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「人は志ざせば何だってできるものだ」スペシャリストになるのが良いとは限らない

「人は志ざせば何だってできるものだ」スペシャリストになるのが良いとは限らない

99U:今日のクリエイティブな世界では、スペシャリストが高い報酬を得ています。しかし、私たち自身のキャリアにとって、本当にそれがベストなのでしょうか? 「Aeon Magazine」のRobert Twigger氏はそう疑問を投げかけています。

身体が固定され、精神も反復作業を強いられると、私たちの内なる人間が反乱を起こします。

現代では、多くの仕事がスクリーンの前で座ったまま行われます。1つのことにしか関心を持たない人は、視野が狭く、退屈な人間です。しかし、彼らはスペシャリストや専門家とも呼ばれます。「単一病」の世界へようこそ! ここは、1つのことをやり続ける者だけが生き残る場所。それができないその他大勢は、巧妙にスペシャリストのふりをします。私たちは履歴書でうそをつきます。まるで自分が、トレーラハウスやネスプレッソマシーンを心から売り歩きたい人物であるかのように見せかけます。その仕事に完全にフォーカスした人間であるかのように振る舞うのです。そうですよね? しかし、昔からずっとそうだったのでしょうか?

違います。かつて学者とは、「多くのことを学んだ者」のことであり、たくさんの異なる分野を征服した人物を指しました。15世紀の博学者レオン・バッティスタ・アルベルティは、建築家であり、画家、騎手、弓の射手であり、発明家でもありました。「人は志ざせば何だってできるものだ」という言葉を残しました。ルネッサンス時代、博学者とは「完全な人間」の代名詞でもあり、知性、芸術、身体、の全てにおいて卓越していました。レオナルド・ダ・ヴィンチは素手で鉄の棒を曲げられたそうです。もちろんモナリザを描いたのは彼です。

Twigger氏は、最良のアイデアは一見無関係な領域の交わりから生まれると結論しています。私たちは通常、この世界で生き残るにはスペシャリストにならなければと考えます。しかし、きっと未来は「エキスパート・ジェネラリスト」に微笑むのでしょう。

When Being an "Expert" Is a Bad Thing|99U

Sean Blanda(訳:伊藤貴之)

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