦略

オオバコは踏まれることを巧みに利用しているスペシャリスト? 「雑草」に学ぶ生存戦略
Photo: 印南敦史

「雑草」という戦略 予測不能な時代をどう生き抜くか』(稲垣栄洋 著、日本実業出版社)は、ちょっと変わった書籍です。雑草生態学を専門とする静岡大学大学院農学研究科教授、農学博士である著者が、雑草のしたたかな生存戦略を通じ、予測不能な時代を生き抜くための術を論じたものだからです。

道ばた、空き地、公園、畑、庭など、雑草が生えている場所はかなり特殊な環境。いつ草取りされるかわからないし、踏まれることもある、「予測不能な激しい場所」であるわけです。当然のことながら、そんな場所に生えることは簡単ではありませんが、雑草はそんな過酷な環境を選んで生えているのです。

そんな雑草のあり方は、変化のスピードが早く、不確実なものであふれる現代社会を生きるための参考になるという発想。

雑草が得意としている特殊な環境は「予測不能な激しい変化が起こる場所」である。 もし、私たちが生きている現代が、予測不能な変化の時代なのだとしたら…… 雑草の戦略が役に立たないはずがない。(「はじめに」より)

きょうはII「『雑草』の成功法則」内の第4章「雑草の成功法則『逆境』」のなかから、オオバコの生存戦略に焦点を当ててみたいと思います。

逆境は味方である

誰にとっても、逆境は嫌なもの。順風満帆に平穏な日々を送りたいと願うのは当然です。しかし、安定して恵まれた条件で勝利するのは、間違いなく競争に強い側。もしも弱者にチャンスがあるとすれば、それは不安定で恵まれない状況なのだと著者はいいます。

だとすれば弱者は、逆境を恐れず、それを歓迎しなければならないということになります。とはいえ雑草の場合、努力をしたり、歯を食いしばってがんばればなんとかなるというものでもありません。人間の世界であれば、根性で乗り越えられることもあるでしょうが、雑草の暮らす世界は根性論で乗り越えられるほど甘くないということです。

逆境といっても、さまざまな種類がある。 弱者である雑草にとって、「逆境を利用する」ことは基本的な戦略ではあるが、逆境であれば、何でもいいというわけではない。 踏まれるという逆境の場所では、踏まれることに強い雑草が生える。草刈りをされる場所では、草刈りに強い雑草が生える。草取りをされる場所では、草取りに強い雑草が、耕される場所では、耕されることに強い雑草が生える。 こうして、すべての雑草が、自分の得意な場所で勝負しているのである。(65ページより)

雑草に降りかかる逆境のなかでも、「踏まれること」はもっとも雑草らしい象徴的な出来事。そして、その代表格とも言えるのがオオバコなのだとか。

漢字で「大葉子」と書かれることからもわかるとおり、よく踏まれる道に生えるオオバコは大きな葉が特徴。その葉は見た目にはとても柔らかいそうですが、ただ柔らかいだけであれば、踏まれたときに葉がちぎれてしまうはず。しかしオオバコの葉には丈夫な筋がしっかりと通っているため、ふみにじられてもなかなかちぎれないというのです。

逆に茎は、外側が固くなかなか切れないものの、中はスポンジ状になっているためて、よくしなるそう。いわば、硬さと柔らかさを併せ持っているということです。(64ページより)

柔よく剛を制す

「柔よく剛を制す」ということばがあります。剛よりも柔が強いと解釈されがちですが、実際には「柔も剛もそれぞれの強さがあるので、併せ持つことが大切である」という意味なのだそうです。

たしかに硬いだけでは、強い力がかかったときに耐えきれず、折れることになってしまうでしょう。かといって、柔らかいだけでは千切れてしまうことになります。

硬さのなかに柔らかさを持ち、柔らかさのなかにしっかりとした硬さを持っているーー。それこそが、オオバコの、踏まれることに対する強さの秘密だということ。それは、「しなやかさ」ということばで表すことができるはず。踏まれることに対して求められるのは、外からの力を受け流す「しなやかさ」だという考え方です。

私は、オオバコのことを「踏まれるスペシャリスト」と呼んでいる。 しかし、私がオオバコのことをスペシャリストであるとまで言うのは、単に踏まれることに強いからではない。オオバコは踏まれることを、巧みに利用しているのである。 オオバコは、道ばたやグラウンドなど、よく踏まれるところに生えている。まるで踏まれやすいところを好んでいるかのようだ。 じつは、オオバコの種子は、紙オムツに似た化学構造のゼリー状の物質を持っていて、雨が降って水に濡れると膨張してネバネバする性質がある。その粘着物質で人間の靴や、自動車のタイヤにくっついて運ばれていくのである。 オオバコの種子が持つ粘着物質は、もともと乾燥などから種子を保護するためのものであると考えられている。しかし結果的に、この粘着物質が機能して、オオバコは分布を広げていったのである。(69ページより)

オオバコは学名を「プランターゴ」といい、これはラテン語で「足の裏で運ぶ」を意味するのだといいます。また漢名は「車前草」で、それもまた、道に沿ってどこまでも生えていることに由来したもの。すなわち、道に沿ってたくさん生えているのは、人や車がオオバコの種子を運んでいるからなのです。

だとすれば、オオバコにとって踏まれることは、耐えることでも克服すべきことでもないということになります。なにしろ、踏まれることによって分布を広げて成功するのですから。いわば踏まれることを利用しているわけで、まさに逆境をプラスに変えて成功しているということなのです。

もし、オオバコが踏まれなかったとしたら、オオバコはどうなるのだろう。 オオバコは踏まれなければ、種子を散布することができない。いや、それだけではない。踏まれることがなければ、さまざまな雑草が、その土地に侵入してくる。オオバコは、踏まれることに対しては特別な強さを発揮するが、他の雑草との競争には、からきし弱い。誰も踏まない場所では、オオバコは他の植物に圧倒されて、やがては消え去ってしまう。 よく踏まれるような場所では、何しろ競争が起こりにくい。踏まれながら生きることに精一杯で、競争などしている余裕はないのだ。 光を求めて茎を伸ばしても、踏まれてしまうし、体を大きくして競争力を発揮しようとすれば、車に轢かれて倒されてしまう。そんな環境では、競争に強い植物や大きな雑草は生えることができない。(71ページより)

競争に弱かったから、競争の少ない場所を選んだのか? それとも、踏まれる場所に適応していくなかで競争力を失ったのか? 答えがどちらにあるのかはわからないそうですが、もしかしたら両方の要因があったのかもしれません。

いずれにしてもオオバコは、いまや踏まれなければ生きていけないほどまでに、踏まれることに適応した進化を遂げているわけです。しかも「踏まれる場所」において、圧倒的に有意な地位を築いてもいます。

同じように人間も、弱点を強みとして活かしながら自らの地位を確立していくべきなのかもしれません。(68ページより)

現代は、「VUCA(ブーカ)」と言われます。ご存知のとおり、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べたことば。つまり、いま目の前にある時代は、変化が早く、予測できないことが多い状況だということです。

だからこそ、そんな時代を生き抜くため、本書を通じて雑草の生存戦略を学んでみてはいかがでしょうか?

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Source: 日本実業出版社

印南敦史

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