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松尾仁  - ,,,,,  11:00 PM

アジアで活躍する起業家・ウミガメを育てるために活動する「エンジェル事業家」加藤順彦さん【アジア×ビジネス】

アジアで活躍する起業家・ウミガメを育てるために活動する「エンジェル事業家」加藤順彦さん【アジア×ビジネス】

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社会に大きなインパクトを与えたダイヤルキューサービスの中核で活躍した後、インターネット専門広告代理店・日広(現GMO NIKKO)を創業し、現在はシンガポールとマレーシアを拠点にアジア各地を飛び回り、アジアで活動する起業家のサポートを行っている投資家・加藤順彦さん。これまで本連載で取り上げてきた起業家とも親交を持ち、実際に出資もしている彼に、シンガポールに移住するまでの経歴から、アジアで活動する若者にかける想いまでたっぷりとお話を伺わせていただきました。


加藤順彦(かとう・よりひこ)
1967年生まれ。大阪府豊中市出身。関西学院大学在学中に(株)リョーマ、(株)ダイヤルキューネットワークの設立に参画。1992年、有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)を創業。2008年、NIKKOのGMOインターネットグループ傘下入りに伴い退任し、シンガポールへ移住。2010年、シンガポール永住権取得。2015年、マレーシアMM2H(長期滞在)ビザ取得。現在はシンガポールにて日本人の起こす企業の資本と経営に参画している。主な参画先は、家具製造のKAMARQ、シェアハウス運営のSanctuary Asia、ビットコイン事業のビットバンク、ASEANでの採用ソリューションSMS24/7、通販物流受託のS-PALなど。著書に『シンガポールと香港のことがマンガで3時間でわかる本』(明日香出版社)『講演録 若者よ、アジアのウミガメとなれ』(ゴマブックス)。


学生時代に起業。社会人生活1カ月で会社が倒産。


── まずは経歴から伺わせてください。

加藤:簡単に自己紹介をすると、大阪出身の49歳です。祖父が経営者で、父はその長男でした。私は4人兄弟の長男で、いわゆる3代目。そんな環境で育ちましたから物心ついた頃から自分は経営者になるのだろうという意識はあったんだと思います。関西学院大学の商学部に進学して、そこで現KLab代表取締役の真田哲弥さんと知り合いました。彼と、現GMOインターネット取締役副社長の西山さんに誘われて、19歳のときに始めたのが「リョーマ」という学生ベンチャーです。

── 学生時代から起業されていたんですね。

加藤:はい。商売が面白くて大学生活のほとんどはリョーマに費やしましたね。その後、1989年に真田さんが東京で「ダイヤルキューネットワーク」という別の会社を立ち上げ、そちらに傾注するようになりました。「この会社を日本一のベンチャーにするんだ!」と熱く語る彼に傾倒して、最終的には家族と決別し、不退転の覚悟で東京に出たのが91年の3月。ところがその翌月の4月に会社が破綻したんです。

── 東京に出て1カ月で会社が破綻したんですか!?

加藤:自分の人生も大破綻ですよ(笑)。大学を卒業して本当の意味での社会人になって1カ月で会社が潰れちゃったんですから。原因はダイヤルQというサービス、特にツーショットダイヤルと呼ばれていた男女のマッチングサービスが社会問題になったことでした。事業を引き受けてくれた徳間書店の子会社に1年半ほどいましたが、結局は92年の夏に担当事業自体が終了することになりました。

その後、8月に創業したのが日広という広告代理店です。最初は雑誌広告を売っていたんですけど、広告業界って非常に閉鎖的なネットワークで成り立っているんですよね。つまらないなと思っていた頃に流星のごとく現れたのがインターネットです。


インターネットの成長の尻馬に乗り、インターネット広告で大成功。


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エンジェル事業家・加藤順彦さん。現在はシンガポールとマレーシアを拠点に世界を飛び回っている。


