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ライフハッカー編集部  - ,,,,,,  10:00 PM

イェール大卒の会社員が落語家になるまでに経験したこと。落語家、立川志の春さんは米国で何を学んだのか

イェール大卒の会社員が落語家になるまでに経験したこと。落語家、立川志の春さんは米国で何を学んだのか

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アメリカのイェール大学を経て、三井物産に入社という経歴を持ちながら、落語の世界に飛び込んだ立川志の春さん。立川志の輔師匠の3番弟子として、2011年に二つ目に昇進。自分で公演を開くことができる位となり、活躍の場を広げています。
 
エリート街道から落語家への転身...と、めまぐるしい人生を送ってきた志の春さん。やはり、眠る暇もないほど忙しかったのでしょうか?

睡眠専門メディア「Fuminners(フミナーズ)」の記事より抜粋してご紹介します。


慣れない文化に食いつこうとする中で「自分の国の文化をまったく知らないこと」に気づいた

 

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高校時代は千葉県の学校に通っていた志の春さん。「偏差値で進路が左右されるのはおかしい...」と日本の進学状況に疑問を抱き、やりたいことを実現できる大学を探していたそうです。

「アメリカの大学なら3年次までに専攻を決めればいい。君に合っているよ」と英語教師に勧められ、留学を決めました。

合格したイェール大学は、数々の政治家を排出してきた全寮制の名門校。

寮は4人部屋で、2段ベッドの1段目で寝ていました。僕の上段にはアイスホッケー部のルームメイトが寝ていたのですが、寒いのが好きみたいで、夜は窓を全開にして、しかも裸で寝るんですよ! 大学があるコネチカット州ニューヘブンは、冬は−10℃にもなる寒い土地。寒すぎて、まともに眠れるようになるまでに時間がかかりましたね。

 

さらに、アイスホッケー部の彼は部活の練習で朝早く起きるため、彼と同じく朝4時半ごろに目が覚めてしまうことも。ルームメイトとの生活も含め、学校生活は慣れないことの連続でした。

アメリカの授業は、その場で何か教わるというよりも、予習し、わからないところを授業中に質問するスタイル。みんな自己主張が強いので、はじめはかなり戸惑いました。日常会話にもついていくのが大変で。

 

言葉も分からず、慣れない文化の中で必死に食らいついていく日々。そんな中、現地で出会った異国の友人たちに日本の文化を教えられるというショッキングな経験が、のちの進路を変えたといいます。

それまで僕は、黒澤作品も小津作品も観たことがなかったんです。映画好きの友人に『日本人なのに、それはダメだ。俺が教えてやる』と、視聴覚室に連れて行かれました。

そこで、自分の国の文化を全く知らないことに気づいたという志の春さん。改めて自分のルーツを知るために、卒業後は日本に戻ることを決意しました。


落語に出会ってからは、平日の接待の接待に行かなくなり、仕事以外の時間をすべて落語に費やした


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日本に戻り、三井物産に就職した志の春さん。鉄鉱石部に配属され、素材調達などを担当していたそう。

出社時刻は9時ごろで、仕事が終わるのは毎日終電間際。接待もあるのでさらに遅くなる日もありました。寝つきも寝起きもいいほうですが、十分に睡眠時間が取れていたとは言えず、昼間は眠かったですね。

そんなある日、ひょんなことから立川志の輔師匠の落語を聴く機会が訪れます。

巣鴨の寄席の前を通りかかったら、たまたま立川志の輔独演会ののぼりを目にしたんです。それまで落語に触れたこともなく、「なんとなく聴いてようかな」と思って入ったのですが...。

初めて聴いた匠の落語に、これまでに味わったことのない衝撃を受けたという志の春さん。お腹を抱えて笑った経験は人生初。「こんなにおもしろいものがあるのか...!」、"日本でやりたいこと"を見つけた瞬間でした。

それから、とにかくいろいろな人の落語を聴きました。平日夜の接待にも行かなくなり、仕事以外の時間をすべて落語に費やしましたね。

忙しい平日を過ごしていたので、土日は必ず疲れを取る時間に充てようと、接待ゴルフには絶対行かなかったそう。

週末のゴルフも仕事の一部だという認識はありましたが、その間に昼夜二回は落語会に行ける。考えた挙句「芝アレルギーです」と言って一度も参加しませんでした。ただ、野球は好きなので、野球大会には参加していました。思い切り芝の上でしたけどね(笑)。

落語漬けの生活を始めて3カ月ほど経ち、落語家になることを決意。人生観を変えてくれた志の輔師匠への弟子入りを志すも、両親が反対していたため、最初は入門が許されませんでした。
そこには、「落語家を目指すなら、反対されても、身近な人くらい言葉で説得しろ」という立川流の考えがあるのだそう。

親を説得することで、落語家への覚悟が試されるんです。両親には「才能があるはずはない、無理だ」と全否定されましたが、僕は、今やらなかった後悔を生涯抱えて生きていくことはできないと思っていたので、その一点で押し切りましたね。

落語との出会いから10カ月後、志の春さんは3年半勤めた会社を退社。両親を説得し、退路を断ってやってきた決意の強さを認められ、晴れて志の輔師匠の元へ弟子入りすることに。
 
しかし、そこには厳しく長い修行時代が待っていたそうです。それを象徴するのが、「連絡を受けたら15分以内で駆けつけるように」と師匠に言われていたこと。志の春さんは銭湯に行く際にも、携帯をビニール袋に入れて持ちこんでいたそう。志の春さんが過酷な修行生活をどのように乗り越えていったのかについては、以下のリンク先をご覧ください。


電話が怖い! 笑いを届ける落語家の笑えない(!?)睡眠事情 | Fuminners

(ライフハッカー[日本版]編集部)

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