特集
カテゴリー
タグ
メディア

書評

「自分を変える」ことは進歩。アドラーの「100の言葉」に学ぶ

「自分を変える」ことは進歩。アドラーの「100の言葉」に学ぶ
Photo: 印南敦史

ご存知のとおり、アルフレッド・アドラーは「アドラー心理学」の創始者として知られる心理学者。「自己啓発の父」とも呼ばれ、『7つの習慣』のスティーブン・R・コヴィー、『人を動かす』のデール・カーネギーにも影響を与えた人物。

そして、きょうご紹介する『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』(小倉 広著、ダイヤモンド社)は、アドラー派の心理カウンセラーである著者が「自分を変える」ことをテーマに設定してアドラーの言葉をまとめたもの。シリーズ20万部を突破した2014年の『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』に次ぐ新刊です。

本書は「宝箱をひっくり返した」と形容される、十数冊の書籍に散らばったアドラーの言葉を「自分が変わる、自分を変える」を軸に筆者独自の視点でパズルを解くように要約、再編したものです。

アドラーの言葉は私的な美しさを持つ反面、理解が困難であると言われています。要約、再編に当たっては、アドラーの言わんとすることを曲げぬよう細心の注意を払いつつ、同時に平易な表現を心がけました。(「まえがき アドラーが示した『自分を変える』たったひとつの方法」より)

なお、同じくこのページに引用されているアドラーの言葉もご紹介しておきたいと思います。

「これ(筆者注:アドラー心理学)は、その支持者たちに心のすみずみまで見通すするどい洞察力を与えるでしょうし、この苦労して得られた才能は人類の進歩のために役立てられるようになるでしょう。(「まえがき アドラーが示した『自分を変える』たったひとつの方法」より)

きょうはた第八章「ひとつのことができれば他のこともできるーー『自己変革』について」から、いくつかを抜き出してみたいと思います。

興味関心があることを上手にできるようにし、それを他へ広げよう

音楽でも、ダンスでも、何でもいい。

「上手にできた」という体験を、ただひとつ作ること。

その体験が「他のことも、きっとできる」へつながる。(「88」より)

アドラーは、「ひとつのことにうまくいけば、他のこともうまくいくものである。これは教育にも人生の他の面についても当てはまる」という言葉を残しているそうです。「音楽、手工芸、パントマイムなど」なんでもいいので、「上手にできる」という体験、感覚を持つ。そうすれば、それを他に広げることは容易だということ。

しかし最初から難しいことに挑戦しろという意味ではなく、それどころか自分の苦手なことをやる必要もなし。人それぞれ、誰もが持っている「興味があって好きなこと」にチャレンジすればいいというのです。なにより大切なのは、そこで自信をつけることだから。

そのため教師、親、上司は、相手に「なにに関心があるか」とたずね、それを伸ばすことに注力すべきだと著者はいいます。そこで得させた成功体験、自信を広げることが重要だからです。いきなり広げるのではなく、まずはひとつから。そうすればきっと、他のことでもうまくいくようになるそうです。すなわち、「できると思うがゆえにできる」、その第一歩をつくるということ。(「88」より)

まず相手との間に共同体感覚を築き、それを広げていこう

まず一人と共同体感覚を築き、体験させること。

その体験を広げるのだ。

母から父へ、兄弟姉妹へ、友だちへ。

(「89」より)

相手の共同体感覚を高めたいのなら、理屈を語っても無駄。いちばん効果的なのは、実際に相手との間に高い共同体感覚を築くこと。そして次に、その体験を他者へと広げることだといいます。「『上手にできた』という体験をただひとつつくれば、その体験が『他のこともできる』へと広がる」のは、共同体感覚にも当てはまるというのです。

人は自分が体験してよかったことを、他者へもしたくなるもの。逆に、自分が体験していないことを他者にすることは不可能です。「共同体感覚はこんなにも素晴らしいのか」という体験を味わってもらうことこそが、相手の共同体感覚を高めるということ。

