特集
カテゴリー
タグ
メディア

世界7都市での邦人向けフリーペーパー事業を一代で築いた、起業家・新谷哲士さんが考える「働き方、生き方」

世界7都市での邦人向けフリーペーパー事業を一代で築いた、起業家・新谷哲士さんが考える「働き方、生き方」
世界7都市で邦人向けフリーペーパー事業を展開している新谷哲士さん。
Photo: Kasumi Abe

ニューヨークをはじめハワイ、シンガポール、インドネシア、ベトナムなど世界7都市でフリーペーパー事業を行なっている、起業家の新谷哲士しんたに・てつじ)さん。

昨今、ウェブメディアやSNSを活用した、情報配信やマーケティングがますます盛んになるなか、2001年ニューヨークでフリーペーパーを創刊して以来、ずっとにこだわり、世界各地に進出してフリーペーパー事業を一つひとつ築いてきました。

世界展開を見据え、2008年にニューヨークの社長職をいったん退きましたが、今年10年ぶりに社長職に復帰し、時代の移り変わりに合わせて紙面イメージやコンテンツのテコ入れを図っています。

久しぶりのニューヨーク生活はどうなのでしょうか? また、日本を含め世界8都市に拠点を持つ生き方や、伸びしろのある東南アジアでのビジネスの展望などについてお聞きしました。

新谷哲士 Tetsuji Shintani

世界7都市でフリーペーパー事業をする起業家。ニューヨーク市立大学卒業後、リクルート入社。1999年に渡米し、サンフランシスコで現地法人向けの日本語フリーペーパー『BaySpo』を立ち上げる。2001年ニューヨークでTrend Pot, Inc.を設立し、日本語のフリーペーパー『NYジャピオン』を創刊。その後、ハワイ(カウカウ)、ベトナム(ベッター)、インドネシア(ライフネシア)、マレーシア(エムタウン)、シンガポール(シンガライフ)、フィリピン(プレコム)を、現地ビジネスパートナーとともに創刊。三重出身、ハワイ在住。

2018年にして「紙」メディアへのこだわり

── 新谷さんはこれまでずっと、フリーペーパービジネスをしてこられました。紙へのこだわりはどこからでしょうか。

新谷:特に紙だけにこだわったってきたという意識はないのですが、紙メディアは紙メディアでウェブメディアにない特性があると思っています。特にニューヨークの在留邦人向けとかハワイを訪れた日本人観光客向けなど、限られた地域の限られた特性の人に発信していくのであれば、紙で発信する方が有効なこともあります。

そして、ウェブにはウェブの特性があります。例えば日本からハワイの情報を旅行前に調べる際は、ウェブサイト検索が早くて良い場合もあります。ウェブは広い地域の大多数を対象に発信するには向いていますね。

ちょうど今、2001年に私が最初に創刊したニューヨークのフリーペーパー『NYジャピオン』のリニューアルの真っ最中ですが、紙面のみならずウェブサイトの大きなテコ入れも行なっているところです。

IMG_0360
新谷さんが世界中で創刊した邦人向けの日本語フリーペーパー。『NYジャピオン』は週2万3000部発行。一番多い発行部数は、ハワイの月刊誌『カウカウ』の月5万部。
Photo: Kasumi Abe

── リニューアルのきっかけは?

新谷:ニューヨークのフリーペーパーを創業したのは17年前ですから、そのぶんメディアも年を取ってきています。でも読者層であるニューヨークの駐在員層や現地に住んでいる邦人の方の年齢層は逆に若くなってきているので、メディアも若返りが必要だと感じました。

また、ニューヨークにある日系企業は昔に比べて少人数で回しているところが多くなったので、そのような時代の移り変わりに応じた新コンテンツを考えていかなくてはいけない、と思っている最中です。

── 今、生活のベースはどこなのですか。

新谷:生活の基盤は家族がいるハワイなのですが、今年ニューヨークの社長職に復帰したので、しばらくニューヨークに住んでいました。これからも定期的に年5、6回は戻って来る予定です。

── 久しぶりにニューヨークに戻って、いかがでしょうか。

新谷:創刊した2001年というのは911同時多発テロが起こった年、また社長職をいったん退任した2008年はリーマンショックの直前という、エポック的な年をそれぞれここで過ごしてきたわけですが、10年ぶりにゆっくり街を見てまわると、変化や発展、景気の良さがよくわかります。

例えば、街全体が端から端まで隙間なく区画されて、すっかり商業都市化してしまったなということです。昔は、マンハッタンでもローワーイーストサイドのようないわゆる「端のエリア」には、アーティストたちが安く住めるところがまだたくさん残っていました。けれど今は、端の端の端まですっかり再開発されてしまい、ビジネスとして採算が合わなければ残っていけないようになりましたね。

── ニューヨークに来る前は何をされていたのか、お聞かせいただけますでしょうか。

新谷:私はもともと日本のリクルートで2年半、広告営業マンとして働いていました。サンフランシスコで日本語のフリーペーパーの創刊を企画している学生時代の友人から協力依頼を受けたのが渡米のきっかけです。『BaySpo』という日系紙の立ち上げをし、2年後に自分でフリーペーパーを創刊したいと思い立ちました。そして、2001年1月にニューヨークにやって来て、その3カ月後の4月に『NYジャピオン』を創刊しました。

── 邦人向けの日本語フリーペーパーがなかったから、ニューヨークへ?

