• GIZMODO
  • DIGIDAY
  • gene
  • cafeglobe
  • MYLOHAS
  • Glitty
  • machi-ya
  • roomie
  • GIZMODO
  • DIGIDAY
  • gene
  • cafeglobe
  • MYLOHAS
  • Glitty
  • machi-ya
  • roomie

米田智彦米田智彦  - ,,,,  11:00 AM

「まくら」を意識すればビジネストークはきっとうまくいく!落語家、立川志の春インタビュー

「まくら」を意識すればビジネストークはきっとうまくいく!落語家、立川志の春インタビュー

150104shinoaru_top.jpg


2015年、最初の「編集長インタビュー」に登場するのは、『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか?』(星海社刊)を上梓された落語家の立川志の春さんです。志の春さんは、アメリカの名門・イェール大学を卒業後、帰国し三井物産に入社。順風満帆のサラリーマン生活を送っていたある日、現在の師匠にあたる立川志の輔さんの高座を偶然見て衝撃を受けます。最初は断られたものの、2002年26歳のとき会社を辞め、再度弟子入りを懇願して立川流で落語家の道を目指すようになったという異色の経歴をお持ちです。著書では、落語の底知れぬ面白さと、ビジネスに生かす方法論を説かれています。

とくに落語の演目に入る前の導入部分に当たる「まくら」は、ビジネスパーソンにとって欠かせないプレゼンやビジネストークに生かすことができるといいます。志の春さん自身が「これをサラリーマン時代に知っておけばなあ...」と本の中で書いているほど。落語家は「まくら」を通して、自分が誰なのかという自己紹介と、定番の小噺を入れたり時事ネタを取り上げたりしながら落語の本編に入っていく準備をするのです。つまり「まくら」はトークにおける「本編を輝かせるためのイントロ」なのです。

この原稿の「まくら」はこの辺で終わりにして、新春にぴったりの落語にまつわる本編にさっそく行ってみたいと思います。


立川志の春(たてかわ・しのはる)
落語家。1976年大阪府生まれ、千葉県柏市育ち。渋谷幕張高校を経て、イェール大学へ進学。卒業後は三井物産に入社。鉄鉱石部にて、営業見習いとして勤務する。社会人3年目のある日、立川志の輔の落語を聴き、衝撃を受ける。半年間の逡巡の末退職し、志の輔門下への入門を許される。2011年、二つ目昇進。日本語はもちろん、留学経験を活かした英語落語での公演も行う。


まくらとは「あなたのことが好きですよ」というメッセージ


150104shinoharu_2.jpg


米田:著書のタイトルにも「まくら」がありますが、先日初めて拝聴させていただいた高座でも「まくら」を披露されていたことが印象的でした。会場にカフェがあって、そこに入っていく大勢のお客さんの様子を「まくら」で面白くお話されていて、「あ、これか」と思ったんです。今日あった出来事、例えば、直前に見たこと、気になったことを頭の中に1つ入れて自分の意見を語る。会話には「まくら」が必ずあるんだ、という意識があるだけで、ビジネスでも会話や商談の向き合い方が変わると思ったんですね。

志の春:いつも、なんとなくですが、いろんなところをちらっと見ながら会場に行きます。この本を出すきっかけとなった星海社の編集の方との最初の打ち合わせのときも、途中の和菓子屋さんにえらい行列があって、その話から始めたりしましたね。結局「まくら」というのは、「あなたのことが好きですよ」「あなたに興味ありますよ」ということを言っているんです。「ただ仕事でここに来ただけです」とか「この会があるからいるだけ」とかではなく、「あなたたちに僕は興味があります!」というのを伝える手段なのです。そこで関係を樹立できれば、うまいこと話に入っていけるんですよね。

米田:確かに。でも、一般の人は「好きです」と伝えるよりは、毒を吐くことで笑いをとろうともしますよね。本にも書かれていますが、綾小路きみまろさんのように「人をいじる」のは、実際はかなり難しいことですよね。

志の春:難しい。でも、綾小路さんや毒蝮三太夫さんの毒舌も結局、相手に「好きです」と言っているんです。相手のおじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんに対して好意のメッセージを送っている。口は悪いけれど、「あんたたち好きですよ」という。それが入っているか、入っていないか。ただの毒舌だと、「あ、こいつ嫌い」ということになって、完全逆効果になってしまいますよね。だから、「まくら」が上手くいくかどうかは、常に相手のことが頭にあるかどうかです、逆に、「毒舌を言っている尖った自分」が先に立つとダメですね。その差だと思うんですよね。

