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印南敦史印南敦史  - ,,,,,,  06:30 AM

「そうなんですね」に感情はあるか? 意外に多い「不適切な日本語」

「そうなんですね」に感情はあるか? 意外に多い「不適切な日本語」

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ご存知のとおり、『不適切な日本語』(梶原しげる著、新潮新書)の著者は多方面で活躍するフリーアナウンサー。日本語検定審議委員でもあり、『すべらない敬語』『ひっかかる日本語』など日本語に関する著作も多い人物です。

私は、日常生活で誰かの言葉にひっかかることが多い。しかもそれを妻に言うだけではなく、仕事仲間に聞いてみたり、関係者に取材したり、専門家に教えを乞うたりすることも珍しくない。(中略)私がヒマだからか。粘着質だからか。きっとどちらも正解なのだろう。(「まえがき」より)

つまり本書には、そんな著者のアンテナにひっかかった言葉や表現が集められているということ。ただし当然ですが、闇雲に難癖をつけているわけではありません。「ひっかかりからあちこちに聞きまわって考える」ということは著者にとって、"ナマの日本語を味わい、楽しむための作業の一環"だというのです。

そう、日々の見聞きする日本語について考えるのはとても楽しいことなのだ。その結果を日本語仲間たちと居酒屋であれこれ話し合うのは、私にとって至高の時間である。(「まえがき」より)

そういう意味では、著者の並々ならぬ好奇心が生みだした力作だともいえそう。いくつか、興味深いトピックスをご紹介したいと思います。



「元気」は他人にもらうものなのか


「この夏、◯○オリンピックでたくさんの元気をもらいました」

このような表現を聞くことはよくあります。もともとスポーツアナウンサーだったというだけあって、著者もスポーツは大好き。駅伝も、ワールドカップも、スケートも、そしてオリンピックも例外ではなく、感動的な場面では涙ぐんだりするといいます。

ただし、「元気をもらった、感動をもらった」という声が聞こえてきたとたんに、その涙も音を立てて引いていくのだとか。元気はもらうようなものではなく、自分のなかから湧き上がる「自発的な感情」であるはず。なのに「元気をもらった」と表現するのは、いかにも安っぽいということです。

そこで著者は複数のウェブサイトに答えを求め、都立図書館で本を探し、さらには国語の「番人」である国立国語研究所に問い合わせをします。その執念こそが、「粘着する梶原」を自称する所以。そしてその結果、担当の先生から無視できない言葉を引き出すことになるのです。

「ここからはごく個人的な事を申し上げますが、実は私も違和感を覚えます。『元気をもらう』『勇気をもらう』。そういう言い方がある事は認めます。しかし私は決して使いません。なぜか? これも個人的な発言ですよ。この常套句は、陳腐でプアです。(中略)『言語の記号化』って聞いたことありますか? これを口にすれば誰からもおとがめがない、他人を傷つける事はない。言葉というより印です(後略)」(28ページより)

いわば「元気をもらった」という記号化された常套句は、「ことを構えたくない」「恥をかきたくない」というような場合に便利なツールだということ。無難にやりすごすには、無難な言葉がいちばんだという安易な発想であるわけです。(21ページより)


「こだわりの料理」はどこが陳腐か


この項で紹介されているのは、大阪・毎日放送のテレビ番組「水野真紀のレストランR」のプロデューサーであり、500軒以上の「いい店うまい店」を紹介してきたという本郷義浩さんの「オンエアする店」選択のポイント。

紹介されれば店の認知度が上がるという人気番組であるだけに、その制作マンがどのような基準を持っているのかはとても気になるところですが、そのひとつが「三代禁句を使っている店は選ばない」というものなのだとか。つまり、飲食店がメニューやホームページ、チラシ、パンフレット、広告資料に使う「売り文句」のこと。

具体的には1.「こだわりの料理」、2.「旬の食材」、3.「伝統の味」が「三代禁句」で、この言葉を使う店を「選ばない」といい切っているのだそうです。

「店に立つ料理人は誰でも食材の仕入れ、下ごしらえ、調理、味つけ、盛りつけなど、料理をおいしくするために試行錯誤し、工夫をこらしています。『料理にこだわる』、『旬の食材を使う』、そして師匠から教えてもらった『伝統の技』を身につけているのは当たり前のことで、あえて言う必要のないことだと思います。(206ページより)

著者も自身の経験から、地道な努力を重ねて卓越した技を獲得した人、独自の境地を探り当てた偉人たちは、その方ならではの言葉を口にするものだと記しています。本当に感動した人は「勇気と元気をありがとう」など、陳腐な言葉を使うことにためらうのと同じだと。抜きん出た料理人が、自分の作品を安っぽい決まり文句で表現するなどもってのほかだということ。

ちなみに本郷さんのなかには、「空虚な三大最上級表現(『究極』『厳選』『絶品』)を使っている店は避ける」という基準もあるのだとか。たとえば「究極のスープ」「究極のラーメン」「究極のオムライス」「究極のプリン」「厳選した牛肉」「厳選食材」「絶品料理の数々」「絶品メニュー」などがそれにあたるわけです。

「要するにこういう最上級表現は何に対して何と比べて究極なのか、何から厳選しているのか、曖昧なまま言葉だけが先走っているのです。具体的に勧めるポイントがない料理や商品の販売促進をするためには、『究極』『厳選』『絶品』などの言葉を使って差別化をはかるしか策がないのだと考え、(収録の)リストからはずします」(208ページより)

ハードルは高いけれど、そのくらいの覚悟を持って仕事をしてほしいということ。著者はそれを「『愛すればこそ』の言葉」だと評していますが、これは料理に限らず、一般的なプレスリリースなどの文章表現においても意識すべきことかもしれません。(203ページより)


「そうなんですね」に感情はこもっているのか


目上やお客など、本来であれば「高めるべき相手」を怒らせている表現のひとつとして、著者は相槌言葉の「そうなんですね」にも焦点を当てています。この10年ですっかり浸透してしまった(個人的にも非常に残念)、「そうなんですか」の「か」を「ね」に代える若者言葉です。

近年、こういう「知恵と配慮に欠けた人」が増えている。
誰かが何かを言ったら、なんでもかんでも「そうなんですね......」。
機械的に応え、つなげるべき会話を「ズドン」と終わらせる相槌の蔓延だ。
「か?」と疑問形で問いただしたら「失礼だ」と勘違いしているらしい。
これが周囲をどれだけ失望させているか、一度胸に手を当てて考えたらいい。
(211ページより)

「そうなんですね」に、「受け流す」「話し手を軽んじる」というニュアンスを感じ取る人は少なくないはず。本人の意図がどうであれ、「その話、もう結構です」という「打ち切りの合図」と受け止められる場合もあるということ。少なくとも、「共感のメッセージ」だと好意的に感じる人は少ないでしょう。

だからこそ、もしも「しっかり話を聞いてほしい」という「伝え手の願望」につきあう意思があるのなら、「そうなんですね...」は避けたほうが無難だと著者は主張しています。もっともこの問題に関しては、「世間の反応は思いのほか低かった」そうなのですが...。(210ページより)




視点の鋭さ、文章のおもしろさも間違いなく魅力的。ここでは再現しづらい独特の文体にも、不思議な味わいがあります。しかし、それらを凌駕する最大の魅力は、著者の日本語に対する愛情がしっかりと伝わってくる点。これまで日本語に興味を持ったことがなかったという方でも、きっと言葉のおもしろさを実感できるはず。同じ日本語ファンとして、自信を持ってお勧めします。


(印南敦史)

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