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「論破したら勝ち」は間違い。議論で重要なのは「よりよい結論」を導き出すこと

「論破したら勝ち」は間違い。議論で重要なのは「よりよい結論」を導き出すこと

「キミはUFOが存在しないと言うのか? では、UFOが存在しないことを証明してくれよ。そうじゃなきゃ、UFOが存在しないなどと言わないでくれ」

「『こんにゃくダイエット』は75%の人が効果的だって言っているよ」

「わたしと仕事、どっちが大事なの?」

(「プロローグ 議論が強くなる秘訣とは?」より)

これらの会話には「論理の落とし穴」があると指摘するのは、『「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いなのか?』(谷原 誠著、あさ出版)の著者。法律事務所の代表であり、ニュース番組の解説などでも活躍する弁護士です。

「論理の落とし穴」は、世の中にはたくさんあるもの。しかし、「なぜ間違いなのか」をきちんと理解しなければ、論理の罠にはめようとする人たちに丸め込まれてしまうばかりか、自分自身が上記のような言葉を連発し、周囲に「話の筋が通っていない人」という烙印を押されかねないといいます。だからこそ、「論理的な会話力」を磨くことが大切だという考え方。そして、そのために有効なのが「弁護士」の思考パターンにあるというのです。

とはいっても、いまから法律学を学んだり、論理学を一から勉強するのは現実的には難しいもの。そこで本書では、著者がこれまでに発見した「論理的に考え、会話する秘訣」をわかりやすく解説しているわけです。第1章「なぜ『論理力』が必要なのか?」から、いくつかの考え方を抜き出してみましょう。

論理で追い詰めすぎてはいけない

人は誰しも、自分を論理的に正当化しようとするもの。それは、自分が論理的でありたいと願っているからです。したがって、自分の論理を徹底的に破壊されると、自分自身が破壊されたような気がして、自尊心が傷ついてしまう。そして自尊心を傷つけた相手を恨むことになるわけです。

なお、このことに関連し、ここでは「北風と太陽の物語」というイソップ寓話が引き合いに出されています。

あるとき北風と太陽が、どちらが偉いかを巡って論争していました。

しかし、結論がなかなか出ません。そこで話し合った結果、目の前にいた旅人のコートを脱がせたほうが偉いということにしよう、となりました。

まずは北風が強い風を旅人に吹きつけ、力でコートをはぎとろうとします。

しかし、旅人は、風が強くなればなるほどしっかりとコートを身にまとい、剥ぎ取られないようにしました。

結局、北風はついに旅人からコートをはぎ取ることができませんでした。

次は太陽の番です。太陽は旅人に微笑みかけ、暖かい日差しを送り続けました。

その結果、気温は上昇し、旅人は熱くなってきて、しまいにはコートを脱いでしまいました。

この勝負は太陽が勝利を収めたのです。

(35ページより)

相手を論破して従わせようとするのは、強い風で旅人のコートをはぎ取ろうとするようなものだということ。強引に力でねじ伏せようとすると、人はそれに反発し、従うまいとするもの。相手を納得させようとするなら、北風のように徹底的に相手を攻撃するのではなく,

太陽のように、「相手がどうすれば納得するか」をまず考えることが大切だという考え方です。

多くの場合、人は感情によって結論を決め、それを論理で正当化します。人を動かしたければ、論理で追い詰めてはいけないのです。

人を動かすためには感情を動かすことです。そして、議論において論理は、その結論を正当化するために用いるのです。(37ページより)

たとえば、テレビショッピングでのダイエット器具の販売方法を考えてみましょう。初めに価格が出てきて、「この器具は、1万9800円です。しかし、分割払いも可能で、金利は当社が負担します。分割で払えば、1ヵ月に1度、外食を我慢すれば買えるので、お買い得です。さあ、いますぐお電話を!」といわれても、電話をする気にはならないでしょう。

しかし自分の体型を気にしている人が、「この器具を使うことで引き締まった体の映像」を見せられたとしたら、「私もこうなりたい! この器具を欲しいな」と感情が動く可能性が出てきます。そのタイミングで、「この器具の気になるお値段は…」としたほうが、何倍も購入率は上がるはずだということ。なぜなら、初めに相手の感情を動かしたあとで、理性に訴えかけているからです。(34ページより)

論破すればいいものでもない

人を動かすのは感情の働きですが、議論(論理)は理性の働き。議論とは正しい結論に到達するためのプロセスであって、人の感情を動かすためのものではないということです。だからこそ、この点を混同しないようにすることが大切。論理が支配する世界、いいかえれば理性が支配する世界においては、議論は相手を論破し、相手の主張を粉砕するまで行われることになるというのです。

