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ポール・アレンが明らかにしたビル・ゲイツとのビジネス

ポール・アレンが明らかにしたビル・ゲイツとのビジネス

ビル・ゲイツと並ぶマイクロソフト設立者である著者による、『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト アイデア・マンの軌跡と夢』(ポール・アレン著、夏目大訳、講談社)。著者とゲイツがどうやって知り合ったか、世界最大のソフトウェア起業がいかにして誕生し、成長を遂げていったか、製品はどのように開発されたか、その過程ではどんな対立があったかなど、さまざまな思いが克明に綴られています。

注目すべきは、自身の半生を振り返った内容でありながら、自画自賛の多い自分史的作品にはなっていないこと。事実やそれにまつわる思いを客観的に記しているため、(その内容が全面的に共感できるものであるか否かは別としても)"物語"として読ませるだけの説得力を持っているわけです。

そして際立っておもしろかったのは、性格的に著者とは対極にあるといえる元パートナー、ビル・ゲイツの発言と、それに対する著者の思い。いくつかを拾ってみましょう。

秋のはじめのある日、私は、端末を囲む集団のほうへ、ひょろっとした、顔にそばかすのある少年が歩いていくのを見かけた。神経質そうだが、手も脚も、全身、エネルギーがみなぎっているようだった。(中略)この少年、ビル・ゲイツに関しては、すぐに三つのことがわかった。まず、非常に頭が切れるということ。非常に負けず嫌いであるということ。自分がいかに頭がいいかを証明したくてしようがないのだ。そして、もう一つ、彼が非常に粘り強い、ということも間違いなかった。

(55ページ 第3章「ビル・ゲイツ」より)

シアトルの市立中学校、レイクサイドでふたりが会ったときの描写ですが、この時点ですでに、ゲイツの強烈な個性ができあがっていることがわかります。

一緒に暮らしてみると、今まで知らなかったビルの意外な一面が見えてきた。世の中には「アドレナリン中毒」と呼びたくなるような人が結構いる。何よりも興奮できること、ワクワクできることが大事で、そのためなら危険も厭わない人。母はよく、そういう人のことを「エッジウォーカー(Edge Walker=刃物の上を歩きたがる人)」と呼んでいた。ビル・ゲイツこそ、エッジウォーカーと呼ぶにふさわしい人だった。彼は、二六五キロも離れたシアトルとバンクーバーの間を、二時間以内で走れると自慢していた。夜中に愛車のマスタングで出発し、猛スピードで突っ走るのだ。私なら命の危険を感じてしまうところだが、ビルはそれが楽しいようだった。

(103ページ、第5章「ワシントン州立大学」より)

時々、とくにチェスをした時などには、ビルが短気を起こすことがあった。私はあらかじめ作戦を立てて、それに忠実にゲームを進める「几帳面」なタイプのプレーヤーだ。それに対し、ビルはその場の発想で即興的なプレーをする。そして、非常に負けず嫌いだった。私に負けて腹を立て、駒を全部、床にぶちまけてしまったこともある。

「こんなひどい手を指すなんて!」ビルはそう叫んだ。そういうことが何度かあったので、もうチェスはしなくなった。

(103ページ、第5章「ワシントン州立大学」より)

これらの記述からは、対照的なふたりの性格を読み取ることができます。そして、そのバランスがマイクロソフトを成功させたのだということがわかります。

深夜の作業中にビルが端末の前でうたた寝しているのもよく見た。コードを打ち込んでいる最中に、徐々に身体が前方に傾いていき、ついには、鼻がキーボードにあたってしまう。そのまま一、二時間眠ったあと目を覚まし、薄目でスクリーンを見て二度ほどまばたきをすると、すぐに何事もなかったように作業を続行する。本当に信じがたいほどの集中力である。

(122ページ、第6章「2 2=4!」より)

こうした描写には、ゲイツのエキセントリックな才能が表れているように思えます。そんなこともあって、ふたりは成功したわけです、しかし......。

ボストンで一緒にビジネスを始めた頃には、私たちの立場は対等だと思っていたし、これからもずっとそうだと思っていた。利益があれば、常に半々に分けるものだと思っていたのだ。だが、ビルの考えは違った。「半々はおかしいよ」彼はそう言った。「(中略)ボストンにいた時、僕はほとんど何ももらわずに、BASICのコードの大部分を書いていたんだよ。僕のほうが多くもらわないと合わない。六対四にすべきだ」

(147ページ、第7章「MITS」より)

マイクロソフトが「マイクロ-ソフト」としてスタートしたこの段階で明らかだった両者の個性の違いは、結果的に軋轢を生むことになります。種明かしをするわけにはいかないので残りは省略しますが、ここからアレンの辞職に至る道のりはスリリングで、とても読みごたえがあります。そしてそこに描かれた確執は、多かれ少なかれマイクロソフト以外の起業にもありうることではないかとも感じました。

ちなみに、音楽が好きな著者に影響を与えたというギタリスト、ジミ・ヘンドリックスのために一章を使ってしまうような極端な部分もありますが、結果的にはそれも、ITの基礎を固めた世代に対してヒッピー・カルチャーが与えた影響の大きさを物語っているといえます。

(印南敦史)

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