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印南敦史印南敦史  - ,,,  06:30 AM

篠原信一が、柔道が嫌いだったのにメダリストになれた理由

篠原信一が、柔道が嫌いだったのにメダリストになれた理由

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規格外』(篠原信一著、幻冬舎)は、柔道家/タレントである著者が人生訓をつづった作品。当然ながらタイトルのベースになっているのは、トレードマークでもある大きな体格。しかしそれだけではなく、他にもさまざまな意味が込められているようです。

「規格外」だからこそ、他の人にはなかなか体験できない「規格外」の体験をさせてもらった。(中略)そもそも人生に「規格」なんてあるんでしょうか? あるはずもない「規格」に合わせようとするから悩んだり、苦しんだりするんちゃうか、と思います。(「はじめに」より)

著者は、自分にとってなにが大切なのかもわからないまま、好きでもないこと(柔道)に人生の大半を費やし、年齢を重ねてから新しいこと(廃棄物関係の会社の立ち上げ)をはじめ、いまも将来がどうなるかもわからない状態だといいます。しかしそれでも、なんとか楽しく生きていけている。そんななかから、「こういうことなのかな」と思えることをここで明らかにしているわけです。

ですから当然ながら、書かれているのは実体験に基づいた考え。しかし「柔道家」「タレント」という部分を差し引いたとしても、その多くはビジネスパーソンにも応用できるはず。第3章『天才を目指さない。人を羨ましがらない』から、いくつかの項目に焦点を当ててみたいと思います。


誰かのためにがんばると負ける


かつて柔道の日本代表だった著者は、表彰台の上で"金以外の"メダルを口にくわえて写真を撮られている選手を見ると、複雑な気持ちになるのだといいます。代表選手に求められることは、あくまでオリンピックで"世界一"になること。試合を楽しんだり、参加する意義を噛みしめることではないという気持ちがあるから。

金メダルでなくてはダメなんです。(中略)だからシドニーで僕が銀メダルだった時、世間からは「銀でも立派だ」みたいな言われ方もしたけれど、僕としては金しかないと思い続けてき身だったので、まったく自分を立派だなんて思えませんでした。(107ページより)

絶対的な事実は、「隣に勝った人がいる」ということ。本当に勝ちたいと思ってやったのであれば、それを喜べるはずがないという発想です。そして似たような違和感をおぼえるのは、試合前のインタビューで、「誰のためにがんばりますか?」という質問に答えている選手を見たときだとか。

模範的な回答は「応援してくださる日本のみなさんのために」「私をここまで育ててくださった先生のために」「ずっと応援してくれている家族のために」など。しかし、それらに理解を示したうえで著者は、「そこは"自分"でええんちゃうの?」といいます。

たしかに応援に励まされてもいるし、先生や監督にもサポートされている。家族はなにより心の支えになっている。でも、結局は自分の夢や目標を実現するためのこと。そのために努力してきたのも自分で、実際に戦うのも自分。だから、そこでの責任はすべて自分になるという考え方です。ならば、どう考えても自分のためにがんばるしかない。

しかしそう感じるのは、「柔道がもともとスポーツではなかったということにも関係しているかもしれない」と分析してもいます。柔道は、「柔術」という命のやり取りに関わる武術を原点とするもの。つまり買ったら生き延びられるし、負けたら死んでしまう。自分の命を守るくらい真剣に戦わなければならないということで、生きるも死ぬも自分次第。だからこそ、少なくとも柔道選手の場合は、「誰かのためにがんばる」などと口に出している人は負けてしまうということ。(106ページより)


100パーセント出し切ることで大きくなる


冒頭でも触れたように、著者は柔道が特に好きだったわけではないと主張しています。しかし大学3年生以降は、練習だけは真面目に、自分を追い込めるだけ追い込んで、力の限りやってきたという自負があるのだとか。だから大学時代も、「授業があるから」とか、「午後からも練習だからペースを抑えておこう」などと考えず、とにかく全力で走ったのだそうです。

そして道場の練習でも、苦しくても疲れても、3時間で自分のいま持っている力をすべて出し切るつもりで体を動かしていたのだといいます。いろいろなトレーニングのやり方があるけれども、著者の場合は日々、練習で全力を出すことを続けるしか、強くなる方法はないと考えていたということ。

