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「吉兆」で実績を積み上げた「板場」が明かす、日本料理のすごさとは

「吉兆」で実績を積み上げた「板場」が明かす、日本料理のすごさとは
Photo: 印南敦史

日本料理はなぜ世界でいちばんなのか 私が「吉兆」で学んだ板道場』(渡辺康博著、あさ出版)の著者は、11歳から料理人を目指して料亭で修行を開始し、多くの経験を積んだのち、吉兆で指導者として活躍したという人物。現在は福岡において、株式会社春義代表取締役社長(兼・統括総料理長)を務めています。

私は長年「板場(いたば)」として生きてきました。「板場」という言葉は聞いたことがあっても、具体的にどういうものか、ピンとこない方も多いかもしれません。 世の中には二通りの“料理人”がいます。「板前」と「調理師」です。「板前」は、師匠について修行を積んだ人たち。一方の「調理師」は、調理専門学校などを卒業した公的資格を持つ人たちです。(中略) そして、板前の中に板場と呼ばれる人たちがいます。いま板前と板場は同じ意味で使われることが多いのですが、私は板前の中でも、より真剣に料理の道を究めようとする人間が板場だと考えています。(「プロローグ『一流になる!』それだけを考えて行きてきた」より)

日本料理は、板場の人たちが伝統と格式を受け継ぎ、よりよい味と文化を求めて精進してきた世界。著者にも「流れ板」として、4年間に全国36店を渡り歩いてきたという実績があるのだそうです。しかし、そうであるからこそ、いま日本料理の伝統や文化が根底から崩れようとしていることを危惧せずにはいられないというのです。

「食の多様化」が進む現代においては、リーズナブルな価格でなんでも食べることができます。ところがその分、本格的な日本料理店がないがしろにされるようになったということ。

しかし「食」は人間の基本です。栄養学的見地からも、“質のよいもの”を食べることが、健康長寿に寄与するといわれています。元気で長生きしたければ、できるだけ上質な材料を基にした食事をとることが大切です。(「プロローグ『一流になる!』それだけを考えて行きてきた」より)

そこで本書においては、自身の体験を振り返りつつ、日本料理の価値をも再確認しているのです。第6章「日本人が知らない『日本料理のすごさ』」から、いくつかのポイントを抜き出してみましょう。

肝心の日本人が「日本料理」を知らない

寿司の世界において、20年ほど前までは有名な「6大寿司店」がありました。しかし回転寿司が普及したこともあって、現在残っているのはわずか1店舗のみ。中堅のお寿司屋さんにしても経営は厳しく、多くの寿司職人たちが回転寿司チェーンに転職しています。

しかし、そんな寿司は実のところ、一週間修行をすれば握れるようになるのだと著者は記しています。意外な話ですが、その根底には寿司の成り立ちが関係しているようなのです。

いまでこそ寿司といえば、江戸前の握り寿司が主流です。が、それは江戸時代後期の文化年間に、華屋與兵衛(はなやよへえ)という人が、忙しい商人や職人のために、握ってその場ですぐ食べられるようにと考えついたのが始まり。いまでいえば立ち食いそばや、おやつのような感覚だったということです。

ところがその後日本料理の技術を駆使し、さまざまな手間がかけられるようになってから、江戸前寿司は発展していったというわけです。

たとえばアナゴやハマグリなどを、煮上げて煮汁を煮詰めた「ツメ」を塗って供したり、イカやシラウオ、ホタテを煮て使ったり。タコ、エビ、シャコなども同じで、湯通ししたあと、調味した酢に漬けたり煮汁で煮返したり。あるいは貝類や白身魚なども、軽く湯引きしてから使うなど。

つまりはそのようにして、時代の変遷とともに多くの工夫がなされるようになったわけです。

でもいまは、そうやって手間をかけた仕事は少なくなったと著者は指摘しています。「新鮮な素材なのだからあえて手をかけないほうが」という意見もあるものの、それでは「江戸前寿司」とは呼べないというのです。

銀座の「久兵衛」のような名店は、こうした工夫を重ねた江戸前寿司の伝統を守り、きちんとした仕事をしているものです。しかし多くの回転寿司で出されるものには、伝統が活かされているとは感じられないといいます。それは「おなかがふくれればいい」という程度のもので、「料理」と呼べるレベルではないということ。