「まくら」のパターンもありますが、僕はこういうふうに考えている人間ですよ、ということを言って、少し身近に感じてもらう部分もありますし。そうではなくて、お客さんのほうに「僕の話、聞きたいですかね?」という感じで、ちょっと関係を探るような「まくら」というのもありますね。


イェール大卒、元三井物産という経歴が邪魔だった修業時代


米田:今回、インタビューにあたってお聞きしなければいけない一方で、正直、聞きたくないことがあります。それは、志の春さんのイェール大学卒業という学歴と、元三井物産という経歴についてです。毎回そのことを聞かれるのが、ちょっと嫌な時期があったと思うのです。ご自身の中ではエリートビジネスマンの道を捨てて、落語の修業に入り、何年も経ってからようやくお名前がもらえたり、高座に出られるようになったりしたのに、という思いもおありになったのではないかと。いかがですか?

志の春:そうですね。修業中は自分の経歴が邪魔でしかなかったですよね。修業中というのは確実にお客さんのほうが上にあるのです。前座で出るのは料金外という感じなので、お客さんは「もう、しょうがねえから聞いてやるか」というぐらいのもので。「しょうがねえから聞いてやる」という存在のヤツが、イェール大学、三井物産となると、「ふざけんな」「調子こいてんじゃねえ」みたいな感じになったりもするのです。別に調子はこいていないのですが(苦笑)。でも、自然とそういう感じになるわけですよ。

米田:笑いにはつながらないのですね。

志の春:そうなんです。こっちは絶対そんな過去を出さないし、一言も具体名としては言ったことはないのですが、そういうふうに見られがちだというのは落語をやる上ではかなり邪魔でした。

米田:そういう時代を乗り越えて、それも自分の武器というか個性の1つであることをお認めになったから本もお書きになられたのかな、というところも感じたのですが。

志の春:それはありますね。自分の経歴や過去を隠そう、隠そうとしていた時期もありましたし、二つ目(落語家の階級。寄席のプログラムで二番目に高座へ上がる。二つ目になると、師匠の家や楽屋での雑用がなくなる)になってからは、「あれだけボロカスに言ったくせに、みんな注目するのはそこかよ!」というような部分もありました。

でも、それも含めて、アメリカに住んでいたから、サラリーマンをやっていたから、取材していただいたり得する部分が二つ目になってからは出てきたので、全部否定することはないと思うようになりました。

米田:立川流の創始者である談志師匠は常々、「落語とは人間の業の肯定」とおっしゃっていました。落語というのは人間の良いところも悪いところも笑いに変えることで全部肯定していく、というところがあると思いますので、志の春さんもそういう心境に立たれたのではないかと。

志の春:そうですね、ええ。

米田:あと、志の春さんがビジネスマン、会社員だった時代があるが故に、ビジネスマン向けの本について、どこか共通点があったり、「あ、自分もこうだった」みたいにわかったりするところがあるのかな、というふうにも思ったのですが。

志の春:出版社からお声がかかったのは僕がサラリーマンをやっていたというのが大きいでしょうし、そうではなかったら、やはり本は書けなかっただろうと思います。


アメリカのノリが落語の修業にはマイナスに働いた


150104shinoharu_3.jpg


米田:ところで、入門する前のサラリーマン時代、会社員時代の志の春さんのコミュニケーション能力はいかがでしたか。

志の春:僕は営業だったので、基本的にはコミュニケーションオンリーの仕事みたいな感じでした。それもまた、商社だったので、僕が何か商品を1つ抱えて、それで商売をつくるというのではなくて、鉄鉱石部というでっかいところのうちの歯車の1つで末端だったので、商売という意味で僕が何かやるということはほとんどありませんでした。お客さんの御用聞きみたいな感じです。決まったお客さんのところを回って、世間話をして、情報交換をするくらい。それを上に伝えたり、飲みに行ったり。

そういう意味では、コミュニケーション能力が欠けていたというほどでもないですし、すごかったというほどでもないですね。体育会系のノリが僕にはなかったので、ちょっとドライな感じだったかもしれないですけど。

米田:商社マン時代は、エレベーターの中で誰かと会ったときでも、会議の始まりでもいいのですが、最初は今日の天気とか切り出しますよね。でも、そういうのは誰も教えてはくれないし、勉強しようと思っても実際は難しいことだなと思うのです。

