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苦しい親子関係から脱却するために、「親の正論」よりも「自分の欲求」を尊重しよう

苦しい親子関係から脱却するために、「親の正論」よりも「自分の欲求」を尊重しよう
Photo: 印南敦史

心理カウンセラーである『「苦しい親子関係」から抜け出す方法』(石原加受子著、あさ出版)の著者によれば、親との関係で「つらい、苦しい、やりきれない、腹が立つ、憎い」といったネガティブな感情に囚われ、「親の存在そのものが苦痛だ」と訴える人たちが増えているのだそうです。

なかには、すでに抜き差しならない状況に陥っているケースも少なくないのだといいます。

最初から親との関係に悩んで相談する人もいますが、職場の上司や同僚などとうまくいかないという相談が、話を聞いていくうちに、最後にはこの「親子関係が苦痛」に行きつくという人もいます。

また、親自身が子どもについて悩んでいる場合でも、その発端は、自分の親子問題の前に、親自身の「親」との問題だったのだと気づくケースもあります。 このように親子問題は、親子三代にわたっての、言わば家系として続いている問題とも言えるのです。(「はじめに」より)

しかも、そんな親子関係は、昨今ではいっそう深刻化しているといいます。その原因や理由は、現在の社会状況。もともと苦しかったものが、社会に変化に伴い、声を上げざるを得ないほど苦しくなり、表面化するケースが増えたということ。

そこで本書では、「母と娘」の関係を軸に、親子関係を苦しいと感じる心のメカニズムを検証。コミュニケーションの取り方など、苦しい関係から抜け出すための具体的な方法を提示しているのです。

重要なのは、親子関係の全体像を正しく知ること。特に自分を責めてしまう子どもにとっては、「自分のせいではない」ということを知ることが大きな救いになるという考え方です。

また親を責めてしまう子どもにとっては、親が育った社会環境や教育環境を知ることで、「親だけが悪いわけではない」と、親を理解する心が芽生えることもありえます。

そうすることで、いざというときお互いに手を差し伸べ合える絆を取り戻せるかもしれないというのです。

そしてもうひとつ注目すべきは、社会が個人に影響を及ぼすように、個人もまた社会に影響を及ぼすということ。つまり自分の言動パターンを変えることで、結果的に、負の連鎖を断ち切ることができるということです。

そんな本書のなかから、きょうは第3章「『『親は親、私は私』になるために」に目を向けてみたいと思います。

「親がかわいそうな目にあう自由」を認めてあげる

親の世代では、子どもが一人前になると「親の面倒を見るのは当たり前」と考えられてきました。とりわけ長男は跡取りとして、親の面倒を見てきました。しかしご存じのとおり、最近では孫も含めた三世代の同居は少なくなっています。

仮に子どもの側に同居の気持ちがあったとしても、いまの社会においては、自分たちが生活するだけで精一杯。

以前なら働き始めた子どもが給料をそのまま家族の収入として家に入れていましたが、現在では、親が子供を経済的に援助している場合も少なくありません。

そのような社会背景のもとでは、親は老後の不安もあるため、経済的には援助をしながらも、心理的にはいっそう子どもに依存してしまうという現象が起きているのだそうです。裏を返せば、子の依存症でもあるわけです。

たとえば親が本当の意味で子どもを頼りにして生きるには、子の「経済的自立」が不可欠。ところが無意識のうちに、子どもが自分に依存するように仕向け、子どもの自立を妨げようとする親がいるというのです。

親が生活に干渉すれば、子どもは自立を難しく感じるはず。たとえば娘が自発的、積極的に行動しようとするとき、それに難癖をつけたり、足を引っぱったり、感情的になって反対したりすれば、自分の意思で行動することなどできなくなるわけです。

また、そんな親に「自分のことを理解してもらおう」としたり、干渉をかわそうと対決すれば、それだけで疲労困憊し、仕事をする気力さえ失われるかもしれません。

一方、母親は、自分の依存性が娘に苦痛を与えていることに気づかないどころか、適切に指導していると信じている可能性すらあるもの。

「少しは仕事を探したらどうなの?」などと追い討ちをかけて娘の自尊心を奪い去ったり、「いつまで生活の面倒をみてあげればいいのよ」というように、娘の自尊心を打ち砕くなどが考えられるわけです。

しかし、そのように親から精神的、経済的に自立できていないとしても、それは子どもせいではないと著者は言います。親が無意識のうちにそれを望んでいるからだということ。

強烈にそれを望みながらも、巧みなコントロールによって、子が自立できないようにしていったためだというのです。

要は母親が、自分の強烈な依存性から、子の健全な自立心を砕いているということ。そうした母親の依存性に対し、「母親とは縁を切りたい。もう二度と会いたくない」と娘が憎悪をたぎらせていくケースも増えているのだといいます。(82ページより)

