特集
カテゴリー
タグ
メディア

書評

不機嫌になりそうになったとき、思い出したい3つの考え方

不機嫌になりそうになったとき、思い出したい3つの考え方
Photo: 印南敦史

慌ただしい日々を送っていると、ちょっとしたことで不機嫌になってしまいがち。

とくに気が張っている週明けは、普段なら気にならないことまでに敏感になってしまったりするものです。

そこで参考にしたいのが、『いちいち不機嫌にならない生き方』(名取芳彦著、青春新書プレイブックス)。

著者は東京・下町の住職であり、以前にも『感性をみがく練習』『1分で悟り』をご紹介したことがあります。

不機嫌は、自分の都合通りにならないことが起きた時に現れる心の反応です。これを仏教では「苦」と言います。 都合通りにならないことは、「こうしたい」「こうあるべき」という都合があるかぎり、今も昔も、洋の東西を問わずいくらでも出てきます。最近になって都合通りにならないことが増えたわけではないでしょう。

その日の天気や健康状態、レジの順番待ちや車の渋滞、人間関係、株価や為替に至るまで、自分の思い通りにならないことは星の数ほどあります。それにいちいち反応して不機嫌になれば、一日中、否、一生不機嫌な顔をして過ごす羽目になります。(「はじめに」より)

でも、そんな生き方を望んでいる人はいないはず。

そこで、たとえ不機嫌になったとしてもすぐになおすこと、そして、最初から不機嫌にならないようにすることが大切だというわけです。

ただし、不機嫌にならないようにするための対処法を身につけるためには、練習が必要。

そこで本書では、世の中にあふれている“自分の都合通りにならないこと”をどのように考え、対処すればいいのかを仏教の教え(とくに知恵)を土台として展開しているのだそうです。

きょうはそのなかから4章「心のツボを外さない“初動消火”のコツ」に焦点を当ててみたいと思います。

陰口を言う人にイラッときたら

友人、同僚、上司、あるいは芸能人など、自分の好きな人のことを悪く言われると、人は嫌な気持ちになるものです。

それは、好きな人が否定される嫌悪感ばかりでなく、その人のことが好きな自分の価値観をも否定されたような気になるからではないでしょうか。

ところで誰かに好意を抱く場合、その理由はさまざまです。

「ルックスがいい」「スタイルがいい」などの見た目から、「やさしい」「嘘をつかない」「気配りができる」などの性格も、それを魅力的に感じれば“好きな理由”になるということ。

しかしその一方、また違った面を見る人がいるのも事実。

たとえば、こちらが「見た目がいい」と好意的に見ている人について、「たしかに見た目はいいけれど、ちょっとした仕草のなかに自己顕示欲が見え隠れするから嫌だ」というような悪口を言う人もいるわけです。

つまり、自分とは別の面を見ている人はいくらでもいるということ。

良い面を見ているあなたにとってはショックかもしれませんが、別の見方もまた一つの側面であることに間違いありません。それを踏まえた上で、あなたが魅力的に感じている部分を伝えればいいのです。

そうすれば相手も「へぇ、そんなところもあるんですか。ちょっと見直しました」と見方を改めてくれるかもしれません。(103ページより)

著者は“自分だけが知っている”というように観察眼をひけらかし、他人の欠点をあげつらう人がいるのは仕方がないと思っているのだそうです。

もし悪く言われた人が自分の好きな人だったとしたら、悪口がそれ以上拡散しないよう防波堤になることが自分の役割だとも。

経験上、歯止めになる効果的な言葉は、

「でも、あの人は人の悪口を言わないからすごいよ」

「でも、あの人が自分の自慢話をしたのを聞いたことがないんだ」

です。

(103ページより)

こう伝えると、陰で他人の悪口を自慢げに言っている人の多くは、自分の悪いところを指摘されたような気がして(実際そうであるわけですが)意気消沈するというのです。

もちろんそれは、勢いよく悪口、陰口を言う人の勢いを削ぐことになるかもしれません。

でも、好きな人を守るためには、そのくらいの歯止めは許されるだろうと考えているのだそうです。(102ページより)

ダラダラ続く愚痴をストップさせることば

「愚痴を延々と聞かされるのはたまったものじゃない」と、愚痴を聞かされた当人が愚痴をこぼすことがあります。

「愚痴」は、仏教では「貪り」と「怒り」と共に、心を乱す三代煩悩の一つ。愚も痴もおろかという意味です。

仏教の場合は「仏教の教えを知らず、ものごとの道理や真実の姿を知見することができないこと」を表しますが、一般的には「言っても仕方がないことを言って嘆くことでしょう。(104ページより)

