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「いい人」を演じる必要はない。人の目を気にせず生きるための心構え

「いい人」を演じる必要はない。人の目を気にせず生きるための心構え
Photo: 印南敦史

世の中に“いい人”は少なくありません。

しかし、そのなかに、人から嫌われたくないという理由で“いい人”になろうとする人がいるのも事実

こう指摘するのは、『他人のことが気にならなくなる 「いい人」のやめ方』(名取芳彦 著、リベラル文庫)の著者。

過去にも著作をご紹介したことがありますが、東京・江戸川区にあるお寺、密蔵院の住職です。

私たちは、子どもの頃から他人から嫌われれば生きづらく、好かれれば余計な衝突を避けられることを学んで成長します。そして、悪い人よりはいい人であるべきだし、いい人ならばこうすべきというルール(こだわり)のようなものが、いつの間にかできあがっていきます。

この「こうあるべき」「こうすべき」という考え方は、わかりやすいルールですが、そうしない人を許容できなくなる危険性をはらんでいます。また、「こうあるべき」「こうすべき」と思っている自分がそうできなくなったとき、自分を否定しなくてはいけないというオマケがついてきます。(「はじめに」より)

そこで本書は、がんばって“いい人”になろうとする人の心のモヤモヤを晴らすことができるように、もっと楽に生きられるようにと、仏教が説く智恵を土台として書かれているのだそうです。

1章「毎日がラクになる、小さなヒント」のなかから、2つのポイントを抜き出してみることにしましょう。

人の目を気にするクセをやめよう

私たちは、小学生のころから通知表で評価されてきました。そして社会に出てからは、会社の評価によって給料や人事が決められることになっています。

そんな環境で育ってきたのだから、人からの評価を気にしてしまうのは、ある意味で仕方のないことなのでしょう。

だからこそ、「人からどう思われようと気にしません」と気負ったようにいう人に会った場合、著者は「本当にそう思っている人は、そんなことを口にしないよ」と笑ってその人の肩を叩くのだそうです。

人からどう思われているかを気にしないでいられるようになるには、覚悟が必要とされるわけです。

「自分の言動がどう思われているか」を気にしすぎれば、「私はこれでいい」と思うことができず、人からの評価を求めてキョロキョロすることになってしまうはず。

著者はそんな人のことを、“心の挙動不審者”と呼んでいるのだといいます。

もちろん、人からの評価はよいほうがいいに決まっています。認めてもらえれば自己満足感も高まって、楽に生きていけるのですから。

そのためにあえて好評価を得ようとへつらい、媚を売る人がいることも否定できません。

でも、そんな人は、自分に嫌気がさすこともあるのではないでしょうか?

しかし、実はそんなときこそ、人からどう思われるかを気にしないでいられる自分をつくるチャンスなのだと著者は主張しています。

仏さまは、自分が周りからどう思われているかを気にしません。(中略)仏さまは、いつどんなことがあっても心おだやかでいられる境地を、それぞれのやり方で目指しています。観音さまは「私は慈悲で悟りを目指します!」と宣言し、文殊菩薩さまは「私は智恵で悟りに向かいます!」と決めています。

向かうべき目標もやり方も自分で決めているので、他からどう思われているかは気にしません。 私たちも、他人からのアドバイスを参考にしたとしても、目標に向かって自分流のやり方をすれば、人の目を気にする必要はありません。否、そもそも、気にしている余裕はないのです。(14〜15ページより)

自分でも気づかないうちに、「人から変な目で見られないようにする」ことを目標にしていたということも考えられます。

しかし、そんな目標ではなく、もっと前向きに、「会う人みんなを好きになってみよう」「寝るときに、いい日だったと思えるような一日にしよう」「楽に人づきあいしよう」など、幸せになれる目標を立てて前に進んでみようと著者は提案しています。(12ページより)

「いい子」「いい人」を演じなくていい

「いい親」「いい子」「いい部下」「いい妻」など、他人から期待される人物像に合わせて振るまおうとする人がいます。

しかし、それはつくられた偶像でしかなく、仮面を被っているようなもの。仮面をかぶり続けていれば、やがて息苦しくなるのは当然の話です。

また、世間一般でいわれる「いい○○」というものも、実はあてにならないもの。

たとえば「いい子」には“親のいうことをなんでも聞く孝行者”というイメージがありますが、問題は、それによって自分の考えや価値観が持てなくなってしまうこと。

場合によっては親の考えに反発し、自立して生きていくことが立派な親孝行であるともいえるわけです。

「いい上司」の理想像も、やさしい、厳しい、頼れる、部下の自由にさせてくれる、部下の意見に耳を傾けるなど、人によってさまざま。

同じように「いい部下」にしても、従順、向上心がある、上司に意見する暗い気骨があるなど、人の好みは一様ではありません。

つまり、多岐にわたる人物像すべてを網羅し、演じることは不可能だということ。なのに、無理をして不可能なことをやろうとするから疲れてしまうのです。

ですから、周りから期待される人物像を演じるより、自分が理想とする人物像を思い描いて、それに近づくようにしたほうがいいでしょう。 昔のお坊さんたちは、親を捨てて出家しました。彼らは、親の肩をもんだり、一緒に旅行に行くのは小さな親孝行で、人々を救うことこそ大きな親孝行と考えて出家したのです。

また、古代中国のある国の王は、会議で自分の意見に反対する家臣や、自分より優れた意見を言う者がいないことを憂慮したそうです。理想の王は、世間が考えているような絶対的な権力者ではなく、自分の考えを堂々と言う家臣がいる王であるとしていたのです。理想的な上司や部下について考えさせられる、示唆に富んだ話です。(34〜35ページより)

そこで、他人が一方的に決めた理想像に応えるのではなく、自分が理想とする人物を目指すべきだと著者は主張しています。

そうすれば、あれこれ仮面をつけなくてすむはずだから。

そればかりか、これまで無理につけていた仮面も自然とはずれ、素の自分のよさ、魅力、才能が発揮できるようになると言うわけです。(32ページより)


“いい人”をやめたからといって、悪い人になるわけではない。著者はそう指摘しています。なぜなら人は、表と裏しかないコインとは違うのだから。

もっと別の、“心おだやかな人”になれる可能性があるわけです。

ともすれば忘れてしまいがちな、そんなことを思い出すためにも、本書を手にとってみてはいかがでしょうか?

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Photo: 印南敦史

Source: リベラル文庫

印南敦史

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