新谷:いくつかあったのですが有力紙が有料だったので、大きなビジネスチャンスがあると思いました。当時はまだインターネットで入手できる情報が限られていたので、日本のスポーツ新聞社から芸能やスポーツニュースを買い取る手法で『NYジャピオン』に盛り込みました。それが大当たりして事業が軌道に乗りました。

2008年まで社長を務めましたが、ほかの都市でも事業をしたいと思って社長職を退き2009年に帰国、その1年後にハワイに移住しました。

── 次の事業の拠点としてハワイや東南アジアを目指したきっかけは何だったのでしょうか。

新谷:そもそも考えていた「ビジネスマンとしてのゴール」は、しばられない生き方でした。1ヵ所でビジネスを成長させていくより、自分が行きたいところに行って、それぞれの場所で0を1にするビジネスに面白さを感じていました。

その考えに辿り着いたのは、リクルートでの新人時代です。リクルートでは思った以上に、自分は仕事ができないと気づきました。また、これも以前から薄々気づいていたことですが、私は人に命令されるのが無理だということも、そのときにはっきりとわかりました。そんな自分が生きていくには、起業するしか方法がありませんでした。

── 上司からこっぴどく叱られたとか、そういう経験を通して気づいたのですか。

新谷:いいえ。リクルートは優しくて本当にいい人が多く、私は恵まれていました。いじめもないし、当時の私は大して仕事ができないにも関わらず上司に辞めたいと申し出たら、希望の部署に移してくれて辞める前にもう一度チャンスをくださったことも..。そんな素晴らしい会社でさえも、私は3年とつとまらなかったです。

IMG_0327
Photo: Kasumi Abe

起業家として「気づいたらこれだけの数をやっていた」

── 現在は世界7都市で事業をされています。経営は現地の代表者に任せているとのこと。人探しはどのようにされていますか。

新谷:探したことはなくて、皆さんご縁で出会った方々です。そして気づいたら、これだけの数を一緒にやっていたというのが正直な感覚なんです。そもそも、最初からここまで規模を広げようなんて、思っていなかったですから。

そして、もっと売り上げを上げようとか社員を増やそうとか、そういうビジネスの規模を大きくすることに重きを置いていないです。上場も考えていません。逆に上場すると、それこそしばられてしまいますからね。

── 起業家としてこれまでお手本にしてきたような、メンター的な存在はいましたか。

新谷:この年になって改めて考えてわかったのは、私は父親から大いに影響されてきたんだなということです。

地元の三重で歯科の開業医をしている父は、80歳になる今も週5日働いています。70歳になるまで、丸1日休みがあるのは1年で正月三が日だけ、自由時間は毎週木曜と日曜日の午後3時以降だけ。そして、毎日朝8時から夜11時までの間に100人以上を診察、というようなスケジュールでずっと働いてきました。

でも父は、やらされてやっているのではなくて自分でやりたいから、そして開業医としての社会的責任も含めて、やるべきことをずっとやってきています。だから仕事に対して不満はなく「死ぬ前日まで働きたい」と言っています。

そんな父をずっと見てきて、今の自分の生き方は知らず知らずに父の影響を受けてきたんだなと思っているところです。

── 起業家として、常に求めていることは何でしょうか。

新谷:一緒に私とビジネスをしてくれている各国のビジネスパートナー、スタッフの経済的成功も含めて、共に成長していきたいということです。

世界8拠点生活、メリット&デメリット

── 日本も含めると世界8都市に拠点がある生活は、なかなか忙しそうですね。

新谷:拠点は確かに多いですが、想像するほど大変ではないです。ニューヨーク以外は代表をしていないのと、配当金以外でお金をもらっていないので、会社を成功に導く義務はあるものの、フィジカル的にいなくてはいけないという義務はないからです。事業は現地代表者を信頼して任せていますから、必要があれば赴くけど、必要が特になければ赴かないというスタンスです。

特に地理的な近さもあって、東南アジアは各国間で連携を図っています。私が全部の国をまわるのではなく、どこかの国に集まってもらって代表者同士のミーティングをしたり、営業スタッフの勉強会を行なったりしています。

ただ最近思うのは、飛行機って自分が思っている以上に体力を使うんだなっていうことです。移動中は寝ているだけなのに体力をすごく消耗する感覚がここ数年あって...。数年前まで気にならなかったのに、最近はなかなか時差ボケが取れないです。やっぱり年齢が関係あるのでしょうか(苦笑)?

