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ライフハッカー編集部ライフハッカー編集部  - ,,,,,,,,,  11:00 PM

19年間勤めた博報堂を辞めて、私がオランダに移住した理由

19年間勤めた博報堂を辞めて、私がオランダに移住した理由

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2016年3月、19年間勤めた博報堂を退職して、私はオランダへ移住しました。広告の仕事を通じて多くの人と出会い、貴重な経験をさせてもらったこの19年間は広告界にとっては激動の時代でした。仕事のやり方、内容、目的なども大きく変わっていく、まさにデジタル化、グローバル化の進展を肌で感じたエキサイティングな期間でした。そして、また自分自身の環境も大きく変わりました。結婚、転勤、子どもが生まれ、さらに3.11で受けた衝撃。そして第二子誕生に際して取った1年間の育児休暇中にアジアを家族で放浪。今までの価値観が大きく変わり、世界の広さに改めて刺激を受けました。こうした経験を通して、今、オランダに移住することが私にとって必要だと考えた理由をお伝えします。


第一線で働いて気づいた違和感


今からちょうど10年前の2006年、まさに六本木ヒルズの目の前に住んでいた私は、毎晩、消えることのない窓の灯りを見上げていました。

いわゆるヒルズ族と呼ばれた人たちは、その数年前に弾けたネットバブルとともに六本木からは消えたのかもしれませんが、当時の六本木はミッドタウンや新国立美術館がオープンし、けやき坂下のツタヤは夜中になればなるほど混雑度が増すかのようでしたし、のちに事件となり話題になる、有名歌舞伎俳優を西麻布の交差点で毎晩のように見かけたのもこの頃でした。

当時、私は入社11年目。CMプランナーとして、クリエイターとして、クライアントとの打ち合わせにも現場責任者という形で参加し、自分たちの企画をプレゼン。それが受け入れられれば、企画をディレクターやカメラマンを始めとする大勢の一流スタッフと、撮影、編集して、1本のCMを最初から最後まで仕上げて納品する。さらには、その後の反響を調査し、さらにまた次のキャンペーンに続けていく、というプロジェクトをいくつも担当していました。大きな仕事もたくさん任され、大企業の社長にプレゼンし、ビッグタレントを起用し、海外ロケに行く、という、絵に描いたような広告代理店の仕事をしながら、毎日、深夜まで続く打ち合わせの後、食事を済ませ、六本木の自宅に朝方歩いて帰宅、という生活を続けていました。

平日も休日も昼夜の区別もなく仕事を続け、年間を通じて休日が5日しかないという年もありましたが、仕事が楽しかったので、そうした日常のサイクルは全く苦になりませんでした。


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2007年のハワイロケにて。


しかし、当時の、まるで地に足のついていない、フワフワした状態は、ある日を境に激変しました。2008年9月に起こったリーマンショックです。その日、我が家でいつも目にしていた六本木ヒルズの灯りが全て消えたのです。

その頃を境に仕事も激変しました。明らかに広告キャンペーン1本あたりにかける予算が激減し、案件自体も減ったのです。ただしこれは不景気だから、という理由だけではなく、産業全体の変化でした。

2008年、iPhoneが発売された頃から、CM制作におけるデジタル化が進んでいきました。フィルムカメラがデジタルカメラになり、1人1台のMacが当たり前になり、撮影も編集も、速く、安く、簡単になりました。それまでは、各分野のいわば職人たちが光り輝いていた広告制作業界。しかし、その制作プロセスが静かに、そして劇的に変わっていく過程で、広告自体の作り方や意味、そして役割が変わり、それに対応できない者は密かに淘汰されていったのです。

私はこの頃、漠然と将来に危機感を覚え始めました。世界には、今までのキャリアが通用しない新しい秩序が生まれつつあり、自分のスキルを活かせる土壌が消滅しつつある、と感じたからです。実際、世界に目を向けると、多くの影響力を持った企業が出てきていました。Google、Amazon、Facebook、Apple、Tesla Motors、Uber、Airbnb。自分が新卒で入社した時には、存在すらしていなかった会社さえありますが、今や世界の超一流企業です。残念ながら、ここに日本の企業が入っていないのです。

生まれも育ちも東京である私は、このころ息苦しい閉塞感と、一刻も早く世界を知らなければならないという焦りを感じていました。


九州への転勤


日本に閉塞感を感じていた私が取った行動は「海外への異動願い」を出すことでした。しかし、結果的にそれは叶いませんでした。2009年4月に、九州支社へ転勤の辞令が出たのです。

福岡の企業規模は東京と比べてずっと小さいものでしたが、良い変化もありました。経営者との距離感が近くなったことです。


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福岡で最初に住んだ家のベランダからの風景。住む環境はガラリと変わった。


広告クリエイターは通常、経営における川下の最終アウトプットにしか関わらないことが多く、経営者と直接話せるのは一部のスタークリエイターだけでした。ところが、九州で担当した企業には中小企業が多く、人柄の良い経営者が多く、こちらが全力でぶつかっていくと、全力で受け止めてくれるタイプの方がたくさんいました。いわば、九州男児ということでしょうか。経営者から直接電話がかかってきて「吉田くん、これどうしたらいい?」と聞かれることもよくあったのです。これは、東京では考えられない距離感でした。


日本の問題の根本は教育にある


プライベートにも大きな変化がありました。転勤した2009年の夏、長男が誕生したのです。

長男の誕生とともに感じたのは、この子が将来、大人になった時に、いったい日本はどんな風になっているんだろう? どんな大人になっているんだろう? ということ。広告という仕事や業界が激変していく渦中に身を置いていたので、いっそう身近に感じられたのかもしれません。