志の春:そうですよね。落語の場合だと、前座のころは「まくら」を振るなと言われていたのです。落語自体はもう何百年も生き残ってきた話なので、おもしろいに決まっているわけです。ウケなかったら演者の問題。ただ読んでもおもしろいものが、演者が喋ったせいでウケなかったら、落語に失礼だと。「おまえさえいなけりゃ、おもしろかったんだ」とか言われるわけですよ。「おまえが間にいるんだから、もっと話が立ち上がっておもしろくなるようじゃないと意味がねえ」、「ウケないなんてことあり得ねえ」とも。

ですから、おもしろいと決まっている落語という商品を、よりスムーズに受け入れてもらえるように「まくら」をやるのですよ。前座の頃は15分しか時間を与えられないので、「まくら」を振れる時間は30秒です。30秒で1つ笑いを取って、それでスッといけるようでないとダメで、30秒しゃべって笑いが取れなかったら、意味がない。「こいつ、つまんねえ」というところから始まると、もうダメなんですよね。その落語自体がおもしろいとしても、「つまんない、こいつ嫌い」と思われたら、もう商品を認めてもらえない。だから、「まくら」を振るな、そのまま入れと。そのまま入ったらゼロのままいけるからいいんだ、ということなのです。


落語を知らなかったがゆえに修業に耐えられた


150104shinoharu_4.jpg


米田:入門した頃は実は落語をあまり知らなかったというか、それまではほとんどやったことがなかったゆえに、どんなつらいことにも耐えられたし、わりと落語の世界というものに対してプライドがなかったので、自分はやっていけたのではないかとおっしゃっていましたね。とは言いつつも、イェール大学に留学されて、個人主義、主張をしないと成り立たないアメリカ文化とは真逆なことをやられていて、葛藤みたいなものはありましたか。

志の春:葛藤というか、落語の世界を知らなかったから耐えられた部分というのは、落語に関してはまったくプライドがなかったので、師匠にボロカスに才能がないと言われても、そこで反発するものもなかったわけですよね。僕は落研出身でもないし、実績があったわけではないので、そこの部分は素直にいけたと思うのです。落研出身の人だからこそ、難しい部分というのはたくさんあって。

米田:それはどういうことですか?

志の春:人はある程度実績があるものを捨てられないんですよ。僕は気遣いの部分に関しては、もう一切やってこなかったので。これは普通、日本の体育会系の部活とかをやっていれば少しはあると思うのですが、僕はそういう経験がほぼない状態で、アメリカでマイペースにやるのが一番、みんなそれぞれの考え方があって、酒を飲むのだって勝手にやりゃあいい、くらいで。何か気を利かせて、飲んでいるときに少し減ったから「どうぞ...」とかそんなの煩わしいだろう、ぐらいの感じでした。

でも、入ってみたら、そうしなきゃいけないというのは頭で分かっていても動けないんですね。ここで僕が行ったら差し出がましいのではないか、うっとうしいのではないかというふう思ってしまって一瞬動けない。電車に乗っていて、すぐに目の前にお年寄りが立ったときに、瞬間的に立てればすぐ立てるのですが、一瞬、「寝ようかな」みたいな感じで迷っていると、動けなくなる。あれと同じです。

ちょっと躊躇した途端に、ガーッと怒られるというのが続いていました。頭では分かっているのですが、体が動かない。気遣いという部分に関しては全然ダメでしたね。

米田:日本的な雰囲気、人間関係の良い/悪いは置いておいて、現実はそうであって、そこで生きていかなければいけないというのが多くの人だと思うのです。すると、気遣いとか、気配り、もてなしですね。それをすごく考えられた修業時代の7、8年というのはおありだったと思うのですが、そこを突き詰めて志の春さんが自分のこういうところを伸ばしていこうかな、とかというのは、どの辺から切り替えて考えていかれたのですかね。

志の春:修業中は、僕のなにかを生かそうということはなかったです。全否定ですから。正直言うと、「おまえ、生まれてきたことからして間違えている」くらいのレベルなわけですよ(苦笑)。もう、そこまでこっちも突き詰めないとダメなんです。とにかく、師匠好みの私になるというか。師匠が今、何を考えているかというのを常に考えるだけでしたね。完全に自分を捨てる作業ですね。

米田:捨てきって、残った部分というのはありました?