── そして、インターネット広告を始めていくわけですね。

加藤:はい。96年頃には『日経ネットナビ』や『インターネットアスキー』など、インターネットの入門誌が一斉に創刊されました。ベッコアメ・インターネットやリムネットなど、ベンチャーのISP(インターネットサービスプロバイダ)もたくさん生まれて、入門誌に広告を出したがっていたんです。それでインターネット関連誌の広告代理店にシフトしたら、売上がものすごく伸びたんですよね。98年には私の最大のお客さんだったISP・インターキュー、後のGMOが上場を果たしました。前後してネットメディアに広告を載せる仕事も始めました。

── インターネットが急成長する過程を間近で見ながらお仕事をされていたんですね。

加藤:当時は非常に楽しかったです。2人で始めた日広でしたが、ピークには140人になって、売上も子会社を含めて年間120億円。坂道を駆け上がるように会社が成長するのを体感しました。ところが2006年にライブドア事件があったんです。堀江貴文さんが逮捕されて、世の中は手のひらを返すように「インターネットはけしからん」という風潮になりました。売上も急落して、経営は相当苦しくなりましたね。結局、GMOに日広を託す決意をしたんです。

── ダイヤルキューネットワークもそうでしたが、世の中の風潮によってビジネスの風向きが一気に変わってしまった。苦渋の決断でしたね。

加藤:はい、逃げたくなかったけど逃げたようなものです。地元に帰るか東京で就職するか、東京で別の会社を起業するか、選択肢はいくつかありましたけど、どれもピンと来ませんでした。それで海外に出るという決断をしたんです。


これからはアジアの時代だとシンガポールに移住。


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加藤さんが渡った当時のシンガポールの街の景色


── 海外に出ることを決断されて、その拠点としてまずシンガポールを選ばれたのはなぜですか?

加藤:話が前後しますが、日広時代の最大の売上がGoogle AdWordsだったので、ミーティングのために定期的にアメリカに行っていたんですね。そのなかでWPPという世界最大の広告代理店の会長、マーティン・ソレルさんが「これからはアジアとモバイルの時代だ」と明言されたんです。ほとんど同じタイミングでGoogleのエリック・シュミットCEOも「これからはアジアとモバイルだ」と。デジタル広告業界最大のキーパーソン2人が全く同じことを言ったんです。彼らはほぼ同時にアジアの戦略拠点をシンガポールに置きました。それだけでなく、ヤフーやマイクロソフト、アマゾンとITの巨人がシンガポールに東南アジアのヘッドクォーターを置いたんです。実はシンガポールは国策としてITの巨大企業を誘致していたんですね。

同じ2006年頃、私がアメリカで知ったのが百度(バイドゥ)のロビン・リーさんとアリババのジャック・マーさんのこと。彼らはアメリカで手に入れた人材や技術、資金、ノウハウを祖国に持ち帰り、経済と雇用を生み出したことで中国では英雄視されていました。書店には彼らの評伝や発言集がうず高く積み上げられ、なんと彼らのことは中学校の副読本にも載っているんです。彼らのような人をロールモデルとして学校で教えていることにかなり衝撃を受けましたね。

── 今でこそ日本でもかなり知名度の高い彼らですが、10年前のことだと思うと驚きですね。

加藤:そうなんです。彼らのようにアメリカで技術を得て中国でマネタイズしている人のことを、中国では海帰(ハイグイ)と呼びます。中国語では海亀と書いてもハイグイと読むので、これは中国では掛詞になっているんですが、そんな「ウミガメ」を育てようと決意したわけです。それでシンガポールに移り住んだのが8年前ですね。


日本を面白くしてくれる人。その事業過程に携わりたい。


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── では、シンガポールではどのような事業をスタートしたんですか?

加藤:それまでずっと広告業界にいましたけど、日本の広告はまず言葉ありきですよね。ただ海外の広告は、言語が異なる人々が見るのでほとんどがノンバーバル(非言語)。日本と海外の広告の作り方は根っこから違うのでとても太刀打ちできないと思って広告の仕事は諦めました。それで最初にやったのは日本企業がシンガポールに進出する支援を行うコンサルティング会社です。ところがまったく面白くなかったんですよね。

── それはなぜですか?

