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映像化された作品は80本以上? かつてのサラリーマン小説の旗手、源氏鶏太とは

映像化された作品は80本以上? かつてのサラリーマン小説の旗手、源氏鶏太とは
Photo: 印南敦史

源氏鶏太を知ったのは、たしか中学生か高校生のころで、次から次へと読み漁った。多いときには、1日に数冊読んでいたほどである。別に、自分の読書ペースを自慢したいわけではない。それどころか、僕は「遅読家」についての本を出しているほど読書ペースが遅い人間だ。しかし、源氏作品ならそれが可能だったのだ。なぜなら堅苦しくもなく、難解でもなく、むしろ驚くほど親しみやすかったのだから。読みやすく、ストーリーは痛快でおもしろすぎるので、興奮状態が止まらなくなったということである。(解説より)

この書評ページではこれまで、ビジネス書を中心とした新刊をご紹介してきました。もちろん、その路線は今後も変わらないのですが、今回はちょっと趣向を変え、初めての試みとして小説を取り上げたいと思います。『家庭の事情』(源氏鶏太著、ちくま文庫)がそれ。1961年から雑誌『オール讀物』に連載され、文藝春秋新社(当時)から刊行された作品の復刻版です。

とはいえ、源氏鶏太という名の小説家を知る人は、実際のところ多くはないはず。そこで、まずは高度成長期に一斉を風靡したこの作家についてご説明しましょう。

源氏鶏太って誰?

源氏鶏太は、高度成長期にサラリーマン小説の旗手として一時代を築き上げた人気作家。長らく住友本社に勤め、経理畑のサラリーマンを続けながら多くの小説を書き続けたという実績の持ち主でもあります。つまり、そういう意味では、いまでいうパラレルワーカーの先駆け的な存在だったとも表現できるでしょう。

二足の草鞋を履き続ける苦労はかなりのものだったと思われますが、そのかいあって、1951年には『英語屋さん』で直木賞を受賞。他にも多くの作品が映画化・ドラマ化されています。映画化された作品だけでも80本におよぶというのですから、まさにモンスター級の作家だといえます。

そこまで支持されたのは、その作品のカラーがサラリーマンの心をガッチリとつかんだから。わかりやすいストーリーは漫画のそれに近いのですが、だからこそストレスをため込むサラリーマンの心のはけ口になっていたわけです。

源氏作品に登場する主人公には、どこか共通した部分があります。才気あふれる若手社員だったり、美しく性格もいいのに幸薄いOLだったり、あるいは偏屈な定年間際のおじさんだったり、立場や境遇はさまざま。その多くが不幸な境遇や、困難な状況にぶつかるのですが、周囲の人々に助けられながら苦難を乗り越え、最後には必ず幸せをつかむのです。

つまりは絵に描いたような「勧善懲悪」。都合がよすぎるタイミングで都合のいい相手とばったり出会ったり、危機一髪のところで助けられたり、偶然の出会いが運命的な結末に結びついたりと、現実の世界ではありえないようなエピソードの連続です。思わず「こんなにうまく行くかよー」とツッコミを入れたくなるくらいなのですが、その“ありえなさ”が魅力なのです。理屈以前に痛快なので、読み終えたころにはとてもいい気分になれるということ。

ポイントは、「こうなってほしい」という読者の思いに沿ったかたちでストーリーが進行して主人公が救われていくことです。つまり読者は、現実の世界では果たせない苦難を乗り越えて行く主人公たちの姿に、自分自身を投影することができるのです。そしてその結果、現実の世界では解決することの難しい人間関係のしがらみなどを、作品を通じて解消できたような気持ちになれる。そこが共感されたからこそ、彼は昭和を代表する大衆小説家として成功を収めることができたわけです。

ところが、そうであるにもかかわらず、源氏作品はその大半が絶版になっています。なんとも解せない話ではありますが、その理由は上記の「大衆小説」という言葉のなかに隠されています。

「わかりやすさ」は大衆小説ならではの魅力なのですが、しかし、それは「文学的価値」とは縁の遠いものでもあります。そのため、多くの読者に支持されたにもかかわらず、文壇ではあまり評価されず、結果的には消えていくことになったのです。なんとも理不尽な話ですし、本人もそのことを気にかけていたようではありますが、それは文壇の性格上、仕方がないことだともいえるかもしれません。