自業自得が子を、親を成長させる

ただ、そういった確執であっても、それを解消していくための「原理」はとてもシンプルなものなのだと著者。それは、「お互いの自由」お心から認めることだというのです。

仮に親の目に、子どもの言動が不適切に映ったとしても、ときには「失敗をする自由」を認めることのほうが重要である場合もあるといいます。同じく、仮に子どもの目に、親の言動が不適切に映ったとしても、それによってかわいそうな結末になったとしても、「かわいそうな目にあう自由」を認めるほうが、親自身の心を救うことになる場合も少なくないそうです。

なぜなら、どんなときであっても、「自分の選択したことは、いつかは自分に戻ってくる」ものだから。「自業自得」といいかえることもできますが、つまりは自分の選択したことの結果を、自分が体験するということ。

良い結果も悪い結果も、自分が体験してこそ、心に強く刻まれ、その体験が飛躍的に自分を成長させます。 少なくとも、相手が転ばないようにと先回りして、安全なレールを敷いてあげるより、自分の意思で種を蒔き、自分の責任としてそれを刈り取る経験をしたほうが、はるかに自立心が育つと言えるでしょう。 これは、「母が娘に」対しても、「娘が母に」対しても、言えることです。(88ページより)

ただし親は、徹底した他者中心の時代に育っています。それは社会環境も家庭環境も「相手を優先」し、「上に従う」価値観が当然のように浸透していた時代。

いわば、そんな時代に育った以上、健全なコミュニケーションの取り方も学習できていないわけです。だとすれば、そんな親が子どもを理解するのは至難の技。まずは子ども自身が、親からの精神的自立を目指したほうが、はるかに懸命だということです。(86ページより)

親の正論より、自分の欲求

つまり親子間のトラブルの最大の元凶は、お互いの自由を認め合っていないこと。具体的には日常生活において、相手の選択を認めることなく、「自分に従わせよう」として相手の領域に無断で侵入したり不当に干渉したり、相手の同意もなしにお節介を焼いたりするといった行為。

そしてそれは、「自立心の欠如」によってもたらされているのだといいます。

さまざまなトラブルは、個々の自由を尊重するよりも、優位に立つ者が劣位に立つ者を「自分に従わせよう」とすることから発生しているもの。互いに「認め合う」ことの意味を理解できてはいても、それを日常生活の具体的な行動・行為として実践していくことは困難である場合が多いということです。

そして依存性の強い人たちは、自立という言葉に強く恐れを抱くもの。自分の経験によって生じている恐怖なので、リアルに感じるということです。しかしそれは、それぞれの親子関係や家族関係の不適切さによって心に刻んでしまった“幻の恐怖”なのだといいます。

心理カウンセラーとしての自身の経験から、現実問題として「認め合う」ことは恐ろしく軽んじられていると著者は指摘しています。たとえば「子どもさんのすることを、認めてあげてはどうでしょうか」と説いても、「いいえ、子どものやることは認めています」と主張する親も少なくないというのです。

ところが、その「認めている」という状態を詳しく聞いていくと、「それは、“認めていない”ということなんですよ」と言いたくなることも多いのだとか。

こういった親は、自分の論理で子どもを縛ろうとすることがあります。そして、そのことを指摘されると「私も、自分の親にそういうふうに躾けられてきたんです」と言い返したりします。

親は、“自分の親”に言われてきた、その通りです。だから、今、親は、自分の子供に同じことを言います。(中略) もちろん親は、仕返しするつもりで言っているわけではないでしょう。

躾として、あるいは常識として自分の親に言われてきたこと、教えられてきたことを、そのまま継承して、それを子どもに教えているつもりかもしれません。

本当はこんな時、親が「自分中心」になっていれば、自分が子どもにどんな気持ちで言っているかに気づくことができるでしょう。(93ページより)

重要なのは、それを言っているとき、ネガティブな気持ちになっているのか、それともポジティブな気持ちになっているのか。自分のなかになんらかのネガティブな気持ちが起こっているとしたら、自分が言っている言葉の奥にも、なんらかのネガティブな意識が存在しているわけです。

自覚はないかもしれないけれども、それは「自分がされたのだから、自分もしないと損だ」という報復的な意識。

このとき、子ども自身が、親が主張する「正論」に耳を傾けてしまえば、それを正しいと認識してしまうはず。そのため、親の言うことに従えない「自分が悪い」と思うかもしれないわけです。そうやって、従えない自分を攻めることになるのです。

人が人として自分の存在価値を認められるのは、自己肯定感のレベルによるもの。この自己肯定感は、自分の気持ちや欲求、希望などの「自分の心に沿った生き方がどれだけできるか」にかかっているといいます。

つまり、正論を優先するだけでは、自己肯定感は高くなりません。 自己肯定感の高低は、どれだけ自分の心に寄り添った生き方をしているかで決まります。(98ページより)

ここで娘が親の「正論」に従えば、自分の欲求を否定することになるでしょう。それは、自分の存在価値を否定することにつながってしまうというのです。(90ページより)




先に触れたとおり、本書では基本的に「母と娘」の関係性を軸として話が進められていきます。しかし、書かれていることの多くは、息子にも当てはまることだと感じました。

そういう意味では、親との関係に悩むすべての子どもに有効な1冊であるといえるのではないかと思います。


Photo: 印南敦史

印南敦史

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