加藤:当時のクライアントは日本の大企業や中小企業で、アジア進出のための担当は海外戦略部長や東南アジア営業部長なんです。するとマーライオンに連れて行って一緒にシンガポールチキンライスを食べるみたいな、ほとんど旅行代理店の観光ガイドみたいになるんです。「俺はシンガポールまで来て何をしているんだろう...」と思いました。そこで自分はなぜ日広という会社の経営が面白かったのかに改めて気づきました。私が日広でやり取りしていたのはお金も社会的な地位もまだないけれど、命がけの駆け引きをする若い社長たち。彼らを相手に仕事をすることに、やり甲斐と生き甲斐を感じていたんですよね。だから、コンサルティング会社での仕事には自分をたぎらせるものがなかった。「本社に持ち帰ります」と、その場で物事を決められない人たちの観光ガイドをしても意味がないと移住から1年後くらいに気づいたんです。

それでウミガメの話に立ち戻ったわけです。アジアから日本を変えてくれる人、日本を面白くしてくれる人たちの事業を作る過程に携わろうと。投資家になろうと思って始めたわけでなく結果的にそうなってしまったんですけど、仕事というよりはそういう生き方を求めたんです。当時の日本の三大メガバンクの営業所はシンガポールにあったけれど、融資機能はなかった。そんななかで、アジアで活動する若い人たちに軍資金を提供する仕組みを始めてみようと思ったのが2009年の6月頃でした。今は19社くらいの経営に参画しています。


会社を伸ばすより、潰さないために機能する。


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現在はウミガメを育てるために学生向けの講演なども行っている加藤さん


── 現在のお仕事の内容を簡単に教えていただけないでしょうか。

加藤:主な仕事はというと社長の相談相手ですね。私が出資する会社は社長がオーナーで、お金があろうがなかろうが株式の大半を社長が持っていないとダメだと思っています。マイノリティシェアホルダーにこだわっていて、ほとんどすべての会社でダイレクターをやっています。とは言え、私は従業員ではなく非常勤役員。従業員ではないけれど役員会に出席して意思決定に参加するということです。資金調達を手伝ったりもしますし、社長に何かがあれば新しい社長を迎え入れるプロセスを株主を代表して監視したり、新しい社長に株を渡す際に株価が下がったというエビデンスを残さないために私を仲介させるというテクニカルなことも行います。私は株主であり役員でもあるけど従業員ではないので、ある意味とても冷静に、会社を伸ばすというよりは会社を潰さないために機能していることが多いですね。

── 現在は19社に参画しているということですが、出資先となる会社とはどのように出会われているんですか?

加藤:いろいろなパターンがありますけど、一番多いのは起業を考えている方が訪ねてくるケースですね。次に私が見つけるパターン。それこそライフハッカー[日本版]のようなメディアで知った人にアポイントをとって訪ねていくこともあります。最後は人間関係ですかね。過去に付き合いのあった人が起業を考えていて話を聞いて決めるというものです。


出資するかどうかは、経営者の「視座」で決める。


── 出資を決めるポイントはたくさんあると思うのですが、若い人が訪ねてきた場合、強いて言うならどこを見て決められていますか?

加藤:一番見るのは経営者の目線ですね。どこを見て起業しようと思っているのか、どんな問題意識で起業しようと思っているのか。私の言葉でいうと「視座」。どういう視座で物事を見ているかです。スタートアップはピボットを繰り返すもので、事業内容はどんどん変化します。ということは、基本的には商売の内容にフォーカスしてもあまり意味がないですね。私がこれまで出資した会社で上場した企業は9社ありますが、最初から最後まで同じ商売だったのは1社だけ。このケースは極めて稀で、ほぼすべての会社は設立時の事業と上場時の事業と今の事業が変わっています。ファインチューニングを毎日しますから。

── 事業内容が変わっても視座は変わらないものですか?

