「思いがけない出会い」が窮屈な日本から自由にしてくれた。アフリカ・タンザニアの可能性
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「あの国に移住したい!」という念願を叶えられたら、それは素晴らしいことでしょう。その一方で、「思いがけない出会い」が自分にとってかけがえのない経験になることもあります。
そう、今回お話をうかがったのは「自分でも予想外の国に移住・起業した方」です。
彼女の移住先はタンザニア。アフリカ中央東部にある国です。『ASEAN/アフリカ/中南米 最新 海外市場ビジュアルデータブック』によると、アフリカは経済基盤が確立されてきており、今後の経済成長が約束されているとのこと。不便を感じる点も多いようですが、ビジネス的な観点からも、自己実現の場としても、彼女にとってはチャレンジングな土地のようです。
※本インタビューは2015年12月上旬に行われました。
斎藤裕美(さいとう・ひろみ)
12歳頃からアメリカ人、インド人、マレーシア人、そしてタンザニア人と文通を始める。東日本大震災後、「自分もいつ死ぬかわからない。悔いのない人生を送るために、もう少しスピードを上げて自由に生きよう」と決め、勤めていた東京の会社を辞めて、スウェーデン留学を目指す。スウェーデン行きの前にペンフレンドに会おうとタンザニアに立ち寄り、参加したサファリツアーで、ガイドをしていた現パートナー、ジェレミアさんと出会い、タンザニアへの移住を決める。その後サファリツアー会社「みんなのサファリ」を立ち上げ、今に至る。国立公園や自然公園に近い観光都市、アルーシャ在住。
最初からタンザニアに来るつもりではなかった
── タンザニアに移住されたのは現在の旦那様に出会ったからとうかがっていますが、もともとスウェーデンへの留学を考えていたんですよね?
斎藤:スウェーデンの大学院に入るための英語のテストに合格しなかったので、英語が公用語のタンザニアで訓練しようとプランを切り替えたのが、タンザニア滞在の始まりです。スウェーデン行きの前には、英語のトレーニングのために、デンマークの寄宿学校(ホイスコーレ)に入って、ビジネスやコミュニケーションのクラスを取っていました。北欧では、「自分で考え、表現する」という教育の精神が根付いていて、自分の考えをあらゆる手段で表現しようとするところに衝撃を受けました。
一方で、自分の構想力や着想力には北欧の人たちにも決して劣らないものがあるという自信がつきました。精神的には厳しいデンマークの学校生活でしたが、今考えると、あれがあったから、タンザニアで起業するのもひとつの選択肢という考えが芽生えて、勢いがついたのかもしれません。
アルーシャの街では、女性が一人歩きしても大丈夫

── まずはタンザニアがどんな国なのかうかがいたいです。南半球にあるタンザニアの12月はどんな季節・気候なのでしょうか?
斎藤:タンザニアには四季がなく、雨期と乾期しかありません。今は小雨季から小乾季に入るところです。1年を通して初夏のような気候ですね。今は水もたくさんあって、緑も綺麗で、ホコリも立ちにくいです。私が住んでいるのは北部にあるアルーシャという街です。
── やはり治安が気になってしまうのですが、実際のところどうなのでしょうか?
斎藤:私はアルーシャに来て3年以上経ちますが、ひったくりやスリ・泥棒に遭ったことは一度もありません。ヨーロッパで治安の悪いところよりは良いんじゃないかと思います。住む場所でも変わってくるようです。タンザニア最大の都市、ダルエスサラームではまた状況は違うようです。アルーシャでは、夜遊びしたり、特別目立ったりしなければ、東京で暮らすのと同じくらいの警戒心で大丈夫じゃないかと思います。

