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ビジネスパーソンにも役立つ「ブッダ」の問題解決術とは?

ビジネスパーソンにも役立つ「ブッダ」の問題解決術とは?
Photo: 印南敦史

ブッダの問題解決入門 捨てる力』(大喜多健吾著、ダイヤモンド社)の著者は、つらい過去を背負っているようです。大手建設コンサルタント会社に勤めるも、上司やクライアントの厳しい要求など過度のストレスがもとで重いうつ状態に陥り、家庭も崩壊。2 歳の子を抱えたシングルファザーになったというのですから。

しかし、どん底の状況下で救いとなったのが仏教。多くの経典や書籍を読み漁り、5年間にわたって仏教の指導者から学び、ブッダの教えを実践することによって復活できたというのです。現在はブッダの教えや仏教の考え方を用い、多くのクライアントの悩みを解決しているそうです。

仏教には、明確な答えがあるわけではありません。ブッダが教えた言葉の意味を自ら考え、実践し、自分の人生が豊かになるように生きることを促すものです。

ですから、けっして、清貧に暮らすことや我慢を押しつけてはいませんし、現世的な成功やお金儲けも否定していないのです。

1つひとつの教えはむずかしいものではなく、現代の私たちにも十分応用がききます。人生とはそういうものだという真実を認めながら、自分の考え方や対応を変えていくことで、幸せに生きていく方法を教えてくれるのが、仏教です。

(「はじめに」より)

そこで本書では、2500年の歴史のなかで培われてきたブッダの教えを紹介しつつ、「こういう解釈をすることで悩みが解決し、人生が好転する」といった、仏教による問題解決法を提案しているわけです。きょうは第2章「日々のトラブルを乗り越える方法」に焦点を当て、役立ちそうな考え方をご紹介してみたいと思います。

トラブルが起こったら「あるがまま」を受け入れる【安心立命】

なにをやってもうまくいかない日は、自己嫌悪に陥りがち。しかし仏教では、「起きてしまったことは仕方がない」と考えるのだそうです。動揺せずにすべてを受け入れ、解決するために力を尽くし、あとはジタバタせず天に任せる。そういう態度を「安心立命」と呼ぶのだといいます。もともとは儒教の言葉で、一般的には「あんしんりつめい」と読むものの、仏教では「あんじんりつめい(みょう)」と読むのだとか。

「安心」が意味するのは、仏教を通じて悟りに近い境地を得て、煩悩を離れ、心が安らかになること。そして「立命」は、すべてを天に任せ、いろいろな出来事があっても動揺しないことを指すといいます。

どんなに注意を払っていても、人間はミスをし、誰かに迷惑をかけてしまったりするもの。もちろん悪いのは自分ですが、そんなときは「たまたまそういう巡り合わせだった」と考えて引きずらず、その場から逃げないことが大切。「人生、雨の日もあれば晴れた日もある」と考え、ネガティブな出来事であってもそのまま受け入れることで、悪循環が断ち切れるということ。そして、ここで紹介されているのが、最古の仏典のひとつとされる『法句経(ほっくきょう)』のなかのエピソードです。

弟子のアーナンダとともにある都を訪れたとき、そこにはブッダに恨みを抱く者がいて、住民たちに賄賂を与えて、「ブッダが都に入ったら罵倒せよ」と命じました。そのため托鉢に回っても何ももらえず、悪口を投げつけられるばかりです。

困り果てたアーナンダはブッダに提案します。

「こんな都に滞在することはありません。他にもっとよい都があるでしょう」

「次の都もそうだったらどうするのだ」

「そのときは、また他の都に移りましょう」

「それではどこまで行ってもきりがない。悪口を言われてもそれに耐え、問題を解決してから他所へ移るのがよいと思う。こういう状態はまもなく過ぎ去るだろう」

まもなく、ブッダの言ったとおり、人々のそしりの声は次第に消えていき、以前と同様に托鉢できるようになったそうです。(54ページより)

問題が発生したとき、「天命に沿ってその身を任せなさい」といわれても、ブッダのような達観した境地にまではなかなか至れないでしょう。しかしそれでも、「起きてしまったことは仕方がない」と割り切るように努めるべきだと著者はいいます。

失敗やミスを引きずると、ネガティブな思考回路に陥って、さらによくない事態を招きかねません。だからこそ、いやな気持ちになったり、悲しいことが起こったりしたら、努めてその感情を「捨てる」ことを心がける。それが「安心」に生きるコツだということです。(52ページより)

時間を有意義に使えば、トラブルは回避できる【正命】

1日24時間は誰にでも平等ですが、「どう使うか」で差が出ます。寿命に限りがある人間にとって、この世で過ごす一瞬一瞬がかけがえのないもの。そこで仏教では、「時間とは生命である」と考えるのだそうです。私たちに求められるのは、そのことを強く意識しながら規則正しい清浄な生活を送り、仏様から与えられた時間を有意義に使うこと。こういう生き方を「正命(しょうみょう)」と呼ぶといいます。

『涅槃経(ねはんきょう)』という経典のなかに、仏道に入る人の違いを馬と鞭との関係で表した「四馬のたとえ」という話があるそうです。

一番目の馬は、振りかざした鞭の影を見ただけで走り出す

→隣村で亡くなった人がいると聞いて、自分の死を考え、求道の心を起こす人

二番目の馬は、毛の先に鞭が触れてから走り出す

→自分の村に死者が出たと聞いて、他人ごとではないと行動する人

三番目の馬は、鞭が肉に触れてから走り出す

→親族や親しい人が亡くなってから、自分も死ぬのだと自覚して行動する人

四番目の馬は、何度鞭を打たれても気づかず、肉を裂き、骨に達してから走り出す

→自分自身の死期が近づいてからやっと求道を自覚する人

(61ページより)