きょうの練習で、自分のなかにある100パーセントの力を出し切る。あすもあさっても、100パーセントの力を出し続ける。たとえばそれを1か月続けていくと、1か月後のその日の100パーセントは、1か月前の100パーセントよりも1割か2割大きくなっている。それが、強くなることだと考えていたわけです。

稽古で弱い奴は、試合でも当然弱い。本番だけ強くなるなんてマジックみたいなことはありえない。稽古で力を出し切れない奴は、試合でも出し切ることはできないんです。(128ページより)

さらに同じように、遊びで力を出し切れない人は、仕事でも力を出し切れないんじゃないかと思うそうです。いつもマックスまで出し切る癖をつけることが大切だという考え方。そこまで徹底してきたからこそ、「柔道が好きではなかった」と口に出せるのかもしれません。(123ページより)


「好き」というモチベーションに頼らない


著者が柔道をはじめたのは、中学生の時、先生に無理やり柔道部に入れられたから。そして体格を買われたことから、高校、大学と柔道のおかげで進学できることになったわけです。しかし、疲れるのも痛いのも嫌いだったため、ずっと柔道をやめたいと思っていたのだといいます。

ようやく前向きに練習にとりくめるようになったのは、全日本学生選手権で初めて優勝し、「もしかしたら柔道でいけるかも」と思い込むことができた大学3年のころだったというのですから、かなりの歳月がかかったことになります。ちなみに、そこからオリンピックを目指すまでの流れをまとめると次のようになるそうですが、ここに大きなポイントが隠れています。

大学生の中で一番になって、自分は強いかもしれへんと調子に乗る。
社会人も出場する大会でコロッと負ける。
悔しいと思って練習する。
少しずつ強くなり、社会人にも勝てるようになって、また調子に乗る。
日本代表クラスの選手と対戦して、あっさり負ける。
悔しいと思って練習する。
日本人にはなかなか投げられないというレベルになって、またまた調子に乗る。
国際大会で海外の強豪選手と対戦して、世界の壁を思い知る。
悔しいと思って練習する。
世界でも勝てるようになってきてオリンピックの金メダルを意識する。
勝ちたい、負けたくないと思って練習する。
(131ページより)

つまり、この流れには「柔道が好き」という感情は一切含まれていないのです。気持ちは、中学生のころに初めて道場へ連れて行かれたときと大差ないとすら自己分析しています。

勝てるようになってきたから、勝つのがおもしろくなった。負けると悔しいとわかって、負けないように練習した。その過程で調子に乗ったり、鼻をへし折られたりを繰り返しながら、少しずつ強さの階段を登っていったということ。

そして、もしも柔道を「好き」ではじめていたとしたら、そののち何度でも、嫌いになるタイミングがあったと思うのだそうです。なぜなら、「投げられたら痛い」「練習が苦しい」「勝てると思った試合で惨敗した」など、「好き」が吹き飛んでしまいそうな瞬間がいくらでもあったから。

「嫌い」だからよかったとまではいわないし、勝てるようになってからは「嫌い」とも意識しなくなっていたといいます。しかしいずれにしても、ひとつ確実にいえるのは、柔道が好きかどうかにとらわれなかったからこそ、柔道を続けてこられたということだとか。「好き」に代表されるようなモチベーションにこだわらない方が、長続きするものだという考え方。

「なんとなく」だとしてもなんにも問題ない。「なんとなく」でも続けているうちに何かの気持ちが生まれてきたりする。でもその気持ちすら、たった一つのモチベーションだと捉えて大事にする必要はない。そもそも気持ちなんてコロコロと変わっていくものなんですから。(133ページより)

加えて著者は、「ひとつのモチベーションをかたくなに信じて努力し続けるようなことは無理だったし、これからも適当に、流れに任せ、場当たり主義でいきたいと思っている」といいます。そして、いまやっている仕事や勉強が好きじゃないなという人がいるとしたら、「明日になったらわからんよ」といいたいのだとも記しています。流れに任せるというのは、意外に大切なことなのかもしれません。(129ページより)




語り口調の文章は、本人のキャラクターそのまま。肩肘を張らずに向き合うことができるので、リラックスした休日に適した一冊だといえるでしょう。


(印南敦史)

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