典型的なのは、私たち弁護士が行う「裁判」です。

裁判では、自説の正当性を主張・立証し、相手の主張が誤りだと指摘し、批判し、粉砕するよう努力します。

裁判所の最後の判決で自説の正当性が証明されるまで、徹底的に議論し尽くすのです。(42ページより)

そしてビジネスシーンも、紛れもなく理性が支配する世界。たとえば社内会議では、自分の企画のメリットを主張し、その企画が売上を上げることを立証し、他の企画よりも優れていることを印象づける必要があります。それができないようでは、ビジネスの世界では成功できないということです。

しかしその一方、「論理」が通用しない世界があることもまた事実。たとえば男女間や家庭内では、理性よりも感情が支配することのほうが多い場合もあるわけです。妻が夫に「きょうは結婚記念日なのに、なぜ早く帰ってきてくれなかったの?」と聞いたとき、夫がどれだけ残業しなければならない理由を論理的に説明したところで、なんの解決にもならないということ。

論理的な思考力は人生において不可欠な能力ですが、用いる場面を間違えると、かえってマイナスに作用するわけです。論理的な話し方を学ぶ前に、そのことを心得ておくべきだと著者は記しています。(42ページより)

すべての議論は「よりよい結論」に達するため

日常生活においては、あらゆる場面で議論が行われます。家庭内で夫婦が、子どもをどこの幼稚園に入れるかについて議論する、会社で上司と部下が部署の方針について議論する、友人同士で同窓会の企画について議論するなど。ただし議論をしていると、自説を主張することだけに注意が行きがちになり、「なんのために議論しているのか」を忘れてしまうことが往々にしてあるものだと著者は主張しています。

たとえば、子どもをどこの幼稚園に入れるかについて議論しているときに、妻が、

「何よ、あんたなんかあの子の面倒を見てないじゃないの! こういうときだけ偉そうに言わないで!」

などと攻撃を始めると、夫のほうも、

「何だと! 誰のおかげでメシが食えてると思ってるんだ!」

などと応戦したり。

これでは、本来のテーマを離れ、醜い争いになってしまいます。

(46ページより)

この議論の目的は、「子どもをどこの幼稚園に入れたら、教育上もっとも望ましいか? それは、自分たち夫婦の経済力やライフスタイルで可能なことか?」を話し合うこと。この一点にたどり着くために、夫は自分の意見が正しいと信じて議論をし、妻は自分の意見が子どものためになると思って議論をするわけです。

ところが自分の意見を通すことに集中しだすと、自分の自尊心を守るための戦いになってしまうということ。だから、自分を守るために相手を攻撃するという手段に出てしまうというのです。

しかし、「あんたなんかあの子の面倒を見てないじゃないの!」「誰のおかげでメシが食えてると思ってるんだ!」というようないさかいを繰り返しているようでは、「議論によってよりよい結論に到達する」という目的を達成することは不可能。そこで、このようなときは、「出発点」に立ち返ることが大切だと著者は記しています。

相手が攻撃をしかけてきたときは、いったん相手の感情に合わせ、そののち出発点に立ち返るようにすべきだというのです。上記の口喧嘩であれば、

「そうか。そんなに大変な思いをさせていたんだね。僕もこれから気をつけるようにするよ。ところで、いま、いちばん大切なことは子どものことだよね。だから、僕が今後どうやって子どもと向き合うかはあとで考えることにして、まずは幼稚園のことを話し合わないか?」

と質問を投げかけ、議論の「本来の目的」に立ち返ることが重要だということです。もちろん会社で部署の方針を議論するときも、どのような方針を打ち出せばいい結果が出せるのかについて、お互いの頭脳を結集し、その「着地点」を目指すべき。友人同士の議論も同じだといいます。つまり議論はすべて、「よりよい結論」に至ることを目的としているというわけです。(45ページより)


本書は、本格的なディベートの本ではないと著者は記しています。日常的な会話に出てくる論理の基本的な方を説明し、使いこなせるようにするとともに、相手の発言に出てくる論理の落とし穴を解説し、正しい議論ができるようにするためのものだということ。

そして、議論に負けないことは大切だけれども、なにがなんでも勝つことを目的とするものではないとも主張しています。議論とは、正しい議論を通し、よりよい結論に到達するためのプロセスだという考え方です。本書を通じてそこをきちんと理解すれば、論理的思考を身につけることができそうです。


印南敦史

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