この例え話が示しているのは、「一刻も早く真実の教えに従って修行し、人々を救う人になりなさい」と教え、速やかに行動していることの大切さ。そこで、なにかトラブルが起こりそうな気配を感じたら、すぐ問題に対処することが大切。万が一、発生してしまったときには、解決に向けての行動を速やかに起こすべきだという考え方です。躊躇したり、対処を先延ばししたりすると、トラブルはますます大きくなって「四番目の馬」になってしまうから。

また、「時間に追われている」「時間を無駄に過ごしている」人は、それだけで大きなトラブルを抱え込んでいることになるといいます。「いま」という瞬間、「きょう」という日は、過ぎてしまえば戻ってこないもの。過去の時間の使い方がいまの生活をつくっており、いまこの瞬間の時間の使い方が未来をつくるというのです。

1日24時間をどう過ごすかは各自の自由。しかし「正命」の視点から「生命をどのように使うか」と考えれば、時間を1分足りとも無駄にはできないことがわかるはず。そして時間を有意義に使うことは、トラブル回避にもつながるのだといいます。(60ページより)

相手の立場につねに配慮すれば、トラブルは避けられる【忘己利他】

奈良の法隆寺にある国宝「玉虫厨子(たまむしのずし)」には、「捨身飼虎図」と呼ばれる絵が描かれているそうです。これは、ブッダの前世を描いた物語『ジャータカ』にある、次のような話に由来したもの。

3人の王子が森の中を歩いていると、飢えた虎の母子に出会いました。

衰弱した母虎には7頭の子どもがいましたが、飢えのあまり人を襲う力も残っていないため、自分の子どもを食べようとしていました。

それを見た2人の王子は、そのまま立ち去りましたが、虎の母子をあわれんだ3番目の王子は、自分の身体を虎の前に投げ出しました。

そして、王子の身体を食べることで、虎の母子は生命をつないだのです。

(65ページより)

いうまでもなく、この王子とはブッダの前世の姿。自らの生命を捨て、他の生き物を救う行為は、最高の布施とされているそうです。そして、このエピソードは、自分のことを忘れ、他の人々のために尽くす精神の象徴。これを「忘己利他(もうこりた)」と呼び、仏教の教えの真髄とされているのだといいます。

また、伝教大師・最澄も「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」という言葉を残しているのだとか。「自分のことはあとにして、まず人様に喜んでいただくのが仏の行いであり、そこに幸せがある」という意味。つまり、我欲が先に立つような生き方からは、幸せは生まれないということです。(64ページより)

心を鍛えて精神性を高めれば、トラブルに立ち向かえる【不退転】

トラブルは、いつどこで起きるか予想がつかないもの。そのため、起こればあわてふためくことにもなりがちです。だとすれば、近い将来に発生しそうなトラブルに対しては、どのように立ち向かえばいいのでしょうか? この問いに答えるに際し、著者は「不退転(ふたいてん)」という言葉を引き合いに出しています。

一般的には「信念を持ってなにごとにも屈しない」という意味合いで使われますが、仏教でいう「不退転」とは、菩薩が修行を通じて到達する「地位」のこと。悟りを得て仏になることが約束された菩薩の地位であり、境地だというのです。つまりこの境地まで到達すれば、その後はどんなに誘惑されようと、その欲に染まって迷いの世界に転落することはない。そんな、強固な心の状態を指すということです。

原始経典のひとつである『中部経典』のなかに、“説法第一”と呼ばれたブッダの一番弟子、ブンナが「不退転」の境地に達した様子が描かれているそうです。ブンナがあるときブッダを尋ね、「これから辺境の地、スナーパランタへ行く」という決意を伝え、許しを請うたというのです。そこでブッダとの間で続いたのが以下のような問答。その結果、最終的にプンナはスナーパランタに行くことを許され、大きな成果をあげたそうです。

「スナーバランタの人々は気性が荒くて、乱暴だと聞いている。彼らがおまえを罵ったり、あざけったりしたら、どうするつもりだ」

「もし彼らが私をののしったり、あざけったりしても、私はよい人たちだと思うことにします。彼らは私に手を上げて打ったりしないからです」

「彼らがおまえに手を上げて打ったらどうする」

「この人たちはよい人です。私を棒で打ったりしませんから」

「彼らがおまえを棒で打ったらどうする」

「この人たちはよい人です。私を鞭で打ったりしませんから」

「彼らがおまえを鞭で打ったらどうする」

「この人たちはよい人です。私を刀で斬りつけたりしませんから」

「彼らが刀でおまえの命を奪ったらどうする」

「この世には自らの命を絶つ人もあります。誰かが自分を殺してほしいと願っている人もいます。彼らはよい人です。願わなくても私の命を絶ってくれるのですから」

(70ページより)

「必ずやり遂げるぞ!」と決心しても、実行するにあたり、トラブルが起こりそうな気配を察知することもあるはず。やる前に心がくじけそうになり、「無理かもしれない」と弱気になったりもします。

しかし仏教的に考えれば、それは修行が足りないことの表れ。プンナのように、揺るぎない強固な心を持つまで自分自身を鍛えなければいけない。なにが起こっても右往左往しない「地位」にまで、精神を高めなくてはならないということです。(68ページより)


他にも「お金」「人間関係」「家族」「幸運」、そして「人生」というテーマごとに、さまざまな悩みを仏教的視点で解決する方法が綴られています。解決したい悩みをお持ちなら、読んでみる価値はありそうです。

印南敦史

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