この愚痴には「こぼす」という動詞が使われます。

「こぼす」には「ジュースをこぼす」のように外に出てしまう、「急須にある余ったお茶をこぼす」など外に出して捨てるという意味があります。

その他、「よだれをこぼす」など、こらえきれずに落とすと言う意味も。

いってみれば、収まるべき場所に収まらず、外にあふれ出てしまうのが愚痴だということ。

愚痴を収める心の容量がいっぱいになってあふれ出てしまうのですから、それを止めることはできないわけです。

そこで、愚痴だと思ったら聞いてあげればいいのだと著者は言います。

「愚痴ばかりで嫌になる」と愚痴をこぼすのは、自分の心の容量が小さいからだと考え、「まだまだだ」と思って入ればいいという考え方です。

そして容量を超えたぶんは、すべて吐き出してもらえるように、「なるほど」「そうなんですか」「へぇ」とあいづちを売っていればいいということ。

吐き出すだけ吐き出したら、「ああ、サッパリした」「まあ、愚痴だけどね」とスッキリできるもの。

裏を返せばその程度のことなので、愚痴好きの人には適当につきあってあげるのも大人の振る舞いだということです。ただし、愚痴に同意は禁物だといいます。

たとえば「あの人、こんなことしてひどい人なんですよ」という愚痴を聞いたとき、「それはひどいですね」と同意してはいけないということ。

なぜなら同意することによって、「あの人も、あなたのことをひどいって言ってた」と伝えられてしまう可能性があるから。

そうなると、自分の立場がなくなってしまうわけです。

そう主張する著者は、話の内容が愚痴だと判断できた場合は、同意せずに聞くだけ聞いて、一瞬の間を見逃さず、「でも、あなたはまだいいほうですよね」と言うのだそうです。

すると大半の人は、「まあ、そうなんですけどね」と愚痴を切り上げてくれるものだから。(104ページより)

マナーが悪い人を許せない人の共通点

人はさまざまな成功や失敗を繰り返しながら生きていくもの。

また、自分だけではなく他人の成功や失敗から、こんなときはこうしたほうがいい、こうしないほうがいいと、多くのことを学ぶものです。

そして、学べることが成功からより失敗からのほうが多いものでもあります。

そのことを踏まえ、著者は「年をとるメリットは、許せることが多くなること」ということばを考えたのだそうです。

失敗から学ぶことで、他人の失敗を許せるようになるものだということ。

やるべきことを後回しにして大失敗したことのある人は、同じ失敗をした人に対して寛容でいられます。

いいかえれば、自分の失敗からなにかを学んだ人は、他人が同様の過ちをおかしてもやさしく共感することができるわけです。

そういう意味では年齢に関係なく、「失敗からなにかを学んだ人は、許せることが多くなる」というべきかもしれないわけです。

著者の周囲にはそのように寛大なお年寄りが多いそうですが、世間には「年をとると頑固になる」「許容できる範囲が狭くなる」という意見を持っている人も少なくありません。

著者によればそれは、失敗を活かすのではなく、まがりなりにも自分のやり方で成功してきたという成功体験が優先しているから。

「嘘をつかない」を信条にしてうまくやってきた人は、嘘をつく人を許せないもの。効率を重視してうまくやってきた人は、効率の悪いやり方をする人を悪く言うでしょう。

正義感が強い人は、少しでも悪いことをする人を責めるだけで、悪いことをしてしまう人の心情を理解しようとはしないものです。だから、そうした場合はイライラしてしまうわけです。

そこで、自分と異なるやり方をしている人に出会ったら、弁護士になったつもりで、相手の気持ちを理解してみるべきだと著者は言います。

「そのやり方をしたくなるのはわかる。わかるけど、私ならしない」でいいというのです。それだけで、イライラは大幅に減るそうです。(106ページより)


自分のなかの不機嫌を野放しにしておくと、「不機嫌が服を着て歩いているような人」として敬遠されることになるかもしれません。

また、そんな人ばかりになれば、後世の人は私たちの時代を「不機嫌な時代」と呼ぶようになるだろうと著者は記しています。

そうならないように、本書を通じて機嫌をなだめる力を手に入れ、大きな心で期限よく過ごせるようになりたいものです。

あわせて読みたい

この発想。イヌイットは子どもに怒りのコントロール術をどう教えるか

人に親切にすることで、不機嫌から脱出しよう

Photo: 印南敦史

Source: 青春出版社

印南敦史

swiper-button-prev
swiper-button-next