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ライフハッカー編集部ライフハッカー編集部  - ,,,,,,,,,  10:00 PM

起業のきっかけは「祖母が遺した定期預金」。グッドパッチCEO土屋尚史氏に聞いた、急成長への道のり

起業のきっかけは「祖母が遺した定期預金」。グッドパッチCEO土屋尚史氏に聞いた、急成長への道のり

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業界でもいち早くUIデザインにフォーカスを当て、「グノシー」や「マネーフォワード」など、これまで数多くのアプリ・サービスのUIデザインを手がけてきた「株式会社グッドパッチ」。

4月にはいまスタートアップ界で注目を集めるベルリンへの進出も果たしました。

同社の創業者でありCEOの土屋尚史氏に、創業から現在に至るまでの軌跡をお聞きました。


土屋尚史(つちや・なおふみ)
株式会社グッドパッチCEO。関西大学中退後、ウェブ制作会社に就職しディレクターを経験。その後、デジタルハリウッド大学院、サンフランシスコでのインターンなどを経て、2011年に同社設立。


起業を決意したきっかけは「祖母が遺した定期預金」


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(左)土屋氏、(右)ライフハッカー編集長・米田


米田:会社が急速に成長していますね。いま社員数は何人ですか?

土屋:65人です。最初は2人から始まって、その半年後に1人になって(笑)。

米田:2011年、僕が「ノマド・トーキョー」というプロジェクトで東京中のシェアハウス・シェアオフィスを渡り歩いていたことがきっかけで土屋さんにお会いしました。土屋さんは当時、サンフランシスコに訪れ、現地のコワーキングスペースに衝撃を受けて、UIデザインなどもやりつつ、世界的なコワーキングスペースである「HUB」を日本に持ってこようと言っていて、意気投合したことを覚えています。そして、その後、UIをてがけた「グノシー」が大ヒットした。

あらためて、起業のきっかけから今日は話していただけますか?

土屋:以前勤めていた会社はとても古いタイプの会社で、新しいことを全然やらなくて、ずっと悶々としていたんです。当時27歳で、30歳までには起業したいとは思ってはいたのですが、お金がないし子供も生まれるタイミングで、なかなか難しくて。

そんなある日、突然、まとまったお金が口座に入ってきたんです。郵便局から僕の名義の定期預金が満期になったと通知が来て、500万円くらいありました。27歳で定期預金なんてしているはずもないし、親に聞いても「わからない」と言われてよくよく調べたら、亡くなった祖母が、僕が17歳の時に僕の名義で預けていてくれたものだったんです。

「これはおばあちゃんが『やれ!』と言ってくれているんだな」と思って、すぐに起業を決意しました。


最初から世界を目指してるやつらにスピードで勝てるわけがない


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米田:その後にサンフランシスコ、シリコンバレーに行くことを決意するんですよね。

土屋:あの頃、世界ではスタートアップが盛り上がり始めていたけど、僕にはアイデアがなかった。だからまずは起業家の方々の講演会とかに行って、話を聞いてみることにしたんです。その中でも、DeNAの南場さんの講演会には衝撃を受けました。南場さんいわく、シリコンバレーというのはアメリカにあるけど、純粋なアメリカ人でだけで会社つくっている事例はほとんどないと。いろいろな人種が混ざって1つの会社をつくってるから、想定するマーケットが最初からグローバルであると。それに対して、日本のベンチャーはまず国内で大きくなってから海外進出という流れだから、最初から世界を目指してるやつらにスピードで勝てるわけないよねと。だから起業するなら多国籍軍をつくりなさいと言っていて。南場さんは話がうまいのですっかりたき付けられてしまって、次の日にはシリコンバレー行きを決めました(笑)。

米田:非常にわかります。この時代、特に実際に現地に行って肌で感じることと情報だけで知ったような気分になっていることは雲泥の差があります。

土屋:でも、シリコンバレーに知り合いなんて1人もいなかったし、英語も全くしゃべれないし、嫁と生まれたばかりの子どもがいるしで、行くべきではない条件が揃っていたんですけどね(笑)。でもとにかくそれからは、シリコンバレーに行くためのツテを必死に探しました。

米田:それは、主にFacebookやTwitterを使って?

