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「物分かりが良すぎる人」は嫌われる

「物分かりが良すぎる人」は嫌われる

私は車の中で座って、遅刻する癖のある友人を30分も待っていました。彼女を車で送ってあげるためだと言うのにです。恨めしさと腹立たしさが次第に湧き上がってきました。でも、彼女から「ホントにごめん! もうすぐだから。」というメッセージがくると、「大丈夫。ゆっくりね。: ) 」 と答えてしまいます。

こんなふうに他人に良い顔をするのはもううんざりでした。

物分かりの良さの正体

年を重ねていくうちに、私は他人に対してあまりにも物分かりの良い態度で接してしまう困った癖を身につけてしまいました。同調性があるのは悪いことではありません。心理学的には、同調性があるということは、共感力があり、社会的な調和を大切にする人間だということになります。それは良いのですが、ときには同調性自体が姑息な形で表れてしまうことがあります。

他人を理解しようとすると、自分も他人から理解されたいと願うようになりがちです。言い換えれば、他人に親切にするのは、自分も他人から親切にしてもらいたいからです。これは小学校で習ったことそのままです。私の物分かりの良さの大部分は「人から好かれたい」「自分のことを良い人間だと思ってもらいたい」という気持ちから来ています。聞こえは良いかもしれませんが、実はナルシスティックな欲求なのです。こちらが相手を好きでもなければ気にも留めていないときでさえ、相手に好かれたいと思っているのですから。

そのため、同調性のある人たちは過剰に親切であることが多いです。時間が無いのに仕事を引き受けてしまったり、まだ気分を害しているのに休戦を受け入れたり、自分が支持しない意見に同意してしまったりします。自分は愛され理解されているという名目ですべてを受け入れるのは、他人をなんらかの形で喜ばせると、自分がより良い人間になれると思っているからです。

『The Book of No』という本の中で、心理学者のSusan Newman氏は次のように説明しています。

相手の申し出にYesと言ったり、他人のために時間を割いてあげたり、いつでも他人に手を貸すつもりでいれば、自分はより良い人間になれるという思い違いをしながら、私たちは暮らしています。でも、実際にはその逆です。ストレスや不安を感じることになり、付け入りやすい人間だと思われます。

これがどのように問題化していくかは明らかです。周りの人を喜ばせることにすっかり慣れてしまうので、しばらくすると、自分が本当はどうしたいのかよくわからなくなってしまいます。あまりにも物分かりの良い人がしばしば優柔不断であるのはこのせいです。

善良すぎると反発される

皮肉なことに、ほとんどの人は他人を喜ばせようとする人を見ると不愉快になり、興ざめします。2010年に学術誌『Journal of Personality and Social Psychology』に発表された研究もそれを裏付けています。複数の被験者に個人賞と団体賞の両方を設けたゲームをしてもらい、利己的な動きと他者を思いやるような動きに対する被験者の反応を観察しました。思いやりのあるプレーヤーは当然好かれると思うでしょう。しかし、実際には利己的なプレーヤーと同じぐらい嫌われたのです。

チームの利益を損なうチームメンバーの寛容度を調査した初期研究により、利他的なメンバー(チームの利益に大いに貢献することはあっても自分のためにそれを利用することはほとんどない人)もチームから仲間外れにされる標的になりました。その後に行われた2つの補足的研究により、頭が混乱していたり何をするかわかりにくいとみなされる人が仲間はずれにされる標的になるという論拠は除外されました。

なぜ善良なプレーヤーをゲームから排除したかったのでしょうか? この研究では2つの理由が指摘されています。1つ目は、過剰に行いの良いプレーヤーがいると他のプレーヤーは自己嫌悪に陥るからです。2つ目は、行いの良いプレーヤーは行いの良さが過剰、つまりその集団の標準的な規範に沿っていないという理由で、他のプレーヤーたちから一種の「掟破り」として見られてしまうからです。その結果、他のチームメンバーはそうしたプレーヤーをチームから追い出したいと思ってしまったのです。親切になる努力をし過ぎると、実はかえって人から不親切にされる可能性があります。

しかし、これは仮想ゲームだけに当てはまる話ではありません。2011年、ノートルダム大学の研究チームは、同調性のある社員は同調性の無い社員より著しく収入が低いことを発見しました。特に、男性社員に関しては、同調性の高い社員の方が同調性が無い社員より18%も収入が低かったのです。一方、女性社員に関しては、同調性が高い社員は同調性が無い社員に比べて5%収入が低いことがわかりました(同研究は、同調性は女性の間では受け入れやすい性質とみなされているので、同調性の無い男女間では性差による違いがより大きく出るとしています。)過剰に物分かりが良い人は、普段からそれほど波風を立てることがないので、他人の言いなりになる可能性があり、これについては諸研究による数字の裏付けもあります。