志の春:ありましたね。僕の図太い部分と執念深い部分とか、結局、残るために必要だった部分ですよね。落語家としての修業を続けるために。

米田:たぶん、先輩や兄弟子の方も何人もお辞めになっていますよね。志の春さんはなぜ残られたと思いますか。

志の春:僕はまず、落語に対する変なプライドがなかったこと。あとは、やはり図太いという。師匠から言われたことを、たとえば、才能がないと言われますよね。「おまえ無理だ」と言われたときに、それを全部受け止めたら壊れてしまいますよね。一番尊敬している人に見込みがないと言われれば、「あ、ないのだ」と。

米田:パワハラどころではないですよね。もうメンタルが弱い人だと死にたくなってしまうぐらい(苦笑)。

志の春:そうなんですよ。それを全部受け止めたら。だからたぶん、全部は受け止めていなかったのでしょうね。ちょっとスライドしながら、だからといって「俺はある」と思っているわけでもないのですが、そこがちょっともやっとした、自分の中でもよく分からない部分なのですが。たぶん、長期戦でいこうというのは考えていた。10年後の勝負という感じでやっていたとは思います。

米田:それは組織に生きる人にとっては参考になるお話ですね。聞いているのだけど、少し聞き流すというか。

志の春:「今現在、私は才能があります」とは言えないわけなので、現時点での勝負では、どう考えても勝てないとわかります。10年後までになんとかなっていよう、というふうに考えることしかないですよね。僕は小さいときに親の仕事の関係でアメリカへ行って、最初は英語力はゼロでしたけれど、3年後にはある程度しゃべれていたという経験があったので、それが大きかったのかな、と思いますね。時が経てばなんとかなるのではないかな、という楽観的な部分で何かが働いたのだと思います。


理由はわからないまま、落語に恋して会社を辞めた


米田:三井物産のときは収入も安定していたでしょうし、10年も勤めれば結構な額の年収になったと思います。そこからいきなり無収入になって4畳半の部屋にお引っ越しなされたそうです。

志の春:完全にゼロでしたね(笑)。

米田:というのも、落語のお弟子さんはバイトができないそうですね。確か、談志師匠も「バイトなんかする暇があったら落語をしろ」みたいなことをおっしゃっていたと思うのですが、生活費はどうされていたのですか?

志の春:もう貯金を切り崩してしのいでいました。僕はサラリーマン時代、比較的ケチだったので貯めていたお金があったんです。今思えば、会社にずっといるとは思っていなかったのかもしれないですね。だって、同期とかはみんなローンで車を買ったりするのですが、僕はしなかったですから。ローンを抱えず貯金はしていたので、落語の世界に入ってからも生活はできました。

米田:貯金があったことに加え、親御さんを説得したこと、師匠のところに行って入門を懇願しても「一流企業を辞めて落語家になるなんてやめておきなさい」と断られたこと...何か人生を変えるような出来事があったときに、対応する力みたいなものも、著書を読んで参考になるな、と思ったのです。入門を許してもらうために、自分から会社を辞めて退路を断って、覚悟を見せる。そのぐらいしないと高みにいる名人のような人に認められるわけがない。それは単なる行動力ではなくある種のアイデア、ハックですよ。

志の春:そうかもしれないですね。でも、純粋に師匠の高座を見て、落語に夢中になってしまったんですよね。もう迷わず「自分の人生でもう答えは出ているのだ。もう入るしかない」という直感がありました。

米田:「恋のようなものだ」というふうに表現されていますね。「なぜ好きになったのかは分からない」と。

志の春:分からないけれど、好きなんだからしょうがないというね。

米田:ただ、少し分析をさせていただくなら、幼少期の頃と大学時代にアメリカに住んでおられて、向こうの文化に接する中で、自分のアイデンティティーを説明するときの最適な要素が潜在的に欲しかったというような思いがおありになったのではないかなと思うのです。日本人は今、自分たちの文化を外に向けて表現できる人の方が少ないですから。

志の春:そういった気持ちは確かにありましたね。

米田:落語に恋をしたということもそうですし、落語家になってから海外で落語を披露されている活動もそうです。著書を読んで、全体から感じられたことです。

志の春:イェール大学へ行ったときに、国境とか関係ないぐらいの才能があって、どこへ行っても通じる抜きん出た何かがある連中がいました。でも、僕にはそれはなかった。アメリカだけでなく、いろんな国から大学に来ているやつらと伍していくために、僕はやはり日本という文化を背負っているということを表する必要がある人間なのだと強く感じてはいました。小島一哲(志の春さんの本名)単体としては、抜きん出た人間ではないから、日本人としての視点や、自分の中の日本というものをもっとつくっていかなきゃ、と痛感して大学卒業後に日本に帰ってきたんですよね。

