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「インターネットの幻」が消えかけている、ってのはある。西寺郷太インタビュー後編

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「インターネットの幻」が消えかけている、ってのはある。西寺郷太インタビュー後編
Photo: Ryuichiro Suzuki

ミュージシャンでありプロデューサー、さらには作家・小説家として活躍、読書家としても知られるノーナ・リーヴスのヴォーカル西寺郷太さん。

作詞・作曲・プロデュースはもちろん、80年代音楽研究家として大学で講演するなど、さまざまな分野で活躍する西寺さんですが、最近注目されているのが、西寺さんの「ノートを取る技術」。

7月に刊行した新著『伝わるノートマジック』を通して若い人たちに伝えたいこととは? インタビュー後編をお送りします。

>>インタビュー前編はこちら

インターネットが「対抗する手段」だった頃

——先ほどフィジカルの話が出てきましたが、ノートが「手書きであること」にこだわりはあるのでしょうか?

西寺:基本的に曲づくりは全部PCでプログラミングしていて、1日24時間あれば10時間くらいはそういう作業をしています。だから、「ノートじゃなきゃダメ」という訳では全然なく、まあ「ノートも好きだ」というだけですね。

たとえるなら、乗り物と同じだと思います。

飛行機で行った方が便利な場所があれば、スペースシャトルでしか行けない場所もあるし、自転車で行ける場所もある。車より地下鉄で行ったほうが早い場合もあるし、お酒を飲んで車を運転できない場合は歩いていこうか、なんて選べるじゃないですか。

それで、歩いて5分で着くなら歩くよね、って。その「歩く」という行為がぼくにとってのノートなんだと思います。

ネットでもスマホでもiPadでも。使えるものはなんでも使って、そのゴールに向けて一番最適なものを選択しているだけですね。

——ちょっと誘導尋問的な感じになってしまいました。

単純に「そのノートが積み重なっているだけ」でももう視覚的にそこに知の蓄積があるって安心できるじゃないですか、そういう「確からしさ」や「重み」が結構今求められてるんんじゃないかな、って思っていて。

西寺:それはぼくも思っています。ぼくは90年代の半ばに東京で大学生をやって、95年に卒業するっていうときに、Windows 95が出たりMacがグッと安くなったり。インターネットがポピュラリティを得た最初の世代なんです。

インターネットがほぼないに近いところから、一般の手に届くところまで変わった世代です。

当時…25年前かな、阪神淡路大震災が起こった年、ぼくは学生で印刷会社でバイトしていて、そこのバイトではMacを使ってたんですが、当時もう「もう印刷業だけではやっていけない」みたいな話になっていましたね。

ぼく自身「デザインやれば」とずっと言われていたし「インターネットのデザインをしなきゃいけない」という時代になっていった。

そうなるとインターネットというものが当時は本当に、何というか「良いもの」に思えていたんでしょうね。誰でも等しく発信できるし、今もそういう話題にはなりますけど、権力者に対抗できる手段のように思われていた。

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Photo: Ryuichiro Suzuki

——インターネットがまだカウンターだった時代でしょうか。

そうえすね。カウンターだし、オルタナティブだし。やっぱりインターネットがあることで何か「良いことしかない」みたいに思ってたんですよね。

だから、それこそルネサンスじゃないですけど、活版印刷の普及で、キリスト教の教皇の教えだとか、それまで特権階級に占有されていたあらゆる知識が一般市民でもゲットできるようになった…、みたいなそういう何百年に1回の変革期ではあると思っています。

ぼくも喜んでましたし、個人的にノーナ・リーブスのホームページを作ったのも95、6年でした。なので、さっき言ったように自分もそういうインターネットの恩恵を大いに受けてきています。

それに今は定額ストリーミングサービスがあるし、自分もめちゃくちゃ使っていますね。

渡辺美里さんと尾崎由香ちゃんという大御所と新人みたいな両極端な人たちに曲を提供しているですが、両者ともストリーミングサービスで聴けるんです。

CDを買わないと聴けなかった時代とちがって、美里さんの曲を何年も聴いてないという人も聴くチャンスがあるわけなので、レコードとCDとストリーミング、どれが一番いいと決める必要はないと思います。

選択肢がひとつ増えただけ

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Photo: Ryuichiro Suzuki

——どれが一番いいと決める必要はないというのは、インターネットコンテンツと本にも同じことが言えそうですね。

うん。それで、2019年も終わりに近づいてますけど、2010年代が終わって20年代になったときにいわゆる「紙の本がなくなる」ということはないとぼくは思っています。

たまに気を使って表紙しか載せない人もいるんですが、この本も、ぼくは「写真バンバン撮ってドンドンSNSにあげて」と言っています。別にネットで本の内容を見たところでこの本の価値が下がる訳じゃないと思うんです。

著作権とかあるでしょうけど、ネットにあるこの本とここにあるこの本とはいろんな意味で価値が違うと考えています。

だからそういう意味では、2020年代は使い分けがキモになるんじゃないかなって。

さっき言ったように、「歩くときは歩いて、自転車乗るときは自転車に乗ろうよ」という風に、使い分けを模索しながら、2020年代はまただんだんと変わっていくんじゃないかなと思ったりもしてます。