タンザニア人にはビジネスの素地が足りない

── アルーシャの街の暮らしに不都合はあまりないのでしょうか?
斎藤:街のことより、対人関係で「腹が立つことがある」ほうが大変ですね。まずは「タンザニア人は時間にルーズ」なことですね。もう1つは「人のことを考えて動いてくれない」というところです。
前者についてですが、たとえば今日、10時からアポが入っていたんです。「たぶん遅れてくるんだろうなー」とは思っていたので、先方のオフィスに15分ほど遅れて行きました。それでも先方はオフィスにいなくて、電話をかけてみると「別のオフィスにいる」と言うんです。それで「あと5分だけ待って」と。当然5分以内に来ないですよね。もちろん10分待っても来ません。結局、その場にいた人に必要なことだけを伝えて帰りました(苦笑)。
── 打ち合わせ自体がなくなってしまったわけですね。日本人からするとルーズというレベルを超えている気がします。もう1つの「人のことを考えて動いてくれない」というのはどういった感じなんでしょうか?
斎藤:ツアー用に予約していたはずのロッジがリリースされてしまうということがありました。どういう経緯かと言うと、お客さんがかなり早い時期にツアーを申し込んでくれたんです。申し込みが2015年5月で、2016年2月に使う予定でした。
2015年5月に予約をとったのですが、2016年のレートがまだ決まっていないからか、先方のロッジは確認書類の料金欄を空欄で送ってきました。それで「コンファーム(予約確定)するにはどうすればいいのか」と質問して待っていたんですが、返答がずっとなく、私もほかの仕事があったので、忘れてしまいました。
昨日、支払いをしなくちゃと思って、連絡したら、「それは期限がすぎたのでリリースされました」と言われてしまったんです(笑)。「それは違うでしょ!」と電話でちょっと怒ってしまいました。
論理的にはこちらのミスではなく、先方の都合ですよね。こちらから「どうしたらいいんですか?」と聞いているんですから。最近そんなことが続いていて...。
── タンザニア人の頭の中ではどういった処理が行われて、そういうことが起こってしまうんでしょう?
斎藤:何も考えていないんですよ。言われたことをただやっているだけなんです。こちらがいくらかデポジットを入れれば予約確定とコンピュータ上で処理ができたのかもしれません。でも、入金がなかったので、担当者も「どうやってコンファームしたらいいのか」と聞かれたまま、忘れちゃったか、ほっとこうと思ったか、もしくはあとでやろうと思ったか...。
一部のインド人や欧米人はタンザニア人のそういう性質を利用していますね。彼らのやり方は植民地時代と近く、ムチを振って厳しく指導し、分業させるんですよ。同じ事を何十年もずっとやらせます。やることも変わらないから、安い賃金でずっと働かせることができます。
タンザニア流「ノープロブレム」
── 斎藤さんの会社でもタンザニアの方を雇ってらっしゃると思うんですが、どのようにしてうまく働いてもらえるようにしていますか?
斎藤:インド人や欧米人はしっかりとしたマニュアルを作っているそうです。一方、私はマニュアルが嫌いで「自由にさせて欲しい」と思うタイプです。マニュアルを作ったりするのは不得意です。でも、ガイドに関してはかなり長いマニュアルを作りました。
ガイドには次の7項目を報告させるようにしています。天気、お客さんの健康状態、ロッジに到着した時間、明日出発する時間、その日見た動物、お客さん・車・ロッジの間に問題が起きなかったどうか、何か旅程を変更したかどうか。契約書にも記載しています。
それでもガイドは適当なことばかり言うんですよ。昨日もこんなやりとりがありました。
でも直接お客さんと話をしたら、まだ痛いみたいでした。細かく話してくれれば薬を準備しておくなどの対応ができるんですが、慣れるまではマニュアルを通りにやってくれるよう、指摘し続けないといけません。
── ハクナマタタって響きが面白いですね。なんだか憎めない感じがしますが。
斎藤:ハクナマタタがすべての問題の根源ですよ。謝ってくれるなら、こちらにも救いがあるじゃないですか。ハクナマタタはそもそも「心配いらない」という意味ですが、何か起こっても「しょうがない」って感じで、「私には責任がない」というニュアンスに聞こえるんです。こちらに長く住んでらっしゃる日本人の方たちはみんなそういうのにも慣れちゃっていて、「ハクナマタタだよね~」みたいに許してるみたいですが...。タンザニア人はやりたい放題。だから自分も自由にやれる

── タンザニアという国で暮らしていて影響を受けたのはどんなことですか?
斎藤:まず、タンザニア人からは「他人を気にしないこと=劣等感を持たないこと」を学びました。たとえば、タンザニア人は「英語が得意ではない」と言ってモジモジしたりしません。知っている単語をつなげて堂々と会話します。「他人に対して自分を恥じる」という思考パターンがないのではないかなぁと思います。
彼らを見習って、私も、英語の流暢な欧米人や早口のインド人とやりとりするときにも、以前のような卑屈な気持ちはなくなりました。自分の構想のクオリティや、論理性で勝負するようになりました。
その一方で、タンザニアで初めて、「相手に気を配ることが自然にできる、日本人の凄さ」を身に染みて理解できるようになりました。私は日本の不自由さに見切りをつけて海外に飛び出ました。気配りも行き過ぎると窮屈です。しかし気配りとは、本来、相手との関係において、互いを自由にするものなのだと思います。

