状況が悪化する中、なぜ人は外出してしまうのか?
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ここテキサス州オースティンでは、ふたたび新型コロナウイルスの感染者数が増えています。
2カ月間続いた厳しいソーシャルディスタンス措置が5月に取り下げられてからというもの、急激に状況が悪化しているのです。
市職員がどれだけステイホームやマスク着用を叫んでも、市民が外出を止めることはありませんでした。
ケータリングのトラック、レストラン、バーに人だかりができるようになり、みるみるウイルスが浸透していきました。
なぜ、こんなに多くの人が外出するようになってしまったのか。その答えのひとつは、いわゆるコロナ疲れです。
今、反動が来ている
人は、自分ではどうすることもできない状況に追いやられると、疲弊します。やがて感覚が麻痺してくると、何をしても関係ないという気持ちが表出します。
今回の新型コロナウイルスの場合、それは予防措置への無関心となって現れました。悪い結果は数週間遅れでやってくるため、人々は安全行動のためのすべての議論が大げさだったと考えるようになりました。
いま私たちは、その結果を目の当たりにしています。これは明らかに、宣言解除からソーシャルディスタンスを守ってこなかったこと、そしてマスクを着けてこなかったことの反動です。
つまり、まだまだ続く新型コロナウイルスとの戦いにおいて、無関心こそが最大の敵といえるでしょう。
1. つらい理由を認識する
コロナ疲れの大きな要因の1つが、社会との断絶です。人間は社会的な生き物なので、誰かとつながりたいと思うようにできています。
内向的な人でさえ、誰かのそばにいたいと思っています(彼らはただ、大人数でいることや注目を浴びることが嫌いなだけです)。
つまり、社会的つながりを維持することが、コロナ疲れの対策となりえます。
とはいえ、Zoomなどのコンピュータプラットフォーム上で人を見るだけでは不十分。画面越しでは、真のつながりを感じることはできないのです。
このことは、やはりコロナ疲れの原因となっているソーシャルディスタンスの第2の側面とも関係します。私たちは善行を追求するあまり、この世の中を善と悪の2つに分けて考えがちです。
ステイホームは善、マスク着用も善。
では、人と会うのは悪なのでしょうか?
2. リスクは0か100かではない
世の中を善か悪かに二分してとらえていると、「だからどうした」効果が生まれてしまいます。1つでも悪い行動をしてしまうと、すべてがどうでもよく思えてくるのです。
そうならないために、善と悪の間には段階があることを理解しなければなりません。たとえば、マスクを着けてソーシャルディスタンスを保ちながら人と会うことは、それほど大きなリスクではありません。
自転車やランニングにもリスクが伴いますが、そのリスクは小さいと考えて差し支えありません。一方で、マスクを着けていない人がたくさん集まるパーティやバーに行くことは、ずっと危険です。
ここまでの話をまとめると、コロナ疲れを追い払うには、高い安全性を保ちながら誰かのそばにいるのがオススメです。
友達と電話をするだけでなく、ときには一緒に長い散歩に出かけてみては。大きなピクニックテーブルに座って、会話を楽しむのもいいでしょう。
気の合う友人と、自転車で出かけるのもよし。
もちろん、マスク着用は言うまでもありません。
3. 人にやさしく
もう1つ、しておいたほうがいいことがあります。それは、人にやさしくすること。買い物に出られない友達に食材を届けたり、隣人の庭掃除を手伝ったり。人の役に立つことで、社会との連帯感が生まれます。
社会とのつながりを意識することで、未来への希望を保てるでしょう。
このパンデミックが長く続くのは間違いありません。だからといって、その期間中ずっと心を閉ざして生きる必要はないのです。安全に他者と過ごせる方法が多いほど、善き行いを続けやすくなるはず。
もちろん、コロナ疲れの要因はこれだけではありません。
でも、安全に社会的な生活を送れる方法を知ることで、この困難の時期にあっても前向きな姿勢を保つことができるのです。
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Image: Rawpixel
Originally published by Fast Company [原文]
Copyright © 2020 Mansueto Ventures LLC.
訳:堀込泰三
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