この頃から、日本の企業が世界で活躍できていない根本的な原因は、教育ではないか、と思うようになりました。

というのは、ほんの数年前まではロケなどで海外に訪れた時に、現地スタッフから聞かされる日本企業の評判は非常に高いものでした。それが気がつくと、そうした話を全く聞かなくなっていました。担当させてもらっていたいくつかの日本の大企業が、倒産してしまったところもありました。

そう思って考えると、大企業には日本のトップ大学を卒業した人が働いていることが多いのに、会社に入ること自体が目標になってしまい、入社後の仕事ぶりを見ると、「もっとできるはずなのに...」「もっと優秀なはずなのに...」と思える人が確かにいました。

もちろん、今の自分があるのは多くのクライアントや、博報堂の周りの人に育てられたおかげであるのは間違いないのですが、いつしかそうした人たちにも何かしらの恩返しをする意味でも、子どもだけではなく、自分自身も教育に立ち返ってやり直す必要があると感じました。


育休で滞在した東南アジア


2013年に妻が次男を妊娠したことをきっかけに、決めたことがあります。それは、「1年間の育児休暇を取ること」。そして、「その間に家族で海外放浪の旅に出ること」。これを決めたその日から、次男誕生までの間、お金のやりくりを考えながら、育休海外放浪へ向けての準備と、読書を始めました。

当時、読んでいた本は、大前研一さんと柳井正さんの対談本『この国を出よ』(2010 小学館)、加藤順彦さんの『若者よアジアのウミガメになれ』(2013 ゴマブックス)ジム・ロジャースの『冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界大発見』(2003 日本経済新聞社)、田村耕太郎さんの『君はこんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?』(2012 マガジンハウス)、徳重徹さんの『世界へ挑め!』(2013 フォレスト出版)など。

そして、2014年の次男誕生に際して予定どおり1年間の育休を取り、いざ、家族でアジアへの放浪旅行に出たのでした。

行き先は今、最も勢いのある東南アジアで、シンガポール、マレーシア、フィリピン、ベトナムなど。長男を、シンガポールの現地の幼稚園に2カ月以上通わせたり、マレーシアの学校を受験させてみたりしながら、世界の教育を肌で体験し、同時に日本の教育が外から見るとどう見えるのかを考えてみたりなどしました。また出発前に、必死になって読み漁った著書の作者である、田村耕太郎さん、加藤順彦さんにシンガポールでお目にかかったり、現地の企業の人を訪ねたりと、育休を取って、アジアに来ていなかったらできない体験をしました。


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育休を使って滞在した東南アジアにて。


旅を通して感じたのは、それまでの自分の知っていた世界がいかに狭かったか、ということ。また、世界には日本の何倍もの課題もあれば、チャンスもあるということ。日本での常識は世界では常識ではないこと。日本の多様性と、世界での多様性は桁違いであること。逆に、自分のスキルも、世界で通用するかもしれないと思ったりもしました。

そして、改めて思ったのは、「長男が小学校になったら、世界で教育を受けさせよう」ということ。若いうちから多様性のある世界の環境で育てないと、世界で通用する人材になれないのでははないか? と思ったのです。


オランダとの出会い


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元サッカーオランダ代表で国民的英雄のヨハン・クライフのグラフフィティ。2016年3月24日に彼が亡くなったその日のうちにユトレヒトの自宅近くの壁に描かれた。


東南アジア滞在から戻り、無事に1年の育休からも復職した頃、気になるニュースを見かけました。それは「日蘭通商航海条約により日本人は労働許可なしにオランダで働くことができる」というライフハッカーの記事でした。オランダで起業する際にも、日本人には特権が認められているというのです。

アジアに教育移住をするつもりで準備をしていたときに、偶然出会ったオランダ。「子どもが世界一幸せな国」としても知られているこの国について調べてみると、「イエナプラン」と呼ばれるユニークな教育方針があることがわかりました。これが、今の我が家にとって理想的な教育方針だと思えたのも、オランダに惹かれた大きな理由の1つです。

一度、標的を決めたら行動あるのみ。育休アジア放浪旅行で、これは経験済みです。

かくして、育休復職からちょうど1年で博報堂を退職。文字通り、ライフハッカーにライフをハックされた私たち家族は、オランダへの移住を決めたのでした。

次回の記事では、オランダ移住を決めた後、どのように家探しをして引越ししたのか、実際に移住する過程で見えてきたコツを「家探し&引っ越し準備編」にて紹介します。


著者プロフィール】 吉田和充(よしだ・かずみつ)|Facebook

2016年3月、CMプランナー/ディレクターとして19年間勤めた博報堂を退社。在職中に1年間の育児休暇を取得し、その間に家族でアジア放浪旅へ。そうした経験から、子どもの教育環境を重視してオランダへ移住。オランダと福岡で、クリエイティブ・コンサルタント/クリエイティブ・ディレクター/ライターとして、広報広告全般からマーケティング、企業の成長戦略策定、ブランディング、新規事業立ち上げ、新商品開発、海外進出などを行う会社『SODACHI』@オランダと、『スタイラ東京』@福岡を起業。食や教育など人間の真ん中に携わる分野が得意。オランダ移住や、起業、進出を考えている会社や店舗などのご相談にも乗りますので、お気軽にご連絡ください。元サラリーマンクリエイターの海外子育てブログ『おとなになったらよんでほしい|おとよん』連載中。連絡はこちら:kyoshida52@gmail.com

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