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映画監督・押井守が「未来」を語る──1人のクリエイターがたどり着いた、未来論=幸福論という結論

映画監督・押井守が「未来」を語る──1人のクリエイターがたどり着いた、未来論=幸福論という結論

2017年5月11日に開催された未来・予測・創造イベント「ホロス2050」に、近未来SFアニメ映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『イノセンス』などで知られる押井守監督が登壇、「未来」に関するトークを披露しました。

押井守(おしい・まもる)

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映画監督、ゲームクリエーター。1995年公開の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は米ビルボード誌ビデオ週間売上1位を記録。2017年、 スカーレット・ヨハンソン主演『ゴースト・イン・ザ・シェル』リメイク版が製作され、日本では4月7日に公開された。

押井監督が登壇したホロス2050は、「WIRED創刊編集長 ケヴィン・ケリーが著書『〈インターネット〉の次にくるもの』(翻訳:服部桂、NHK出版刊)に示した未来像が2050年までにどこまで実現するのか」を考えるというイベントです(イベントのサマリーがこちらにアップされているので、詳細なイベントの趣旨などが気になる方はぜひご覧ください)。

12回開催されるイベントの第1回ということから設定された押井監督のトークテーマは「“未来を考えること”を考える」。「未来を考えるプロ」はこのテーマをどうとらえるのでしょうか?

以下に押井監督のトークを編集して掲載します。

近未来SFを描いてきた映画監督は「未来」を疑う

みなさんは『未来少年コナン』というアニメをご存知でしょうか? 宮さん(映画監督・宮崎駿さん)の傑作ですね。僕は宮さんの作るアニメはみんな嫌いなんだけど(笑)。

作品の内容は、ポストアポカリプス(人類文明崩壊後の世界)を1人の少年が野蛮人として生き抜くというものです。過去に『コナン・ザ・バーバリアン』という作品がありますから、コナンとは要するに蛮族のことです。どこが「未来」なんでしょうか? こんな矛盾に満ちたタイトルがあるのかと。

このように「未来」という言葉は非常に複雑な使われ方をしているとともに、おおかた誤解に基づく使われ方をしています。もし未来を語るなら、その誤解を解くところからはじめたいと思っています。

──なぜアニメのタイトルに「未来」とつけるのか? それは未来という言葉の中に良いイメージがあるからです。時間経過に伴って人間も文化も文明も、高度に複雑になって良くなっていく、より高次の存在になっていくんだという、ある種の信仰があります。

ところが、かつてキリスト教圏では、アダムとイブがエデンの園を追い出された失楽園に象徴されるように、時代が下るにつれて人間や世界は悪化の一途をたどっていくと考えられていました。つい100年くらいまで欧米圏の人間はそういう世界観の中で生きていた。仏教もまた、そうした世界観を持っていますね。

そして問題にしている、未来に向かって世界がどんどん良くなっていくというイメージは、ダーウィンらが進化論的を唱え、進化論的な世界観が世界に広がることで生まれました。要するに、大して古い話ではなく、絶対的な考え方ではないということです。

「すばらしい未来像」をどうして疑うのか?

みなさんが未来に対してどういうイメージを持っているかわかりませんが、未来が持つすばらしいイメージ、それを出発点して考える限り、僕に言わせれば、未来を考える意味はほとんどない。

なぜなら、こうなってほしいなぁという願望と現実のつじつまをすりあわせようとするに過ぎないから。

もう30年以上前ですけど、未来学というものが流行りましたが、それを言いだした人たちが未来予測をした動機は「乗り遅れたくないから」だったと思います。乗り遅れて今の地位から滑り落ちたくない、乗り遅れると儲からない…あるいは時流に乗ることで今より社会的に上昇したい…。そういうレベルで未来を考えるなら碌なことになりません。

僕の数少ない友人…じゃないな、知り合いで鈴木敏夫(スタジオ・ジブリのプロデューサー)という男がいるんですが、彼がこんなことを言ったんです。

「20世紀は、“世の中は若者の力で変えられる”という幻想が支配した時代だ」

要するに革命のことです。その幻想が結果として何を生み出したかというと、強制収容所と虐殺だった。レーニンや毛沢東、ポル・ポト──「未来を輝かしいものにするんだ」と言った人たちがひどいことをやっているわけです。だから僕は未来という言葉を警戒します。未来については、そういうところから出発して考えていただきたい。

そのためには根本に立ち返って考えるしかありません。目先の問題から考えても目先の問題しか解決できないし、根本的に解決することはできないのです。今回だと、「未来が明るいというイメージは誰が創り出したのか?」と問うことになるでしょう。

「根本に立ち返って考える」とはどういうことか?