日本料理はいま、世界中から熱い視線を送られています。しかし肝心の日本人が「日本料理」を知らない。これでは日本料理が廃れるのも無理はありません。ですから私たちは福岡の地で、少しでも多く、本物を求めてくれる人を開拓し、日本料理のよさを知ってもらいたい。そう思って、日本料理の看板をおろさずに頑張っています。(189ページより)

ちなみに「京料理」と呼ばれるジャンルがありますが、これは「有職料理」「精進料理」「懐石料理」、そして「おばんざい」といわれる「町家料理」の4本の柱から成り立っているもの。それを理解しているからこそ、著者は街で「京風料理」という看板を見かけると戸惑ってしまうのだそうです。いうまでもなくそれは「風」というだけで、本格的な「京料理」ではないから。

同じように和食の世界には、おかしな概念があふれ返っているといいます。その一例としてここで挙げられているのが「網焼きステーキ」。ステーキとは20センチ以上の長さの鉄板に肉を置き、温度が下がりきらないように均一の温度で焼いたもの。つまり「網焼きステーキ」は、「網焼きグリル」という二重表現になるわけです。

京料理も日本料理も和食も、必ず定義や意味合いがあるもの。しかし、つくる側がそれを把握していないのが現状だというのです。たとえばその一例が、「旬」についての考え方。

いまは一般的に、食べ物のいちばんおいしいときを「旬」と呼びます。しかし本来は、その土地で採れた献上品を都に納めるときが「旬」。紀州の国であれば梅干しを納めるときが梅干しの旬であり、東海地方であればお漬物、それを京都に納めるときが旬。つまり、収穫や水揚げされるときではないというのです。

当時は、場所にもよるものの、京の都までは平均で二カ月ほどかかったのだそうです。だからこそ、その時間差を知っておいてほしいと著者。本当の意味で「旬」という言葉を使う場合、少なくとも食に携わる板前は知っておく必要があるといいます。(188ページより)

「旬」や「刺身」の本当の意味は?

さらに著者はここで、「刺身」「お造り」という言葉はどこから来たのかという問題にも触れています。

献上するのに二か月かかるなら、たとえば鯛と平目を運ぶにはどうしたらいいのでしょうか? 当時の技術では、酢で締めるか塩漬けするかしかないわけですが、二カ月間塩漬けすると、鯛と平目はパッと見て区別しにくくなります。

そこで、鯛の刺身には鯛のひれを刺し、平目には平目のひれを刺すようになったそうなのです。つまりそれが、「刺身」の由来。そして桃山時代に、かの千利休が魚を上身におろして、一口大に切って、生で食べる「お造り」という定義をつくったのだとか。なお食べやすいようにという配慮から、お造りには一口大の「寸」=3.3センチという決まりがあるそうです。 つまり、いま食べられているのはすべてお造りだということ。

たしかに「薄造り」とは言っても、「薄刺身」とは言いません。しかし、そういうことに気づく人は少ないもの。せっかく板前という仕事をしながら、わけもわからずにお客様からお金をいただくのであれば、それは恥ずかしい限りだと著者は主張しています。

「鮪(まぐろ)」という字にしてもエピソードがあるそうです。寿司屋さんが湯飲みに、魚偏に「有」を書いて「鮪」という字を定着させたのですが、これは当て字だというのです。しかしそれが30年経つと、辞書にも載るようになったということ。

ちなみに「まぐろ」は、目が大きく黒い魚であることから「目黒→まぐろ」となったのだそうです。しかしその一方、常温に出しておくとすぐに黒くなってしまうので、「まっくろ→まくろ→まぐろ」と言われるようになったという説もあるのだといいます。

知識をひけらかすわけではありませんが、板前にも勉強が必要なのです。料理には料理学という学問があり、それを勉強すれば、当然、ガストロノミーの理論もあれば、栄養学も関係します。専門知識と専門技術のない人間は、高いお金はとれないのです。 偉そうなことをいうわけではありませんが、お客様からお金をいただく以上、こうした料理人としての“常識”を持とうとするかどうかが、板前の質を決めると、私は考えています。(191ページより)

著者は板前のあり方についてこう述べていますが、もしかしたらこれは、他のすべての職種についてもあてはまることかもしれません。




自分史的な側面も強いので、料理人として著者がたどってきたプロセスを確認することも可能。そこには、ビジネスパーソンが心にとどめておくべき“人として大切なこと”も数多く含まれています。日本料理の基本的な考え方を学べると同時に、人としてのあり方をも吸収することができるわけです。

Photo: 印南敦史

印南敦史

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