「ふざけんなよ、この野郎!」と言い合える仲の良さを築く方法
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友だちに「ふざけんなよ、この野郎!」と言えるのって最高です。
本当に怒った時ではなくて、友だちがあなたを怒らせようとふざけていて、あなたもそれがわかっているような時。
この場合の「ふざけんなよ、この野郎!」は「信頼し合っていて、仲も良いから、かしこまる必要はない」を意味しているのです。
「礼儀正しい」のは良いことです。
見知らぬ人や知り合いや仕事仲間と、物事をスムーズに進められます。しかし、それにも限度があります。
礼儀正しくあるとは、人との距離を保つことです。
知らない人にうっかりぶつかってしまった時に小声で謝ったり、メールを「○○○様」で始めて「よろしくお願いいたします」で締めたり、世間話では突っ込んだ質問はしないというような状態です。
自分から距離を縮める
礼儀正しくかしこまらないというのは、ある意味栄誉の証です。嫌な奴になるということではなく、「こんにちは」から「やあ」に変わるということです。
パートナーが家にいてもうんちができたり、仲の良い友だちに「あなたたちは子作りしてるの?」と聞けたり(相手も同じことが聞ける)、たまに相手におごらせたりする、というようなことです。
嫌な奴になったのではなく、むしろ相手に心を許しているのです。
自分が建前なく接すれば、相手も建前なく接します。相手が突っ込んだ質問をするのを許せば、相手にもそれを許すように求めます。
相手のことを尊重しつつ、相手との距離を縮めるのです。
「CD Baby」の創業者Derek Siversは、これを“メタ気遣い”と読んでいます。
Sivers曰く、気を遣うというのは、思いやりを示したり何かを与えたりして、相手の愛情を勝ち取るという意味です。
“メタ気遣い”をするというのは、大好きで仲が良いから平等に(多少フランクに)扱って、相手にもそうさせるという意味です。
重要なのはバランス
当然ながら、これにはバランスがあります。
バランスがすべてと言ってもいいです。
友だちが失礼過ぎることをすることもあれば、あなたが互いの関係を勘違いしていることもあれば、相手の反応をチェックしそびれて恥をかくこともあるでしょう。それが人生です。
あらゆるコメディ・ドラマや滑稽なことのもとになっています。
誰もが完璧な合理主義者だったり、スター・トレックの惑星のように無意識のテレパシーがあったりするわけではありません。
また、これはダンスみたいなもので、リードしたりされたりするものです。
相手の家に先に歯ブラシを持ち込んだり、ママ友に「うちの子、ムカつくんだよね」と先に冗談っぽくかましてみたり、グループチャットで何かをこき下ろしているのに乗っかったりすることです。
少しだけ先読みしよう
見知らぬ人に“メタ気遣い”をすることもあります。
かしこまって静まり返っているところに、軽口を叩いたり、相手を褒めたりすることで、空気を和ませることもできます。通常のエチケットに背くようなことが、逆に良いことになることもあります。
知らない人を騙したり、批判したり、立ち入ったことを聞きすぎるのは、“メタ気遣い”ではありません。近道を教えてあげたり、赤ちゃんに手を振って挨拶したりするのは“メタ気遣い”です。
個人的には、“メタ気遣い”というのは少しだけ先を読んで何かをすることだと思っています。
また、車道を走っていたとしても歩行者を優先するような「適切に礼儀正しくすること」と、普通に道路交通法を守りつつも横断歩道では譲ってあげるような「実用的に礼儀正しくすること」の違いにも気をつけましょう。
そうすれば、友だちには本当に親切にしながらも、時には「ふざけんなよ、この野郎!」と言えます。
当たり前ですが、相手が嫌な思いをしないレベルにしましょう。
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Image: Shutterstock.com
Source: sivers
Nick Douglas - Lifehacker US[原文:Be Less Polite]
訳:的野裕子
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