——インターネットもその選択肢のうちのひとつにすぎない、と。

ぼくは「ひとつのかたちでしかできない」というのはすごく不便なことで、「本当の自由な人」というか「本当に力を持っている人」はそういう選択がとれる人だと思うんです。

本も「読めば終わりやん」というものはだんだんなくなっていくけれど、そうじゃないものは残ると思うし、ゼロ年代から10年代にかけて皆がインターネットに見た全能感というか、「ある種の幻」みたいなものも消えかけてるな、という風に思います。

「お前短髪のほうが似合ってたで」みたいな

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Photo: Ryuichiro Suzuki

——インターネットじゃなきゃだめ、紙のほんじゃなきゃだめ、みたいにどれかの選択肢に固執せず、とっさに選べる選択肢が多ければ多いほど良くて、その判断をタイミング毎に瞬時にできるスキルが必要ということですね。

これはいつもする例えなんですが、球児って丸坊主にさせられて、中高と野球やるじゃないですか。そういう人たちって高校で野球をやめた瞬間にみんなロン毛にするんです。

たぶんそれまでの反動があるんでしょうね。だけど、何か変に似合ってない。「お前短髪のほうが似合ってたで」みたいな。で、次に会うとパーマかけてたりして(笑)。でも、しばらくするとクルーカットみたいな、短めの髪型に落ち着いてる…みたいな。

ずっと坊主を強制されていてその抑圧から無理くり長くしてみたけど、「やっぱちょっと短めのほうが似合うな、おれ」みたいになって、変わった髪型とかせず、ちょっとスポーツ刈りがカッコよくなったみたいな感じに落ち着くことってあると思うんです。

インターネットも、人類の歴史の何かそういう「やれてなかったことがやれた」っていうのがこの20年。それで「やってみたけどまあそんなもんかな」っていうふうに2020年代はなるような気がしています。

ひとつ理解すれば、別のことにも通用する

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——本の話に戻りますが、選択肢がたくさんあるなかで、西寺さんの考える「手書きのノートをとること」のメリットや楽しみについて教えていただければ。

今回の本には、ぼくが高校生のころにとった世界史の授業のノートも載っています。

ぼく、世界史は受験で必要なかったんですけど一生懸命勉強していて。受験のためにとか全然関係なく、面白いからやってたんですが、結局それはぼくが今プロになったときに超役立っていたりする。音楽の歴史も世界史も結局一緒なので。

だから、何かに夢中になった時に「こんな勉強して何の意味があるの?」という人がいても「いやいや、長い目で見て意味あるよ」と胸を張って言えます。

——こうやってノートそのものが書籍化もされましたしね。

西寺:書籍化したこともそうですが、ものの考え方・捉え方を一度理解すると他のものに応用することができる、ということもあります。

ちょっと姿勢が違うから練習はいるかもしれないけど、普通の自転車に乗れるようになればスポーツタイプの自転車にも基本は乗れるじゃないですか。

学校の勉強でも、歴史で学んだことが音楽にも通用する…というのはあると言えるので。まずは子どもたちに向けてノートの作り方をひとつ見本を見せる、というところがあって。それと大人もちょっとこう先入観をとって、手書きでも、そっちのが伝わるならそっちを選ぶべきだと。

ただ一点、ノートの完成形しか見せられていないはこの本の弱点といえます。ノートをとるプロセスがなくていきなり完成したものが載っているのは、料理で例えるとレシピがなくて出来上がりの写真だけが載っているみたいなもので。

ノートづくりのワークショップは一度開催しましたが、かなり手応えがあったのでまた開催したいですね。友人のスタイリスト伊賀大介くんは「郷太くんのノートメソッドで〝こんまり”みたいになるんじゃない?って言ってます(笑)」

——もっと実用寄りの内容ということでしょうか? まずを全体図のイメージを用意して、そこから切り分けする…みたいな。

西寺:料理本だと、ネギ2本とか塩小さじ1杯を用意してここで使っていく…とか。ぼくは料理をあまり知らないから全部レシピ通りにつくるんですが、そしたらできたってこともあるだろうし。

——それを繰り返し続けることで、ここで塩を入れる意味とは…と実感としてわかる瞬間があったりして。

西寺:そう、それを繰り返すことで、冷蔵庫の中のありあわせのもので適当に料理を作れるようになる。そうなったらもう上級者じゃないですか。

そういう「言われた通りにこれをやって」という要素がこの本にはないので、この本の次の段階として考えられるのは、小学生や中学にそういう思考のプロセスを伝えること。

運動でいうとストレッチみたいな基礎的な体や筋肉の動かし方がノートづくりに当たると思うので、数学云々の前に、学問を捉えるための「わかる・整理する」ためのノートメソッドを伝えられたら、若い人がもっといろんなものに興味を持てるようになると思うんです。

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Source:スモール出版

岸田祐佳

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