
生まれながらの内向型人間は、無理に紹介を頼んだり、自分について多くを多くを話したり、人に名刺をもらったりするのさえ嫌でたまらない。
私なんか、ミーティングや電話だけでなく、たくさん話をしたり、大勢の人とすごしたりするためにスケジュールが埋まってくると、だんだんそわそわしはじめる。(「はじめに」より)
『つきあいが苦手な人のためのネットワーク術』(カレン・ウィッカー 著、安藤貴子 訳、CCCメディアハウス)の著者は、人づきあいに関する思いをこう明かしています。
その反面、内向型と外交型、どちらの傾向が強いかにかかわらず、新しい人とつながるためのネットワークづくりの重要性はこれまで以上に大きくなっていると認めてもいるのですが。
グーグル社に10年近く在籍したのち、ツイッター社で編集ディレクターを務めたという実績の持ち主。その過程においては、ネットワークづくりにかなり尽力してきたようです。
つまり本書ではそのような実績に基づき、また、自身が内向型であることを認めたうえで、「本物のネットワークを構築し、生涯にわたって育てていくための方法」を明かしているのです。
解説されているのは、意義あるつながりをつくって維持したり、よく知らない人にコンタクトをとってアドバイスや頼みごとをしたり、持ちつ持たれつの関係を築いたりするためにはどうべきかについて。
また、そうしたすべてのことが、自身の充実感と安心感をどう高めるために役立つのかについても持論を述べています。
本書が特徴的なのは、「ネットワーク」をさまざまな角度から考察している点。オンラインでのつながりのみならず、人と人との交流についてまで言及しているのです。
つきあいが苦手な人にとって、それは簡単なことではないでしょう。けれど反面、とても大切なことでもあるはず。
そこで、きょうは第3部「リアルな世界でやるべきこと」の第10章「雑談のすすめ」に焦点を当ててみたいと思います。
雑談のすすめ
ネットワークづくりを信用していない内向型人間を筆頭に、雑談を否定する人は少なくありません。しかも、そこにはもっともな理由があるものです。
退屈でつまらないし、本音で話すわけでもない。静かな時間はじゃまされ、中身がなさすぎて聞くに堪えない(「寒く(暑く)ないですか?」「道がひどく混んでいますね」「ああ、やっと金曜日だ!」などなど、あげればきりがない)。気持ちやそのときの気分も伝わらない。
それに、よくしゃべる人というのはたいていがどうも神経質で、自分勝手で、そうでなければソーシャルスキルに欠けているように思える。(247~248ページより)
このようにディスりまくっていることからもわかるように、著者もずっと雑談が嫌いだったのだそうです。
ところが最近になって、考えを改めたのだとか。
雑談は、内向型の人や、それを避けたい人たちの目的にもかなっていると思えるようになったというのです。
なぜなら雑談を賢く使えば、緊張感はやわらぎ、慣れない人づきあいをうまくこなすことができるものだから。人が集まる場所に出入りするのが楽になるし、一瞬で相手と打ち解けて、なごませることも可能になるというわけです。
ちなみに、ことばを使って絆を結ぶ哺乳類は人間だけではないのだそうです。
プリンストン大学がキツネザルの発話についての研究を進めた結果、キツネザルにとっても「会話は情報を伝えるだけでなく、親密な関係を気づくためにも必要な、社会的潤滑油である」との事実が明らかになったというのです。
その研究は、キツネザルが発する音は「人間のおしゃべりと同じである」と結論づけ、「人間はほとんどの場合、会話しても終わったそばからその内容を忘れてしまう。というのも会話は社交上の機能を果たしているだけだからだ」と鋭い指摘をしているのだそう。
たしかにそのとおりで、つまりは人間もキツネザルも、その点においては同じなのでしょう。(247ページより)
気軽に雑談しよう
無意味なおしゃべりが嫌なものだとはいえ、短いやり取りを交わすことで、お互いに豊かな思いやりの心が芽生えるときはあるもの。
たとえば自分と同じように犬を散歩させている人、街角にある店の店員、エレベーターに乗り合わせた親しいご近所さん、オフィスの清掃係や警備員とのちょっとした会話がそれにあたります。
かわいい犬、不順な天候、好きなチームの試合結果、次の休暇の話などをすることで、相手を身近に感じ、親しみを覚えたりするわけです。
それは、内向型の人にとってもうれしいことであるはず。
ライターのルース・グラハムは、2016年に『スレート』誌に寄せたエッセイで雑談を「必要不可欠な社会的潤滑油と表現し、雑談は「これからも決してなくならない。なぜならそれは共通の文化にとっての確固たる土台だからだ。人々が文化的、政治的、経済的に分断されるほど、共通の話題は少なくなる。生産性にとりつかれるほど、昔からある楽しみの時間は削られる。だから雑談は取るに足らないものなどでは決してない」と主張しているそうです。(249ページより)
安全で感じのいい雑談の始め方
雑談のいいところは、長く続かないところだと著者。たとえ退屈でも、あっという間に終わってしまうわけです。
しかも雑談には、人とのつきあいをなんとな乗り切るために役立つ特徴がひとつあるそう。
雑談の話題は、たいていが目の前の出来事や共通の話題であり、深い話や個人的なことではないわけです。2人が目にしているものや経験していそうなことを話すのが普通だということ。
・進みが遅いこと(エレベーター、人込み、行列)
・天気(寒すぎる、暑すぎる、雨、雪、ジメジメしている)
・交通(渋滞、思いがけず流れがいい、車の流れが途切れない)
・地元のスポーツチーム(勝敗、お祝い、交通事情)
・週末や祝日(もうすぐやってくる休日への期待、終わってしまう悲しさ。
(251ページより)
たとえばこのように、“そのとき”だけで完結してしまう話題が多いわけです。(250ページより)
著者は本書を通じ、講師を問わず一生ものの意義あるつながりをつくり、維持するにはどうすべきかについて、新たな考え方を提示しているのだそうです。
しかも骨の折れるタスクではなく、気分のよい自然な日常の一部として。
なぜならそうすれば、生まれながらの本能を「本物の自分」に見合ったネットワークづくりに導くことができると考えているから。
その考え方に共感できたとしたら、本書からは多くのことを吸収できるのではないでしょうか?
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Photo: 印南敦史
Source: CCCメディアハウス
印南敦史