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親の金銭感覚がおかしくても、我が子にお金について教える方法

親の金銭感覚がおかしくても、我が子にお金について教える方法

親であれば誰でも、我が子には自分よりいい人になってほしいと願っているでしょう。野菜を食べなさいと主張しながら子どもが寝た後にジャンクフードに手を伸ばしてみたり、自分は詰め物だらけの歯なのに子どもにはフロスをしなさいと言ったり、「許して忘れよ」なんて言い聞かせながら、20年も前に道を譲ってくれなかったおばさんの顔を思い出したり。


つまり、いい人で、寛大で、知識のある人になってほしいと願う親の真意は、「自分のようなヘマをやらかしてほしくない」という気持ちの表れなのです。そしてそれは、お金のことに関しても同じはないでしょうか。少なくとも私はそうです。

お金の問題からは抜け出せない

私はウェストバージニア州で生まれ、金銭感覚がカオスな家庭で育ちました。母は芸術家だったので、お金があるときとないときの差が激しかったのです。常に貧しかったわけではないけれど、私はいつの間にか、貧しい人の典型のような癖がついていました。つまり、お金があるとすぐに、心を満たすものに使ってしまうのです。なぜならそのお金は、すぐに消えてしまうものだから。次の日には消えてなくなってしまうと思うと、飲み物、たばこ、新しい服、旅行などに、今日中に使ってしまおうという気になるのが人間なのです。


それは明らかに悪循環であり、大人になってからの私は、自分の人生は失敗であり負け犬なんだという感覚が消えることがありませんでした。その後、ウェストバージニアからニューヨーク市に引っ越したとき、カルチャーショックを受けました。金銭的な「普通」って何なのでしょうか? 私の祖母はいつも、ジャムの瓶にスコッチを入れて、レストランに持ち込んでいました。飲食代を浮かすためです。でも、それが普通ではないことが、そのとき初めてわかったのです。


子どもが生まれると、負け犬生活から抜け出したいと思うようになりました。エキセントリックな環境で育った人の多くがそうであるように、子どもには「とにかく普通」な環境を作ってあげたいと思ったのです。夕飯は毎日決まった時間に食べる。ゲームやテレビの時間は制限をかける。学校に迎えに行くときは、必ず靴を履く。


いろいろな「普通」を試しましたが、お金の問題だけはどうにもなりませんでした。クレジットカードの請求は毎月ボディブローのように響き、老後や子どもの教育の資金について考えるだけで胸が締め付けられました。ボロボロになったカーペットの買い替えなど、ほんのちょっとしたお金の話でも恥と罪の波が押し寄せ、合理的な判断ができず、結局自分を満たすために買ってしまうのです。


そして昨年ついに、子育てにかかるコスト増と私の大学院入学というダブルパンチで、我が家の家計はにっちもさっちも行かなくなってしまいました。毎月の出費のことを考えるだけで動悸が激しくなるという状態でした。


子どもを持つと同時に、まるで「大人」というDVDの再生ボタンを押したように、身辺を整理し、安定した職に就き、食事習慣を見直し、お酒を減らす友達をたくさん見てきました。願わくば、私もその仲間になりたかった。でも、どんなにがんばって予算を組んでみても、老後の生活資金のための貯蓄についてリサーチをしてみても、結局当惑して諦めてしまう。そして、何かを買ってしまうのです。

学び始めたきっかけ

2年前、長男が4歳のときのこと。New York TimesのコラムニストRon Lieber氏が『The Opposite of Spoiled: Raising Kids Who Are Grounded, Generous, and Smart About Money』という本を出しました。そろそろお小遣いをあげて、金銭感覚を身に付けさせなければと思っていたころです。でも、そもそも浪費癖があるうえに喜怒哀楽が激しい私が、我が子に教えられることなどありません。


Lieber氏は、使う、貯める、あげるの3つの「お小遣い瓶」を使って子どもにお金について教えることを勧めていました。そして、小学5年生になるころには1年分の被服費を与えて、自分で使えるようにしましょうというのが彼の主張です。


私にとって、その方法が本当にうまく行くかどうかはどうでもいいことでした。それ以前に、私は子どもの年間の被服費すら知らなかったのです。Lieber氏の提案は、親は出費ぐらい把握していて当然という前提で書かれたものでした。そうでない私は、親として失格? 恥ずかしさに苛まれた私は、それから1年、その話題を避けていました。でもそこに、子育てにかかる費用の増加と私の大学院問題がやってきてしまったのです。