土屋:いえ、SNSで声かけるよりは、まずIT系の人が集まるイベントに足を運んで、「シリコンバレーに行きたいんだけど、誰か知り合いいませんか?」とプレゼンをしていました。

当時は大阪にいたんですけど、全然いい人が見つからなくて。そんな時に、チャットワーク(当時EC studio)の山本社長から、「シリコンバレーに紹介できそうな人はいないけど、サンフランシスコになら1回だけご飯食べたことからある社長がいる」とお声がけいただいたんです。それがビートラックスという会社で、そこのブランドンさんという人を紹介してもらいました。彼は日本人とアメリカ人のハーフで、すぐにFacebookでコンタクトを取ってサンフランシスコで面接をすることになりました。

そして日本を発ったのが、2011年の3月10日。現地に着いたのが11日で、面接後にディナーを食べている時に震災が起きたんです。

米田:運命的なものを感じますね。

土屋:本当ですね。もし渡米が次の日だったら、今の僕はないかもしれないですから。


本当にクリエイティブな場所は、「高層ビル」じゃない


土屋:それで、結果的に面接に受かり、翌月からサンフランシスコで働くことになったので、家族で移り住みました。あくまでインターンという扱いでしたが。

米田:奥さんと子どもさんを連れて海外でインターンというのもなかなかないですよね(笑)。

土屋:むちゃくちゃだなって周りにも言われましたね(笑)。そして、サンフランシスコで最も衝撃を受けたのが、コワーキングスペースの存在でした。

米田:何が衝撃的でしたか? その後、日本でもコワーキングブームが起こり、いまや「働き方」「ワークデザイン」というテーマは、多くの人が考えるようになりました。

土屋:当時、日本で理想のオフィスというと、六本木ヒルズやミッドタウンなどの高層ビルのイメージでした。僕もそう思っていたけど、「ドッグパッチラボ」というコワーキング・スペースに行ったときに、「本当にクリエイティブな場所はこういう場所なんだ!」ということに気付いたんです。


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ドッグパッチラボの内観。海沿いの倉庫を改装してつくられている。


土屋:同じオフィスでもまわりに別の会社の人たちがいる。真ん中に大きいキッチンがあって、ランチ時になるとみんなご飯をつくりはじめたり、カフェスペースで日常的にピッチ(投資家へ向けて行われる簡易的なプレゼン)しだしたりするんです。

全然違う会社の人たちだけど、そのピッチに対してラフにフィードバックを返し合うみたいな、そういうシーンが日常で繰り広げられていて、こんな環境は日本にはないと思ったし、だから世界中に広がるアプリやサービスは、シリコンバレーやサンフランシスコから生まれるんだと納得しました。そして、革新的なサービスを日本から生み出すには、こういう場所やコミュニティをつくらないといけないと思いました。だから、日本にコワーキングスペースをつくろうと思ったんです。


サンフランシスコで感じた、UIの重要性


土屋:もう1つ衝撃を受けたのは、サービスやアプリのUIのレベルの高さ。向こうにいるとほぼ毎日スタートアップの連中が集まるイベントがあって、そこに出てくる名前も知らないようなベータ版のアプリでさえ、UIがとても洗練されていて、それは日本にいたときではありえなかったことでした。

当時の日本のアプリは、とにかくいろいろな機能を盛って、ウェブサイトを無理やりアプリに押し込んでいる感じでした。対して、サンフランシスコのスタートアップは、まずユーザーの体験が先にあり、要いらないものは極力削ぎ落とすという考え。なおかつ経営陣の中に必ずデザイナーがおり、UIが確実にサービスの差別化のポイントになることを経営陣が理解してました。これから日本の会社が世界中で使われるサービスをつくるには、絶対にUIに力を入れなきゃいけない時代がくると確信したんです。


