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「都市型ポップスの地下水脈」が流れる渋谷が、音楽の街になっていったプロセス

「都市型ポップスの地下水脈」が流れる渋谷が、音楽の街になっていったプロセス
Photo: 印南敦史

渋谷という街には、都市型ポップスの地下水脈が流れていました。公園通り、道玄坂、宮益坂という三つの坂にそれぞれ拠点があり、そこが生み出した文化が流れ込み、積み重なっていました。(159ページより)

こう記しているのは、『渋谷音楽図鑑』(牧村憲一、藤井丈司、柴那典著、太田出版)の中心的な著者である、音楽プロデューサーの牧村憲一氏。山下達郎、竹内まりや、加藤和彦などの制作・宣伝を手がけ、1984年に細野晴臣主宰の「ノイン・スタンダード・レーベル」に参加。さらに80年台後半以降はフリッパーズ・ギターをプロデュースし、同グループ解散後は「渋谷系」における重要レーベルである「トラットリア」を設立した人物です。

僕は渋谷に生まれ育って、いろんなことを直接体験してきた。だからこの本では、みんなが書物で間接的にしか知らないことも当事者として話してきました。狭い範囲になったけれど、自分の体験をもとに、渋谷と音楽を巡る五〇年の物語を語ってきた。それを通して、渋谷の向こう側にある東京、東京の向こう側にある都市、都市の向こう側にある世界を想像するためのヒントを見せたかった。(265ページより)

この記述からもわかるとおり、本書の第一章から第五章までは牧村氏が「都市と音楽の記憶」を綴っています。

公園通りと道玄坂

第一章の舞台になっているのは、現在は公園通りと呼ばれている旧区役所通り。若者文化の中心が新宿だった60年代、渋谷は文化の匂いがなにもないサラリーマンの街だったのだとか。そんな街がなぜカルチャーの発信拠点として知られるようになったのか、その点について解説しているのです。

宇田川町から今のセンター街あたりまでを、井の頭通りに沿って川が流れていました。それが宇田川と呼ばれていたのです。その後、宇田川町には小さな輸入レコード店が密集し、九〇年代には「渋谷系」と呼ばれるブームの拠点となりました。通りの足元には今も渋谷の“地下水脈”が流れているのです。こうして渋谷の街は徐々に姿を変えていきました。(「まえがき」より)

道玄坂に焦点を当てた第二章でクローズアップされているのは、日本のロックとポップスを育てた2つの拠点です。まずは1972年に百軒店にオープンし、いまなお営業を続けているロック喫茶「BYG」。そして1966年にオープンした「ヤマハ渋谷店」。都内でも輸入レコードを取り扱う店が少なかった時代から、ミュージシャンたちの溜まり場になっていたというスポットです。

七〇年代の渋谷では、西武とパルコの戦略によって、若者文化の中心は公園通りのほうに大きく移っていきました。

しかし日本のロックやポップスの歴史に大きな役割を果たす“磁場”でもあったのです。(「まえがき」より)

青山学院と原宿セントラルアパート

続いて宮益坂に焦点を当てた第三章で取り上げられているのは、浜口庫之助から筒美京平という職業作家の系譜を持つ青山学院。

青山学院のキャンパスには、大学だけでなく中高一貫の中等部、高等部もありました。そこで生まれたミュージシャン同士の出会いもあります。林立夫、小原礼、浜口茂外也、のちにキャラメル・ママ〜ティン・パン・アレー、サディスティック・ミカ・バンドに至るミュージシャンたちの繋がりも、実は六〇年代末の青山学院の周辺を中心に生まれていたと言えるのです。(「まえがき」より)

さらに第四章では渋谷を少し離れ、原宿セントラルアパートを軸とした、新たなライフスタイルに注目。そして第五章では、フリッパーズ・ギターとその前身であるロリポップ・ソニックなど、90年代の音楽シーンを生み出した若者たちについて解説しています。当然のことながら、その後の「渋谷系」の時代についても触れられることに。渋谷とそこから生まれた音楽を語るうえでは無視できない「渋谷系」に関しては、興味深い見解を確認することもできます。