IMG_0297
Photo: Kasumi Abe

気候がよくて住みやすいハワイ生活

── ハワイでの生活についてもお聞かせください。ニューヨークの後になぜハワイへ拠点を移したのですか。

新谷:ハワイは2004年に観光客向けの日本語クーポン誌『カウカウ』を発刊しましたので、以前からよく訪れていました。気候がよくて、日本人には住みやすいのでここに住もうと決めました。

── 3人のお子さんがいらっしゃいますが、教育面はどうでしょう。ハワイは伸び伸びと育てられる場所でしょうか。

新谷:自然が豊かなので、中学生くらいまでの教育はよいのかもしれないですね。でも学力レベルが高いわけでは決してないです。

そして特に男の子は、社会で生き抜くために戦うベース作りを高校生くらいでしておかないと、実際に社会に出て競争で勝てないです。いくら頭が良くて技術や資格があったとしても、コミュニケーション力がないとそれらを発揮できません。

私の子どもにも、楽しいときや悲しいときに、他人とどうコミュニケーションをとるか、いじめられたときにどう対応するか、人と喧嘩したり女の子に振られたりとさまざまなことを経験し、自分で考え、成長していってほしいと思っています。

しかしハワイは小さな島なので、そこでベースを作り上げるのは限界があるような気がします。ずっと親が養っていけるくらいの財力があれば別だけど、そんな人生は子どもにとっても幸せじゃないと思います。うちの息子は10歳と7歳なので、あと5年くらいで島の外に、日本でもアメリカ本土でもどこでも本人が希望する場所に出す予定です。

── ハワイ生活のライフハック、例えば住民だからこその便利でお得な情報はありますか。

新谷:カマアイナレートていう、レストランやゴルフ場などのハワイ州の免許証を持っていると地元割引があります。最近はだいぶん減ったけど、カマアイナ割引のあるランチを提供している店はまだ多いです。

どのくらいお得なのかは、公共のゴルフ場は日本でもニューヨークでも、通常カート代込みで相場は150~200ドルぐらいですが、カマアイナ割引だと50ドル位でプレーできるなんてこともありますよ。

勢いのある東南アジアでのビジネスと今後の展望

── 東南アジアの中でも、特に今後伸びそうな国はどこでしょう。

新谷:どの国も今後さらに伸びていくと思いますが、その中でも特に経済成長率が高いのは、ベトナムインドネシアです。日系企業の進出も増えているし、マーケットがまだ完全にでき上がっていないという状況なので、ポテンシャルが大いにあります。

── 事業をする国は今後も増やしていく予定でしょうか。

新谷:紙メディアとして貢献できる都市は限られるので、今後積極的に国を増やすつもりはないです。でも、それ以外のビジネスとしてナレッジがたまったら、まだほかにもやっていける国はあるのかなと思っています。

例えば、日本は出版の歴史が長いしビジネスのまとめ方が上手なので、生活やエンタメなど多くの情報が蓄積されています。でも発展途上国ではそういう情報がうまくオーガナイズされて発信されていないので、そのようなビジネスであれば、まだチャンスは大いにあると思っています。

── 最後に、今後のビジネスの予定や展開をお聞かせください。

新谷:私は年齢が50手前なので、紙のメディア事業であと10年くらい生計を立てられれば十分だと思っています。しかし、私のビジネスパートナーやスタッフはまだ若く30代、中には20代もいます。彼らにとってはこれからあと20年、30年、40年、この紙メディアの商売で飯を食っていかないといけないわけです。

あと10年くらいなら何とかなるかもしれないけど、20、30、40年後までこのビジネスモデルが持つかどうかというと、実は私自身疑問なんです。だからビジネスとして今後も成り立っていけるような次の時代の柱を、これから5年、10年かけて作り上げていかなければと思っている最中です。

それはもしかしたらメディアではないのかもしれないです。ただ少なくとも今後も必要とされるのは、日本人や日本の企業が海外で活躍していこうとする際の、現地での生活や事業拡大のお手伝いでしょう。現地で求められるニーズがある限り、それに対応できる「何か」を今後も提供していきたいと思っています。

あわせて読みたい

夜型から朝型に。ニューヨークのIT企業で働くウェブ開発者デヴィッド・リヴェラさんの仕事術

NYの金融業界で20年活躍し、子どものための活動に転身したキャリアウーマンが考える「これからの子育て、教育、生き方」


Reference: NYジャピオン,カウカウ, ベッター, ライフネシア, エムタウン, シンガライフ, プレコム

取材・撮影/安部かすみ

安部かすみ

swiper-button-prev
swiper-button-next