人のカタチをした小さなロボットが、情報端末のパラダイムを大きく変える/ロボットクリエイター高橋智隆さん

「5年後に1人1台、胸ポケットに入る人型ロボットを持ち歩く時代がやってくる」と予見するロボットクリエイターの高橋智隆氏。
前回は、コミュニケーションロボットと共に暮らす生活が実現するための道筋として3つのステップについて語ってもらいましたが、今回は 「なぜ、人のカタチをしたロボットなのか?」「日本製の人型ロボットは、携帯電話で経験したように世界市場でガラパゴス化する恐れはないのか?」についてお話を伺いました。
「かわいい」を発明した日本の感性が、コミュニケーションロボットの世界基準になる

── 高橋先生はこれまでに数多くの人型ロボットを開発していますが、なぜそこまで「人のカタチ」にこだわっているのでしょうか?
高橋氏:現在のロボット開発の盛り上がりはシリコンバレーから生まれてきていて、これまでに多くのロボットが開発され、遠隔操作で飛行するドローンやロボット掃除機などがよく知られています。いずれも軍事目的で開発された技術を転用したロボットたちです。このような米国で巨額の軍事予算が投じられる分野で、日本が勝負するのは分が悪すぎる。今後、大型の人型や4足歩行ロボット、災害ロボットなども米国が先行していくでしょう。
しかし、今後最大の市場になるのはコミュニケーションロボットだろうと考えています。そしてそこでは日本的なデザインやキャラクター性は不可欠だと思っています。
私はコミュニケーションロボットのことを「スマートフォンに頭や手足が付いたロボット」と言っていますが、スマートフォン以前のガラケーを思い出してみてください。スマートフォンは買い換え時期になると下取りに出したり、廃棄してしまいますが、意外にガラケーは残していたりしている。
醜悪なデザインもあったけれど個性的なものが多く、当時の恋人のプリクラを貼っていたり、ストラップをつけたりと、青春の想い出として残している。その一方で、使い古しのスマートフォンには何の未練もない。つまり、スマートフォンは画面の中のコンテンツを邪魔しないように額縁としてミニマルデザイン化されていったけれども、結果として本体そのものへの思い入れがなくなってしまうということが起きている。
それに対し、コミュニケーションロボットには、愛着や未練といった人間の感性に訴えかけるデザインが重要だと考えています。
これまで海外では「なんで人型ロボットが必要なのか?」「そんなものをつくっても機能的ではない」と言われていました。しかしそれは、彼らが魅力的な人型ロボットに出会ったことが無かったから。
でも、日本はマンガやアニメの中で「かわいい」という感性を発明し、いま世界が「かわいい」に憧れ、共感している。同様に「かっこいい」「かわいい」ロボットに対する親近感は、日本のアニメ・マンガの中で生み出され、今徐々に世界中に広がりつつあります。
コミュニケーションロボットには、愛着や信頼を生み出すために「人のカタチ」が不可欠であり、そこでは日本のポップカルチャーが生み出した感性が世界基準になると思っています。
ロボットが足で歩くという行動が、人の心の琴線に触れる
▲2015年1月20日に開催されたイベント「100ロビ」の様子。人型ロボット「ロビ」が100体そろって集団パフォーマンスを披露した──ロボット開発を海外の事例と比較すると、日本は「人のカタチ」に加えて「2足歩行」を重要視してきました。コミュニケーションロボットにとっても、足で歩くことが必要だと感じていますか?
高橋氏:「歩行」はとても魅力ある分野で、研究としても奥深い。では、その最大の価値が何かというと、誰も気付いていないのですが、足でノコノコ歩くことで生き物っぽさが生まれ、そこに命を感じられる、という点なんです。
もちろん、移動手段として考えれば車輪の方が優れています。でも、生命感では、車輪だと8割減、据え置き型だとゼロに近づいてしまいます。
スマートフォンに足を付けるという意味は、人と一緒に歩くために移動するのではなく、ノコノコと歩くことで、生きているということをより人間の感性に訴えかけることができるからです。
例えば、子犬型のペットロボット『AIBO』は、足で歩くことによって「人の感性や心の琴線に触れた生き物」になったわけです。これを合理的に車輪にしてしまったら、当時のあの大ヒットは無かったはずです。逆にゴキブリが車輪で動いていたら、怖さ半減でしょう。
それだけ「足で歩く」という行為が、人間の感性に与える影響は大きいのだと思います。
これまでの工業製品においては、このような人が人や生き物に対して受ける感覚が活用された例は極めて少ないように思います。この本能的な感受性の本質を理解し、その要素をうまく取り入れた製品を実現できれば、これまでのパラダイムが変わるぐらいのインパクトのある製品になると思っています。
ロボットとの関係性を決めるのは、サイズによる期待値

── では逆に、人のカタチにするなかで、デメリットはないのでしょうか? あるとすればその課題をいかに解決していきますか。
高橋氏:コミュニケーションロボットにとって、その「サイズ」はとても重要です。物理的作業を行わないコミュニケーションロボットは力持ちである必要がないので、極力、小型に作ることが大切だと考えています。実はサイズが大きいことで、2つの致命的なデメリットが発生します。
ひとつは、安全性を確保できないことです。コミュニケーションロボットは、これから日常生活に入り込んでいく新しいデバイスです。社会は新しい技術に注目をしますが、事故などのネガティブなニュースにもとても敏感です。大きなロボットが転倒した場合、周囲の物を壊し、ロボット自体も壊れ、最悪人に怪我をさせるかも知れません。人の形をした機械が人間を負傷させてしまう事態が起きれば、社会はそれを容認してくれないでしょうが、残念ながら100%の安全は実現しようがありません。ところが、ロボットが小型であれば、転倒や誤作動をしても、そうした事故には至らないのです。
ふたつめは、サイズが大きいとアホに見えてしまうことです。実は、人間や犬なんかでも同じ事が起きます。会社でも小柄な人の方が機敏に一生懸命働いているように見え、大柄な人はのんびりサボっているように見える。なぜそんな事が起きるかというと、それは外見からくる期待値に関係しています。大きい方が優秀だろうと大きな期待をしてしまうのです。なので等身大のロボットに私たちは一人前の知性と働きを期待してしまいます。その期待を裏切ると「でくのぼう」「うどの大木」だと感じてしまうのです。
一方で、サイズが小さいロボットに人は「たいしたことないだろう」と期待をしない。すると、ちょっとした機能でも「小さい割には賢い」「意外に役に立つ」と加点法で評価してもらえるのです。
ということで、人のカタチをしたコミュニケーションロボットは、人が人や生物に対して感じる愛着をうまく利用したデザインや動作を持ち、無駄に期待値を高めてしまわないよう小型であることが大切だと言えるのではないでしょうか。
コミュニケーションロボットの存在意義は、人間の感性と深く関わっていることがわかりました。しかし、そのことに注目している研究者はまだ少なく、社会はそんなロボットの価値に気付いていないように見受けられます。
そこで次回は、高橋氏が考える「コミュニケーションロボットを社会に浸透させるステップのデザイン」について、自身が歩んできた経過を重ね合わせてお話を伺います。
高橋智隆(TAKAHASHI TOMOTAKA)/ロボットクリエイター

(香川博人)
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