当然のことながら、悪い見本を見せることは避けたいもの。もしも教師、カウンセラー、職場の上司が共同体感覚を持っておらず、他者への批評や非難ばかりを口にしていたとしたら、相手は容易に悪い影響を受けてしまうことになるからです。

著者によれば、アドラー心理学では、「人は自分の性格を自分で選び取る」という自己決定性で考えるのだそうです。しかし、家庭や教師の影響は認めるのだとか。「決定因」ではないけれども、「影響因」であると考えるということ。そこで教育の立場にいる人は、自らがよき影響因となることを心がけることが必要だといいます。(「89」より)

矯正と抑圧を捨て、自由と自治を与えよう

厳格な教育は、人を殺し、堕落させる。

厳格さは、逆に、甘やかしでしかないからだ。

自由と自治こそが責任を要求し、唯一、偉大さを生む。(「91」より)

厳格な教育による弊害は、「いくら強調しても強調しすぎることはない」とアドラーは述べているのだそうです。そして厳しく教育することは、二重に問題があるともいいます。

まず第一は、「厳しくすることは、教育者と教育される側との信頼関係を壊す」ということ。必然的に両者の距離は遠ざかることになるので、そのような状況で教育することは不可能。当然ながら相手は「共同体感覚」を失い、人生でもっとも大切なことをも失うわけです。

第二は、「厳しく教育することは甘やかしにつながる」ということ。厳しく統制することは、調教することと同じ。相手に自分で考え判断する自由を与えず、教育者のやり方を有無を言わさず押しつける。これは、相手の思考停止と盲目的な服従を生むというのです。当然のことながら、強制された行動によって成果を上げたとしても、相手は自信を持つことはできません。逆に、強制された行動で失敗をしても反省しません。理由は簡単で、自分の責任だと思われないから。矯正から学習は得られず、せいぜいうまくいっても調教の域を出ないということです。

本当の教育とは、相手に「決定の自由」と「自治」を与え、自分で責任を取らせることだと著者は主張しています。自己決定による成功の果実を相手に与え、自信を持たせるという考え方。いわば自己決定による失敗の痛みと責任を味わう体験を積ませ、経験から学ばせるということです。(「91」より)

親の影響はある。しかし、親を責めてはいけない。

親も、どうしたらいいのか、分からなかったのだ。

親の親が誤った。そのまた親も誤った。誰も悪くない。(「93」より)

アドラー心理学の中核のひとつに、「自己決定性」があるそうです。人は自分の性格や価値判断基準を自分自身で決定している。たとえ親や家族、教師の影響を受けたとしても、その影響をどのように意味づけ、どうするかを決めるのは自分だということ。環境は影響因でしかなく、決定因は常に自分にあるということ。

この「自分が自分の運命の主人である」という考え方は、問題を他者のせいにすることができないという意味において、「厳しい考えだ」と論評されがちかもしれません。しかし著者は、可能性と希望に満ちあふれた心理学だと考えているそうです。自分の人生を自分で決めてきたからこそ、これからの人生も自分で決めることができる。すなわち、いつでも変われるということ。

「親は自分の親の誤りに、その親はさらにその親の誤りに訴えることができる」のだと著者。つまり、親や上司に「罪はない」ということです。

心が不健全な人は他人を責めるものですが、それは出口のないコンプレックス。弱さをひけらかす攻撃。しかし、大切なのはそういうことではなく、自分から変わることだというのです。誤った生き方や教育の連鎖は、断ち切るべきだということ。それは不可能なことではなく、「できるはず」だと著者は強調しています。


「自分を変える」ことは進歩であり、私たちひとりひとりが進歩することこそが人類の進歩につながると著者は記しています。現実的にそれは難しいことでもありますが、少なからず「変わりたい」という思いがあるのであれば、本書に示されたアドラーの言葉を足がかりにしてみるのもいいかもしれません。


印南敦史

swiper-button-prev
swiper-button-next