大きな転機は、非常にシンプルなきっかけで訪れました。新年の誓いを変えてみたのです。例年1月には、「予算をきちんとする」という誓いを立てていました。しかし、2月には浪費やどうにもならない事情で諦めてしまうのが常でした。そこで今年は、「毎週1時間は、予算について学ぶ恥と罪の感覚とともに生きる」と誓ってみました。


教材には、直感的なオンラインプログラム「You Need a Budget」(YNAB)を選びました。他のプログラムは、事前に自分の出費を予測し、1カ月後に自分がどれだけ間違っていたかを知るという悪趣味な内容のものがほとんどでした。でもYNABでは、今現在口座にある金額でしか予算を組むことが許されません。つまり、「家賃」「食費」などと記した封筒にあらかじめ予算を入れておき、それ以上は使えないという「封筒システム」の電子版です。


使い過ぎた場合、カテゴリー間(封筒間)のお金の移動は可能です。たとえば医療費が予算をオーバーした場合、娯楽費から移動することができるのです。もちろん、予定していたコンサートは、諦めなければなりません。


でもそれだけでは、完ぺきな解決策ではありませんでした。YNABはかなり直感的でしたが、完全に直感的ではなかったのです。それに、学習曲線に耐えなければなりません。そこで、毎週1時間の痛みが必要になりました。


YNABのサイトでは、動画によるチュートリアルやライブウェビナー、ヘルプドキュメント、メールによるサポートが受けられます。また、Q&Aサイト「reddit」にはYNABのsubredditがあって、クラウドソースによる回答が得られます。私のようにお金に対する心の壁がある人にとって、学習段階を耐える方法、つまり途中で投げ出してしまわない方法を学ぶのがもっとも難しいパートだと思います。実際、うまく行かないことがあるたびに、自分はバカで救いようもないんだという思いがよぎり、涙をこぼしたものです。


それでも少しずつ、事態は変わっていきました。週に1時間デスクに座り、タイマーをセットしてサイトから離れないようにしました。動画を見たり、質問をしたり。現在4カ月。聞くところによると、6カ月もすれば目を閉じていてもプログラムを2分でこなせるようになるそうです。

4カ月続けてみた成果

夫と私は、ぜいたく品をいくつかあきらめざるを得なくなりました。でも、子育てと大学院のダブルパンチが終われば再開できると、自分たちなりに納得したうえでの判断です。私は収支を合わせる方法を学び、合わなくても涙越しのぼやけた状態ではなく、クリアな視界で間違いを探せるようになりました。欲しいものを買うための貯金目標を定めています。おかげで、かつてのように、新しいアンプでも野球のチケットでもとにかくクレジットカードで買ってしまい、あとで請求額に震えることはなくなりました。


「予算」という言葉には、なぜか憂鬱な印象が伴います。でも実際は、憂鬱なことなどなにもありませんでした。誰もが制約の中で生きていて、それは裕福な人でも同じなのです。もちろん、もっとお金があったらと思わないことはありません。でも、それもきっと誰もが思うことなのでしょう。


最近、子どもたちへのお金の教育がうまくなってきた気がします(まだ4カ月なので、あくまでも気がするだけです)。毎週日曜日、長男に6ドルを渡しています。彼はそれを、「使う」「ためる」「あげる」の3つの瓶に分けます。彼はその仕組みを理解していて、「使う」瓶でも、もらってすぐに使うことはありません。そして、恥や罪を感じている様子もありません。ただ、おもしろいことに、後悔を見せることがたまにあります。先日、5週間かけて貯めた10ドルで、バットマンの懐中電灯を買いました。1時間ほどそれで遊んだあと、別のものを買えばよかったと私に打ち明けたのです。そこで私も、2002年にNetflixの株を買っておけばよかったと打ち明けました。でも、悪循環や恥とは違い、後悔は生産的な学習方法です。今年の冬には、クリスマスプレゼントのお金をすべて彼に渡して、好きなように使わせようと考えています。


現在、息子と私は、貯金の目標を立てています。来年の春、それでアメリカ自然史博物館に泊まる約束をしているのです。彼が10ドルを出して、私が残りを貯める約束です。今年こそ、人生で初めて、それを達成できる気がしています。


Leigh Anderson(原文/訳:堀込泰三)

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