人の言いなりになりやすい人は、自分の意見を口に出しません。ネガティブな感情を抱くとそれを処理するよりむしろじっと抱え込みます。それもまた、反動が出ます。別の研究では、「高いレベルの同調性」がある人たちは、同調性の無い人たちより善悪を決めつけがちなことがわかっています。専門家はこれを「ポリアンナ神話」と呼んでいます。

さまざまな研究を通して言えることは、同調性の高い被験者は同調性の無い被験者に比べて、社会的行動を好意的にとらえる度合いも、反社会的行動を悪くとらえる度合いも高いということでした。

またしても皮肉な結果です。良い人過ぎると実際には一種の独断的な人間になってしまうかもしれません。同調性は共感力と結びついてはいますが、この研究が何らかの示唆となるなら、過剰に同調性が高い人は独善的になる可能性があります。

最後に、過剰に同調性が強いと「集団思考」と呼ばれるものの影響を受けやすくなります。これは基本的に、集団は個人の考えを排除して集団の合意を優先する傾向があることを意味します。同調性の高いメンバーの多いチームはこの罠に陥りがちです。集団の中では、同調性が無いと個人で考える必要性が増して、自明のことを飛び越えて他の解決策が目に入るようになります。私が集団の中でうまく働けないのはこのせいかもしれません。私はイノベーションや創造性より社会の和を優先するからです。

解決策

結局のところ、他人と必ずしも意見が一致しなくても人に好かれなくてもいいや、と思うしかありません。それは自分らしくいるための対価です。『The School of Life』のビデオでは次のように語っています。

誰かを喜ばせるには、まず、自分自身を率直に表すことで相手の不興をかうリスクを受け入れる必要があります。相手を魅了するには、もし社交に失敗しても何とかなると思う安心感をまず抱くことです。友だちになれないかもしれないリスクを冒さずして友だちになる可能性など無いのです。

でも、長年人を喜ばせようとしてきた身としては、それは言うは易し行うは難しです。私の場合、他人を喜ばせたいと思う気持ちは、本質的には服従したい感覚と関係があるようです。自分の周りの人は誰もが私より優れていて欲しく、そういう人たちに「君は合格点だよ」と言われようとしているのです。インターンのときならそれでうまくいくでしょう。でも、30歳にもなって日々さまざまなやり取りをしている立場では、服従的でいると前述した諸々の問題が発生することになります。

これを念頭に、私はいくつかのルールを作りました。読者の皆さんは自分に何が向いているか各自で見つける必要がありますが、私には次のことが効果的でした。

  • 他人と接するときは毎回「課題に挑戦」だと思って臨む

    反論することが目的の反論は煩わしいことですが、服従的な性質の人には効果的な練習になります。普通は、私は無意識に人に同意してしまいます。特に、相手が初めて会った人だったり、知り合いでもあまりよく知らない間柄だったりすると、つい習慣でそうなります。例えば、最近格安チケットで飛行機に乗ったとき、私の隣席の人がシートがリクライニングしないとか乗務員の態度が悪いとか文句を言いました。本能的に私は「あら、私も気づいていました。酷いですよね。」と言いそうになりました。でも、すかさず反論点を探しました。「その通りです。でもだからこそチケットがここまで安いんじゃないですか?払った値段相応ですよね。」と私が言うと、相手はクスっと笑って同意しました。

    ささやかなことではありますが、そのやり取りのおかげで私はちょっと自信が持てるようになり、少しだけ優位な気持ちになりました。こんな悩みとは縁遠い人から見れば、バカバカしいことかもしれませんが、いつも他人を喜ばせようとしている人にとっては、相手に同調しないのは大ごとなのです。私は、こうした「挑戦」を重ねるうちに、自分の意見を言うのが楽になりました。

  • 使う言葉を意識して選ぶ

    言葉は大切です。そして同調性の高い私は、自分より他人を優先するような含みのある言葉を常に使っていました。私は謝る必要などまったくないときでも(あるいは全然自分は悪くないと思っていても)、「すみません。」と常に口にしていました。そして、相手から「ありがとう」と言われると、「もちろんですよ!構いませんよ。何でもおっしゃってください。」といつも返していました。

    私は自分の使う言葉にもう少し気を付けることにしました。無意味に謝る代わりに「ありがとう」と言うことにしました。「何でもおっしゃってください。」と言う代わりに「どういたしまして」とだけ言うようにしました。

それ以外に効果のあった戦術は、誰も本気で他人のことなど気にしていないということを忘れないというものでした。ほとんどの人は私と同じで、自分がどう思われるか気にしています。あるいは、自分のことで頭がいっぱいだったり、こちらのことは大して重要だと思っていないかもしれません。そう思うと、かなり開放感があります。ありのままの自分でいていいということですから。

もちろん、極端に逆の性質になって、いつも人に反論ばかりしている嫌な奴になるべきではありません。二極間には幅広いグレーゾーンがあります。要は、自分の価値観や自信を犠牲にせずに、親切心と礼節を両立させることです。

Kristin Wong(原文/訳:春野ユリ)

Illustration by Sam Woolley.
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