── どういう場面でそう感じますか?
斎藤:欧米やインド人のやり方には、必ず主従関係が付きまといます。サファリでも欧米のお客さんの中には、王族のように振る舞う方がいます。互いの関係の中に自由をあまり感じません。でも日本人のお客さんは、スタッフである私たちに、敬う気持ちを持ってくれます。タンザニア人のガイドも、日本人のお客さんとの関係の中に特別なものを感じると言ってきますね。
「行動を自由に起こせる」という点でタンザニアは魅力的な環境ですが、「自分を制限していた自分自身の考え方から解放される」という意味でも、刺激的な国です。
私にとっては、タンザニアの一番の魅力は「日本的な窮屈さがない」というところです。自由なところが、ここにいる一番の魅力なんでしょうね。
日本では、言っていいところなのに「気を悪くするかな」と思って遠慮してしまったり、新しいアイデアなんかも「嫌われるかな」なんて思ってしまって、表に出しづらいところがありますよね。
タンザニアは良くも悪くも何でもありという感じなので、「あなたがそこまでするなら、私もいいよね」みたいな感じで好きなことが言えます。自分が発言することにあまり制限はかからないという印象があります。
どういう風にビジネスの舵切りをするか悩みつつも、やってみたいことはたくさんあるタンザニアの現況

── 斎藤さんのビジネスの現状についてうかがいたいと思います。ツアーは1年に何本くらいやっているんでしょうか?
斎藤:2015年は、60本です。乾季と雨季でぜんぜん違うのですが、平均すると月5本くらいですね。12月は忙しくて、13本入っていました。12月は繁忙期なのですが、最近手が足りないのを痛感するようになったので、求人を出すことにしました。
── 現在の目標は何でしょうか?
斎藤:これからどうしようかと考えていたところです。会社を始めるときは、行列のできる伝統的なお菓子屋さんとか、1日限定100個しか作らないようなブランドってかっこいいなと思っていました。いいものをちょっとずつ、小規模に、職人的に生産するというのが、本来目指していたものなんですね。でも、それは本当に勇気がいることなんだなと感じています。
今は、対応できる以上の問い合わせをもらって、もういっぱいいっぱいという状態です。昔は1本問い合わせがあると、「うれしいな、ありがたいな」と思っていたものなのですが、今は「ちょっと...どうしよう?」みたいな感じです。でも、断るのも難しいんですよね。ツアーが入れば収入になりますし。
タンザニアとは関係なく、拡大路線でいくか、小規模路線で地道にやっていくかの決断には勇気が要りますね。どちらにするかはまだ決断できていないです。
── タンザニアは今、どんどん成長していく段階ですよね。土地もどんどん値上がりしていくような状態だとうかがっています。斎藤さんとしては、投機などは考えていますか?
斎藤:値上がりが確実な土地があるので、サファリビジネスが落ち着いてきたら投機についても考えたいなとは思っています。みんなに来て欲しくないので具体的な場所は内緒ですけど(笑)。建物がどんどん建っていて、住宅も作られていくと思うので、セメントとか資材とか、もしくは腕のいい大工さんをトレーニングして、大工集団みたいなものを作るのも儲かるような気がしますね。こっちの人は技術が悪いので、クオリティのいい住宅はたぶん売れると思います。
── 長期的に考えていることはありますか?
斎藤:有望だと思うのは、人材派遣です。どんどん外国資本が入ってきていますが、人材は不足しています。働きたい人は多いし、企業も人を雇いたいのですが、働き手の能力が低いために、高い給与とビザ代を払ってでも、自国からスタッフを呼ぶことを選択せざるを得ないのが現状だと思います。
タンザニア人に論理的思考力と組織の中で働く能力を身につけてもらい、企業と働き手をマッチングさせるビジネスは、これから求められると思います。サファリの仕事が落ち着いたら、チャレンジしてみたいです。
日本人にとってアフリカ大陸のタンザニアは遠い国です。移住を考えるときにこうした国々を検討する人は多くないのではないかと思います。
発展途上国は経済的なポテンシャルが高く、自分でビジネスを起こすのであれば非常に魅力的です。地域によっては治安も比較的良いことがあり、そうした土地は移住先として大きな可能性を秘めているように感じました。
斎藤さんは最初からタンザニアに行こうと思っていたわけではありません。しかし、結婚・移住・起業をした結果として、非常に充実した生活を送っているように見えました。
自分にとって最高の居場所が憧れの国以外の場所に隠れているかもしれません。
(聞き手・構成/神山拓生)
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