コワーキングスペースをやろうとして、自らオフィス借りることに


米田:では、その後、帰国してからの企業するお話を聞かせてください。

土屋:帰国してグッドパッチを立ち上げて、当初は僕も含めて社員が2人しかいないのに3つの事業をやっていました。UI/UXコンサルに加え、コワーキング事業として「HUB TOKYO」の立ち上げ、そしてサンフランシスコへの日本企業の進出支援。けれど、結局どれも中途半端になっちゃって。「HUB TOKYO」も、他の人たちは全員フルコミットだったけど、僕は会社をやりながらだったから、なかなか難しい面もありました。

そのころは受託業務も下請けの下請けで、コーディングだけなど儲からない仕事ばかり。そのうちだんだんキャッシュも減り、残り3カ月しか持たないというところで、ほかの事業はすべて捨てて、UIデザインに絞ることを決断しました。UXも今ほど浸透していなかったし、なんかややこしいからやめました。ところが、そのタイミングでもう1人のファウンダーがやめて、他社へ転職してしまったんです。

1人になってしまうと、僕はデザイナー出身でもないし、前職はウェブディレクターだったから、自分で最後までつくりきることができない。そうした非常に苦しい状況の中で、最初のオフィスを借りることにしました。コワーキングスペースをやろうとしていたのに、自らオフィス借りるなんて(笑)。

米田:なぜそのタイミングでオフィスを借りようと思ったんですか?

土屋:ある経営者の先輩に「お前はなってない」と言われて。起業した時も住所はバーチャルオフィスで登記して、完全にノマド状態。その時によく行っていたのが原宿のネスカフェでした。

米田:あそこは最高でしたね。土屋さんと初めて会ったのもあのカフェで「ここがいっそHUB TOKYOになればいい」って当時2人で言ってましたね(笑)。

土屋:そうですね。それで、経営者の先輩に、人を増やしたり銀行から借り入れたり大きな会社と仕事したりするときに、ちゃんとしたオフィスを構えてないと絶対に信用されないと言われて、借りることにしたんです。

米田:どこにオフィスを借りたんですか?

土屋:当時、僕はデジタルハリウッドの学生で、キャンパスが秋葉原にあったんです。その近くで探していたら、フリーレント付きで10坪月8万円というかなりお得な物件があったので、そこに決めました。


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秋葉原の初代オフィス


時給1000円でも2つ返事でジョインしてくれたデザイナー


土屋:その後、やはりデザインの会社なのでデザイナーがいなきゃダメだと思い、誰か探すことにしました。でも僕はもともと大阪で働いていて、起業したタイミングで東京に来たので、全然知り合いがいなかったんです。そんな時に、大阪時代に一緒に働いてたデザイナーが思い浮かびました。彼は起業時にもグッドパッチのロゴ製作など色々と手伝ってくれた人で、本当はその時に誘いたかったんですけど、家族がいたので東京に来れない状況でした。

それでも、彼しかいないと思って連絡したら、2つ返事でいいですよと言ってくれたんです。ちょうど転職のタイミングで、もっと良いほかの会社から内定をもらっていて、「3カ月後に会社があるのかもわからないし、給与も最初は時給1000円ですよ」と言ったにもかかわらずですよ。

米田:なぜ来てくれたと思いますか?

土屋:もともとデジタルハリウッドの同級生だったんです。当時僕は26歳、彼は40歳でした。その後僕の前職の会社に誘って、一緒に働いていたんです。やはりその中で築いてきた信頼関係があったんだと思います。

米田:年齢が離れていても同期の桜だった、というわけですね。


                        


次回は、土屋さん率いるグッドパッチが飛躍するきっかけとなったグノシーのUIデザイン誕生の秘話、そして、ベルリン進出のエピソードを中心にお聞きします。


(聞き手/米田智彦、構成・執筆/開發祐介、大嶋拓人)

後編につづく

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