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昔に遡るほど人間は善良で美しく、良かったという世界観の中で人間は生きてきた。その一方で、これから世界は良くなっていく、未来は明るいという考え方がある。しかし、どちらの考え方も絶対的なものであるはずがない。

「そもそも過去があり、現在があり、未来があるという考え方は果たして本当に正しいのだろうか?」と最近僕は考えます。

過去は記憶の中にしか存在しません。存在しないからこそ過去なわけですよね。では、未来ってなんだろうか? …人間の脳髄に宿った妄想以外の何物でもない。現実的に考えるならば、世の中には現在しかありません。現在を考えるよすが(手がかり)として過去が生み出され、その上で現在の先に未来を考えることで現在を考えようという思考が生まれたのだと思います。

僕は映画を作るとき、いつもこんな風に考えていって、すべて妄想なんだというレベルまでいったん下がって考えるんです。では、すべてが妄想だとすると、信じるに足るものは何なのでしょうか?

「考えるという行為が人を幸せにできるか」が重要

子どものころ、僕は誰よりも頭がよくなりたいと思っていましたが、そのうち大して勉強ができないということがわかってきました。それからは、100年も200年も残る映画を作り、永遠に名が残るような映画監督になりたいと妄想しました。

今はそう思うことはまったくありません。映画を作るという行為をいかに楽しむか、映画という表現と自分の間にいかに幸福な関係を維持するかということしか考えていません

何が言いたいかと言えば、私にとって今一番重要なのは幸福論だということです。

動物には過去も未来もなく、現在があるだけです。うちには犬が1匹と猫が5匹いますが、彼らを見るたびに「この子たちってなんて幸せなんだろう」と思います。トラウマを負うことも、過去にとらわれることもなく、自分の死について考えることもありません。そういう風に生きている。

「“未来を考えること”を考える」という今回のテーマに関して言えば、人間だけが今存在しない未来を考える、イメージする、そのことが人間を幸せにするだろうか? と考えるということです。私は自分が未来を考えることで、人間を幸せにしたいと思ったんです

いかにして自分を幸福にするのか。それとも他人を幸福にすることで自分が幸福になるのか。入口がどこであっても、行き着くところは同じです。これは現在と未来についても同じなんですよ。

未来を考えるためには何が必要でしょうか? 迂遠に思えるけれど、こんな風に考えないと「未来」は人間を不幸にすると私は信じております。


「“未来を考えること”を考える」という抽象的なテーマに対して、近未来SFを描き続けた映画監督は「その行為そのものが人間の幸福に結びつくのだろうか?」と逆に問いかけます。映画作品のような明快な未来像を期待した人には期待外れかもしれませんが、1人のクリエイターがたどり着いた、思考すべき対象へのアプローチの仕方が押井監督ならではの言葉でじっくりと語られていました。

押井監督は「今年66歳になるので、人生をどう終えるかについて考えなければと思っている」と漏らしていましたが、未来についてもっと具体的に考えるのは監督の言葉を聞き、読んでいる私たちの仕事ということなのかもしれません。

今回取材したイベント「ホロス2050」では、次回の参加者を募集中です。次回は以前Google 米国本社 副社長兼 Google Japan 代表取締役社長を務めた村上憲郎さんらが「人工知能の現在」を語る予定です。興味を持たれた方は、以下のリンク先より詳細をご確認ください。

未来会議②「第2章 人工知能の現在/COGNIFYING」開催 | Holos2050

(神山拓生)

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