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堀込泰三堀込泰三  - ,,,,,,  08:00 PM

どんなに稼げるようになっても、貧しかった記憶は消えない

どんなに稼げるようになっても、貧しかった記憶は消えない

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初めて就いた仕事は、ウォルマートのカート押しでした。あのころは、給料日を指折り数えていたものです。貧困の境界線を行ったり来たりしながら、来月の家賃を心配して生きていたのです。でも、それが普通だと思っていました。貧しさが私に残した心理的恐怖に気づいたのは、むしろお金を稼げるようになってからのことです。

貧しさとは、単なるお金の出入りの話ではありません。もっと心の問題です。貧しさゆえに自分は無価値だと思い込んでいた時期は、自分はもっと給料をもらうべきだと思ったことはありませんでした。なぜなら、自分には価値がないのだから。罪悪感、羞恥心、そして恐怖が、私の(そして何百万もの苦しんでいる人たちの)向上心を妨げていたのです。それは、エンドレスな自滅のサイクルでした。現在同じような状況に苦しめられている人へ。その状況が当然だとは思わないでください。多くの場合、システムはあなたを失敗させるように作られています。でも、そのシステムの何が最悪かって、そこにとどまるのが当然だと思わせることなのです。


お金を持つこととは、良い判断を下す自由を持つこと


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給料日を数えて生きていたころは、金銭的に悪い判断とは何かを理解していました。口座に300ドルあって、家賃に250ドルが消え、食費に50ドルが消えたら、その週に映画を見に行くのは悪い判断です。それでも、ときには悪い判断もしました。映画が好きなので、つい思い立って見に行ってしまい、後悔することもあったものです。悪い判断だったかもしれませんが、それでも選択してしまいました。

破産中は、悪い判断をする自由しかありません。家賃を払うことは、とても「良い判断」とは言えません。だって、家賃を振り込んで、誰かに祝福されることはないでしょう。まあ、貧しいときには家賃すら払えないことがあるので、払えるだけマシですが。それにしても、それは単なる立ち泳ぎでしかありません。「かしこく投資」だとか「非常時のための貯金」なんて選択をできるはずがないのです。

でも、初めて稼げるようになったとき、それまで馴染みのなかった予算の柔軟性を発見しました。想像したこともなかった「老後のための貯蓄」といった、「かしこく使う」ための選択肢が選べるようになったのです。キャリアのために講座に通ったり、ソフトウェアを買ったりするのも自由。借金返済もできました。これらはすべて「良い判断」でした。そして何よりも、自分の行動を自ら選択できることに驚きました。

これは、破産中には理解できなかったことです。収支を合わせるだけで精いっぱいだったので、「お金=みんなから取られるもの」としか考えられなかったのです。昇給を望むにしても、単に生活を間に合わせるため。必要最低限以上のお金を望むことに、むしろ罪悪感を持っていたほどでした。お金を欲することが強欲でもワガママでもないことを知ったのは、それからずっと後のことです。自分には、皆が持っている自由を持つ資格はない。そのような考えが、貧困の悪循環の原因でした。お金関係のブログサイトを読むことはありましたが、ライフスタイルインフレの避け方は書いてあっても、自分で自分にハンディを背負わせていることに気づく方法は、どこにも書かれてなかったのです。


セルフケアにはお金がかかる


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20代で貧しいと、医者に診てもらうことはほとんどないでしょう。低所得世帯は、お金が足りずに定期健診を受けられないことが多いもの。食べられるかどうかの瀬戸際なら、知りたくもないことを知るために20ドルを捨てようと思わないのも当然です。

筆者の場合、選択肢すらありませんでした。腰痛、歯痛、病気などにかかっても、保険に支払うお金がなくて、医者にかかることはまずありませんでした。

保険の対象を確認してみてください。予防医療は通常、かなりの金額が保障されます。これには理由があって、保険会社は今日の予防に50ドル支払っておけば、1年後の治療費2000ドルを避けられるのです。彼らが前者を選ぶのは当然。でも、当時の私は彼らの視点を共有できていませんでした。私にとっての50ドルは、不可能な金額としか思えなかったのです。

保険に入ってから、いろいろなことをキャッチアップしなければなりませんでした。特に歯医者が最悪でした。虫歯だらけだったのに、治療の機会を逃して放置していたのです。残っている歯の修復や抜歯にかなりのお金がかかりました。早めに歯医者に行っていれば、ずっと少ない金額で済んでいたはずなのに。今でも、あのとき数カ月分の家賃を滞納してでも保険を払っておくべきだったのではないかと後悔することがあります。当時はベストな判断をしているつもりでしたが、少なくとも今の負担減にはつながっていません。