現代人に向けて続々と復刻され話題に

そんななか、昨年から興味深い動きが出てきました。『青空娘』『最高殊勲夫人』と、ここにきて源氏作品が少しずつ復刻され、高評価を得ているのです。注目すべきポイントは、単に過去の名作を復刻するのではなく、現代人にフィットしそうな作品がていねいにチョイスされている点。事実、上記2作品も決して代表作ではありません。しかし、現代人が読んでも違和感なく楽しめる魅力があるのです。

もちろん、高度成長期と現在とでは経済状況も大きく異なります。しかし、いつの時代においても、ビジネスパーソンは努力をし、そして苦悩するわけです。その部分だけは、いまも昔も変わりはないのです。つまり、そこに共感できるからこそ、現代の読者にも源氏作品が受け入れられているのではないでしょうか? 先に触れたとおりスカッとわかりやすい内容なので、読めばストレス解消でき、明日への活力を養うことができるということ。

妻を失った夫と、その5人の娘たちの物語

今回復刻された『家庭の事情』は、『青空娘』『最高殊勲夫人』に次いで復刻された作品。主人公のひとりである三沢平太郎は、8年前に妻を亡くしたサラリーマン。定年退職を迎えて退職金を手にした彼が、5人の娘と自分とでそのお金を分配しようと思いつくところらか物語はスタートします。

五人の娘が揃った。五人は、これから父親が何を話すつもりであろうかというやや緊張した表情でいる。平太郎は、その一人一人の顔をゆっくりと見て行きながら、

(どこへ出しても、一応、恥ずかしくない娘ばかりだ!)

と、思っていた。(中略)

「ところで、わしは、退職慰労金として税引きで二百万円を貰って来た。更に、この家には百万円の預金がある。合計三百万円だ。これがそれだよ。」

そういうと平太郎は、さっきから横においていた鞄の中から一万円の札タバを三つ並べて、

「この一タバが百万円。」

五人の娘はかん声をあげた。(中略)

「この際、この三百万円をわしを加えた六人で平均にわけてしまうのだ。即ち、一人に五十万円ずつ。」

(24ページより)

当時とは貨幣価値が違うためイメージしづらいかもしれませんが、現代に当てはめてみればひとり250万円程度ということになるのではないでしょうか? そう考えると、19歳から26歳までの5人の娘が突然手にする額としては高額です。

そもそも、平太郎のこの発想自体がかなり大胆で、一般的な感覚でいえば非現実的だとも考えられるでしょう。しかし、それこそが源氏鶏太ワールドの魅力。おとぎ話のようなストーリーを受け入れてしまえば、それがたちまち“楽しみがい”に変わっていくのです。

さて、かくしてお金を受け取った娘たちは、それぞれが使い道を考えルことになります。不倫相手に捨てられた長女の一代(かずよ)は、ひとりで行きて行く決心をして喫茶店を開業。次女の二美子(ふみこ)は、恋人に全額を貸してしまうも裏切られることに。三女の三也子(みやこ)は、手堅く全額を貯金。四女の志奈子(しなこ)は、自分に好意を寄せる3人の男性を操縦し、いちばんお金を増やせた相手と接吻をする約束を。そして五女の五百子(いおこ)は、そのお金で金貸しを開始。そして平太郎も、「自由になりたい」という思いから安易な恋愛をして痛い目に合うことに。

という具合に自分なりのアイデアを模索する各人が、それぞれ大小のトラブルに巻き込まれ、それらを乗り越え、新たな出会いを経験していくのです。最終的に温かな気持ちになれるのは、最終的には全員が幸せになるからこそ。いまから10年前の2007年には『家に五女あり』というタイトルでドラマ化されたこともあるそうですが、それもまた、時代性を意識させずに読者を引き込む本作のポテンシャルだと言えるのではないでしょうか。


学生時代からの源氏鶏太ファンである僕は、かねてから「源氏先生のためになにかをしたい」と考えていました。ところが不思議なもので、ひょんなことから今作の解説を書かせていただけることになったのです。冒頭に引用した解説文は、そこから引用したものです。

とても光栄なのですが、そんなこともあって、ぜひこの作品をひとりでも多くの方に読んでいただきたいと感じたわけです。理屈抜きで楽しめる源氏鶏太ワールドを、ぜひ体験してみてください。

Photo: 印南敦史

印南敦史

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