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公務員が実践した里山での生き方を、ビジネスに応用するための発想法

公務員が実践した里山での生き方を、ビジネスに応用するための発想法

昨年、『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』 (角川oneテーマ21)という新書が話題になりました。「マネー資本主義を補完するサブシステム(保険)として里山を利用した生活を取り入れれば、『50年後に素敵な日本の暮らしが手に入る』という考え方に基づいた内容。そのなかで、「素敵な暮らしを今やっている人」として取り上げられていたのが、『里山を食いものにしよう 原価0円の暮らし』(和田芳治著、阪急コミュニケーションズ)の著者です。

総領町(現・広島県庄原市総領町)の農家に生まれて跡継ぎとなり、青年団活動を熱心にやっていたことが評価されて町役場の教育委員会で社会教育を手がけることになり、勤め人になったという異色の経歴の持ち主。2003年に役場を退職して以降も、社会教育で培ったレクリエーションの技術を武器として「まちづくり」活動を行っています。

総領町は限界集落ですが、「すべての新しい営みは傍流から生まれる」と信じ、勝手に「里山拡命」(里山暮らしのよさを広げる革命)の旗手と名乗り、「私が変われば世界も変わる」と、「世直し」に取り組んでいるのだとか。奥様からは「傍(はた)迷惑族」と言われているそうですが、その取り組みはなかなかユニークです。そして読み進めていくと、本書が単なる「里山礼讃本」ではなく、多くのヒントが詰め込まれたビジネス書としても利用できることがわかります。そこで視点を少し変え、「ビジネスにも役立ちそうな発想とポイント」に焦点を当ててみたいと思います。

過疎を逆手にとる会(現・逆手塾)

現在、「里山暮らしの達人」としてクローズアップされている著者は、1982年の時点において全国規模で注目されたことがあったのだそうです。それは総領町役場で産業振興課の課長補佐をしていたころ、新たなまちづくりを展開するため、まちづくり集団「過疎を逆手にとる会(通称カソサカ:現・逆手塾)」を組織したとき。

新たな試みに挑戦してもうまくいかない多くの市町村が「やっぱり我が町はだめだ」と諦めかけていたときに、「逆境こそがまちづくりの宝だ!」と打って出た「過疎を逆手にとる会」の最大のモットーは、「ナイモノネダリハシナイ」。それは、「あるもの勝負」であり、「自生文化(自分で生きる文化)や地生文化(その地域で生きる文化)を持つこと」であり、「『東京の幸福論』に惑わされず、『里の幸福論』を打ち立てること。そのときつくったのが、次の「過疎を逆手にとる法」10カ条。

1:「過疎」は「魅力ある可能性」と信じること。

2:「ない」ということは「なんでもやれる」という可能性があること。

3:目標は、「東京ではできないこと」をやること。

4:武器は「アイデア」と「実践」

5:キーワードは、「過密」とのジョイント。

6:壁へのチャレンジは「実積」のつみかさね。

7:逆手にとるのは「過疎のマイナスイメージ」廃校、廃屋、多い高齢者、失いきった活力 etc。

8:ほしい「つれ」は「厳しい古里だからあえて古里に生きる」という人たち。

9:とにかく、他人はどうであれ、己は過疎を相手に楽しく生きること。

10:「群れ」はそんな「楽しい生き方」を「みせびらかして」つくること。

(1982.4.24 過疎を逆手にとる会)

(24ページより)

見ていただくと、10カ条に書かれたことの多くが現代のビジネスの現場にも応用できることがわかると思います。これが32年も前につくられていたということは、ある意味で驚きに値するのではないでしょうか? ちなみに、これらを具現するためのこだわりは次の3つだとか。

1:逆境をバネに輝くまちづくり

2:ナンバーよりオンリーワンのまちづくり

3:遊び半分のまちづくり

(25ページより)

これらは地方紙のコラムを発端としてさまざまなメディアで取り上げられ、全国区になっていったといいます。そして注目すべきは、著者の次の発言です。

「過疎を逆手にとる会」をつくった本当の理由は、周辺の町に、まちづくり競争を起こすことで自分自身を目立たない存在にするためでした。(中略)「目立ち過ぎの公務員(私)」を目立たなくしようと思ったのです。私はかなり以前から策士でした。(26ページより)

自分の立場をわきまえ、それを効果的に利用しながら本来の目標を達成する。これも、さまざまな場面に応用できそうな発想ではあります。(23ページより)

なぜ公務員なのに脚光を浴びたのか

では著者は、公務員でありながらなぜ脚光を浴びることになったのでしょうか? そのことに対する著者の答えは、次のとおりです。

1:「私は傍流」と悟り、「しかし、いつまでも傍流ではおもしろくない。いつか主流になろう」と密かに野心を燃やし続けてきた。

2:ただし「主流のものさしに合わせていたらいつまで経っても輝けない」と気づき、勝手に「傍流のものさし」をつくり、それに合うアイデアを出し、その具現のために汗を流し続けた。

3:「傍流のものさし」の一番手は「金よりも大切なものがある」。武器は「レクリエーション」であり、「遊び半分」(馬鹿にされているものが輝くと、人からおもしろがってもらえる)

4:「そこで「逆境(馬鹿にされているものや過疎)をバネにする法」を磨き、「普通でないことが好きなマスコミ」などから注目された。

5:それを伝える武器としての表現力(ユーモアを駆使して楽しくしゃべる等)が主流の人たちとは違っているため、スポットライトが当たることもある。

6:公務員にもかかわらず、公務員らしくない(前例を破る。タテ割行政のなかでその枠を平気で超える)。

7:日本人らしくない日本人である(自画自賛が得意。語尾をはっきり言い切る等)。

8:「これ」と決めてやり出したことは執念深くやり続け、営みを止めない(長く続けるとスポットライトが当たる)。

9:「逆境」を嘆いたり、親や人のせい、社会や政治のせいにするのではなく、「おもしろがればなんだっておもしろい」と、その解決のために営むことを、支援してくれる人が増えた。(33ページより)

これらを確認していただければ、過疎の町の公務員だった著者の取り組みがなぜ評価されたのかがわかるはず。そして、そこには大きなヒントが数多く隠されていることも理解できることでしょう。ぜひ手にとってみて、「ちょっと違った視点から」読んでみてください。きっと、得るものがあると思います。

(印南敦史)

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