加藤:変わらないですね。事業の内容は変わるものだけど、やっぱり人間として正しいか、人間としてどういう問題意識を持っているのか、事業を起こすことで何を解決しようとしているのか、その動機の在処はどこなのか、ものの見方を見ています。


金儲けは不純ではない。最大の社会貢献は雇用創造


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今年の誕生日、経営に参画しているYOYOホールディングスのメンバーから送られてきた写真。
出資先との親密な関係性を築いていることがよくわかる。


── この連載【アジア×ビジネス】では、加藤さんが出資されたYOYOホールディングスの深田さんにも登場いただきました。深田さんは事業内容を考えるときから加藤さんが一緒になって考えてくれたことが有り難かったと話されていましたが、経営者の目線が正しい場合にはどういうふうに導いていかれるんですか?

加藤:私はお金儲けを考えることが好きなんです。なぜならお金が儲からないと人が雇えないし、事業を大きくできないからです。私は雇用を作ることは経営者にしかできない仕事だと思っていて、最大の社会貢献は雇用創造だと思っています。そういう意味で儲けにこだわるんですね。だからお金を儲けることに対してポジティブな人がいいと思っていて、若い人にはよくそういう話をします。

深田さんの場合はグラミン銀行創設者のムハマド・ユヌスさんに影響を受けていたから、特にお金の話をしましたね。彼の場合は最終的に出資するまで半年ほどかかりました。とにかく見るのは経営者の視座と儲けにこだわること。ロマンとそろばんですね。お金を稼ぐことが不純だと考えるのは間違いだと思うんです。「あなたは自分の名前と人生と親からもらった愛情を全部つっこんで会社を作ろうという決断をしているわけだけど、会社を作るとはこういうことだし、今あなたが素晴らしいと思っている事業モデルはどんどん変化する。おそらく1年後には今あなたが言っている事業は跡形もないけれど、それでもやりますか?」ってことを話しながら、相手の覚悟を試しています。

── スタートアップはピボットを繰り返すものだから事業内容は問わないと仰っていましたが、関わられている企業の事業は多岐に渡っていますね。

加藤:はい、多種多様です。多岐に渡っている理由は、いわゆる利益相反が嫌なんです。私は経営に参加するので、業務上どうしても知ってしまうことがあるから。だから似たような商売には参加しないようにしています。わざわざシンガポールまで訪ねてきてくれても競合となるような会社だったら「面白いけどこれ以上聞かないことにするね」と話したり、あるいは「あの人を訪ねてみるといいよ」とベンチャーキャピタルや他の投資家を紹介することもあります。


会社は、取引先、従業員、経営者にとっての有用な道具であるべき。


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マレーシア・ジョホルバールの加藤さんのご自宅から見たマレーシアの景色


── 出資金額はだいたいどのくらいですか?

加藤:少ないところは現金出資は無し、労働奉仕のみで軍資金を出さないケースです。過去で一番大きい額は1社で4000万円ですが、バラバラですね。1000万円前後が1番多いケースです。

── プロジェクトとしては何年ぐらいのスパンで考えていますか?

加藤:基本的には考えないようにしています。もしも世の中に必要とされなければすぐに閉めればいいけれど、その法人が道具として有用であれば基本的に永遠でなければダメだと思っているから。だから私がいつも社長に言うのは、会社というものは関わる人にとっての道具として存在するべきだということです。取引先にとっても従業員にとっても、社長にとっても成長や成功のための道具じゃなきゃダメ。大事なのはサステナブルなことですね。継続を前提として会社のデザインを考える必要がある。だから私は会社をプロジェクトとしては考えません。常にミッションの期日は設定していますけど、会社自体はずっと続くことを前提にしています。




起業家の「視座」の正しさを見ながらマネタイズの意識を根気強く育て、起業家と共に前に進む加藤さん。シンガポールに移住されるまでの経歴や、それ以降の熱い想いを伺って、加藤さんがなぜ「エンジェル投資家」ではなく「エンジェル事業家」だと名乗られているのかが腑に落ちた取材でした。加藤さんは昨年マレーシアでも長期滞在ビザを取得し、現在は日本とシンガポール、マレーシアを行き来しながらアジアで活動する日本人起業家のサポートを行っています。より広い世界で、彼がどんなウミガメと伴走していくのか、これからも楽しみにしたいと思います。


(取材/松尾仁、文/宗円明子)

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    香川博人

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