起こった物事の表層だけを見るならば、渋谷系というのは「九〇年代に一世を風靡し、そして時代と共に終わっていった一つのムーブメントだった」と言うことができるでしょう。

しかし本質はそうではない。ある日突然、渋谷系というものが生まれたわけではない。それがオーバーグラウンドに生じるためには、その下の暗渠に蓄積したエネルギーがあった。

僕がそう気付いたのは、ずっと後のことでした。渋谷という街には、都市型ポップスの地下水脈が流れていました。公園通り、道玄坂、宮益坂という三つの坂にそれぞれ拠点があり、そこが生み出した文化が流れ込み、積み重なっていました。(159ページより)

それは時代を超えて続いていたと牧村氏はいいます。いつの時代にも同時代の洋楽に憧れ、研究し、独自の日本語ポップスを生み出すミュージシャンがいた。そしてそれはアートやデザイン、ファッションと結びついて共振していたと。その“振動”がもたらしたものを細密に拾い上げた第五章までの部分は、音楽史のみならず、年にまつわる文化史としての側面も備えています。

シティポップス楽曲解説

しかし、本書はそれだけでは終わりません。第六章ではYMO、サザンオールスターズなどの作品に参加してきた音楽プロデューサー/プログラマー/アレンジャーの藤井丈司氏が中心となり、そこに『ヒットの崩壊』『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』などの好著で知られる音楽ジャーナリストの柴那典氏が加わり、渋谷から誕生した全6曲を解説しているのです。

取り上げられているのは、はっぴいえんど「夏なんです」、シュガーベイブ「DOWNTOWN」、山下達郎「RIDE ON TIME」、フリッパーズ・ギター「恋とマシンガン」、小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」、コーネリアス「POINT OF VIEW POINT」。ちなみに楽曲解説が入ることの重要性について、牧村氏はこう語っています。

こういう本の多くは、音楽の話をしているのに、実際に音が聴こえてこない。そうではないものにしたかったんです。実際に譜面が読めるかどうか、コードがわかるかどうかは関係なく、僕らが信じてきたミュージシャンたちが愛してきた洋楽、大切にしてきた音楽に共通している要素を示したい。「都市型ポップス」の底流にあるものを、音楽の分析を通して実証するような本にしたい。(205ページより)

こうした思いを形にするため、全曲の楽譜がカラーで掲載されている点にも注目したいところです。

2027年の渋谷は?

そしてもうひとつ、終章にあたる第七章についても触れておくべきでしょう。なぜならここではインターネットが急速な浸透を遂げた○○年代に焦点を当て、その流れを「二〇二七年の渋谷」で締めくくっているからです。それは、東急が旗振り役を担っている新しい渋谷駅が完成する年。そのとき、文化的にどんなことが起きるのか? このことに関する会話は、年を軸とした文化の未来を占ううえでとても重要です。

柴 ただ駅をリニューアルしたり商業施設を作ったりするだけでなく、渋谷をクリエイターの集まる町として再構築しようとしている。(中略)一七年に新しくできた「渋谷キャスト」というビルもその一環だと思います。かつて原宿セントラルアパートがそうだったようにクリエイターのサロンを作ろうとしている。

牧村 渋谷に生まれて育ってきたので郷愁もあって保守的になっていることは事実なんだけれど、ただ、僕は今の渋谷の街を改造しようとしているプランニングは、幸せな結果には結びつかないと思ってるんですよ。むしろそれは再開発という名の破壊作業に見えている。それに、誰かが頭の中で「ここをサロンにしよう」と設計図を考えて「こういう資格を持った人は集まってください」と呼びかけたとしても、サロンを作るような人たちはそこに応じるような人たちじゃないんですよ。

柴 たしかにそうですね。

牧村 むしろそういうものに文句を言いながら勝手に集まるような人間、そのときのメインストリームに対して「自分たちのやっていることのほうが合っている」と思うような小さな集まりが意味を持つ。(263ページより)

個人的に、この部分には強く共感できました。


音楽と時代との関係性を切り取った書籍は数あれど、特定の「場所」を中心に据えたものは少ないはず。ひとりでも多くの人に読んでいただきたい、純粋にそう感じさせてくれる1冊です。

印南敦史

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