つまり私は、今でも過去の貧困を引きずっているのです。仮に虫歯予防にお金を投じていたとしても、その他の分野でお金を出せず、結局は後々の出費がかさんでいたことでしょう。それなりの収入が得られるようになってからは、かつては気づかないふりをしていた健康関連の問題を、優先的に考えることにしています。ですから、保険料を払えるのであれば、可能な限り健康を無視しないでください。もちろん、保険料が払えない苦しみは、わかりすぎるほどわかっています。


お金を得ると、失うのが怖くなる


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破産中は、たくさんのお金を持つことなんて夢のまた夢。あと少しのお金があれば、悪循環を断つことができ、肩の荷を下ろすことができるはずと自分に言い聞かせるしかありません。

もちろん、一定のラインを超えるとお金が増えてもハッピーにはなれませんが、ないよりはあったほうがマシなのは間違いありません。お金を手にすれば、人生をより良くするものに投資ができます。食べ物は大量に買ったほうが単価が下がるし、故障しにくい車を手に入れることもできるでしょう。お金は、間違いなくあなたをハッピーにしてくれます。だからこそ、失うことが怖くなってしまうのです。

貧しいときは、「お金を得ること」が、永遠に続く新たな人生へのマイルストーンのように感じられます。でも、そのお金はおそらく、給料の形で手に入るのが現実です。でも給料というものは、いつか失ってしまうのではないかと常に不安を駆り立てるのです。

ウォルマートで働いていたころ、失業するかもしれないと思ったことが何度かありました。ヘマをしたときや、上司の機嫌が悪くて八つ当たりをされたときなどです。駐車場でカートを押すという最低賃金の仕事を失うことは、とてつもなく恐怖でした。それまでの人生で、最大の不安でした。

もっといい仕事を見つけてから、恐怖は解消されるどころか、指数関数的に悪化していきました。1週間の調子が悪いと、いつかすべてが崩れ落ちてしまうのではないかと怖くてしかたがなかったのです。首になったら、誰が雇ってくれるだろうか? こんなラッキーな仕事を見つけられることはもうないかもしれない。もっと給料の低い仕事に就くしかなく、歯医者に行くなどといった気ままな贅沢は、もうできないかもしれない。

この恐怖は、部分的にはインポスターシンドローム(詐欺師症候群)かもしれませんが、それよりも、何かを失うかもしれないという認識に起因する、もっと直感的な恐怖のほうが強いと思います。私は長年、病院にも行けず、お酒を飲みにも行けず、コスプレのような趣味に興じることもできませんでした。お金がある環境で育った人にとっても仕事を失うことは恐怖でしょうが、私のような人間の場合、それは単なる恐怖ではなく、記憶なのです。


貧困の記憶は消えない


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米国政府が定める貧困ガイドラインを超える給料を得られるようになって、約3年が経ちました。それほど長い年月ではないものの、そろそろ気持ちの整理がついてもいいだろうと思っています。でも、その時はいまだに訪れません。今でも、急に20ドルの出費があると、不安に胸を締め付けられます。100ドル以上の出費の決断には、かなりの苦痛が伴います。おかげで倹約ができているのはありがたいことですが、一方でこのことは、貧困のマインドセットがいかに染みついているかを証明しています。

先日Xboxを買おうと決意したとき、そのことをまざまざと実感させられました。私は現在、十分な性能を持つゲーム専用のPCを持っていて、ゲーム(たいていレンタル流れで買った5ドルのもの)をしたいときにはいつでも使えます。これまで何年もかけて少しずつPCをアップグレードしてきたので、一度に100ドルを超える出費はありませんでした。そのため、ゲーム機に300ドルもかけることは常軌を逸していると感じられたのです。ありえない。

決断に至るまで、何カ月も悩みました。「欲しいものがあって、それが金額的に買える範囲なら、正当化は不要」という文章をタイプするだけで、何かに反逆しているように感じてしまいます。それでも、生活費を支払い、未来のために貯蓄し、負債を返すことはできている。いつだってお金があれば何かいいことができるものですが、私はついに、「単に欲しいから買う」という選択肢を得ることができたのです。それが良い決断であることを証明するための外的な理由など、必要ないのだと。

Xboxを買ったことには、いまだに罪悪感を持っています。きっと、一生そうなのでしょう。もちろん、そのお金を別の何かに使うことができたかもしれませんし、別のゲーム機を買うこともできたかもしれません。あるいは、すでにあるものだけでもハッピーだったかもしれません。私は常に、このような自己批判をしています。貧しかった日々のせいで、お金に対する自分の判断は間違っていると考えることが癖になっているのです。この内なる声は、収入が増えても変わりませんでした。おそらく、これからも。どれだけ這い上がろうと努力しても、私は貧困という名の穴の一部を、ずっと引きずって生きて行くしかないのでしょう。良し悪しではなく、それが現実なのです。

Eric Ravenscraft(原文/訳:堀込泰三)
Illustration by Angelica Alzona. Photos by Getty Images, US Army Africa, Rafael J M Souza, andjridgewayphotography.

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