米田:自分だけに収まらないバックボーンのようなものと、自分が合致したいみたいな欲求がおありだったのですね。

志の春:はい、ありましたね。

米田:謙遜されていましたが、イェール大に受かられるのも、三井物産に入られるのも、やはり優秀だったのではないかな、というふうには思いますし、落語家になってからも、言葉はちょっと失礼かもしれませんが、コツをつかむのはお上手なのではないかな、と思うのです。衝動的であっても、これだったらいけるとか、10年かかるかもしれないけれど、これだったらいけるみたいな、見通しみたいなものというのはどこかであるのではないですか。

志の春:どうなのでしょうね。コツといっても、落語に関しては本当にゼロから始まったものですから。いろいろ禅問答のような感じで師匠から教わる日々でした。

米田:まさに落語というのはお坊さんの法話みたいなところから始まっていますしね。

志の春:テクニカルなことは細かくは教えてくれなかったのですが、禅問答のようなものを考えるのは好きだったのかもしれないです。毎日のように、「俺、奥義が分かっちゃった」というのを、妻にメールしたりしていましたね。「俺、無敵だ」くらいの感じで。でも、翌朝、何も覚えてなかったりするのがほとんどなのですが(笑)。「なんか分かっちゃった」みたいなことを言うの、好きなんです。そういう能天気さもたぶん続いたことと関係あるのでしょう。


教わるのではなくまねる。時間をかけて心の中に師匠を置くこと


150104shinoharu_5.jpg


米田:あと、弟子入りされてからはとにかく「師匠と同化する」という話がすごく日本人的な美学というか。これを外国人に説明するのはなかなか難しいのではないかと思うのですが、日本人の何かを習得するときの能力の1つでもあるのではないかなと思って、まねるのがうまいというか。日常の所作から、それこそ車を運転するときのドライビング・テクニックから、なんでも師匠や先輩を見て、まねて吸収していくわけですよね。自分を捨ててマネるというのは日本人は得意なのかもしれませんね。

志の春:はい。つまりは技術を教わるスタイルではないんですね。外国だと自分にはこの技術が足りないのでこの人に教えを請う、という形になるんでしょうけど。

米田:よく言いますよね、日本の教育は論理的ではないと。それと真逆なわけですよね。

志の春:非効率ですし、めちゃくちゃ時間がかかります。落語のテクニックの部分について塾形式で学んだら、今の状態になるのはもっと早かったと思いますし、ひょっとしたら半年ぐらいでできたかもしれません。センスのいい子だったらそのぐらいいけるでしょう。でも、長持ちするという意味では、僕はたぶん、師匠が亡くなったとしても、ずっと「師匠だったらこういうふうに考えるだろうな」みたいなものが自分の中にあるので、ずっとやっていけると思います。そういった自分の中に師匠を置くような、客観的な視点を自分の中に1つ持っているというのは、長い意味では良いと思います。

米田:それから、「師匠は実力で選ぶ」とも書かれていて、これは重要だなと思いました。やはり目標にしている人とかメンターといわれるような人は、実力が本当にある人でないとダメですよね。

志の春:これだけ読むと「師匠を測っているのか」みたいに生意気な感じがしますが、そういうことではありません。ボロカスに言われても、好きとか嫌いというのはたくさんあったりしても、やはり背中で見せられるものというのは一番大きい。この人についていこうという理由はやはり実力以外にありません。

米田:それから、「人間というのは、褒められると中毒になるのだ」と書かれている点も興味深いです。今は褒めて伸ばす教育みたいなことばかり言うじゃないですか。だけど、やはり人間の湧き上がる力というのは、「この野郎、いつか見とけ」みたいなことだったりもするのではないかな、と。

志の春:そこの部分は向き不向きがあると思うので一概には言えないですが、僕に関しては、褒められるよりは、師匠のスタイルのほうが良かったと思いますね。この悔しさのエネルギーというのは大きかったですね。


※1月11日公開の後編に続きます。

(聞き手・文/米田智彦、撮影/長谷川賢人)

  • ,, - By ライフハッカー編集部LIKE

    なぜスマホのバッテリーは1日ともたないのか?

    Sponsored

    なぜスマホのバッテリーは1日ともたないのか?

    なぜスマホのバッテリーは1日ともたないのか?

    お財布は忘れてもスマートフォンだけは忘れない。そんな気持ちになるほどスマホは肌身離さず持ち歩くアイテム、かつ、もっとも手近なコンピューターです。メールの確認はもちろん、ウェブで調べもの、SNSのチェックや投稿と、ひんぱんに使うことから、1日のどこかでバッテリーを充電しているのではないでしょうか? 常に手元にあって、いつでもどこでもすぐ使えることがスマホの魅力ですから、最低でも1日はバッテリーが持  11:00 AM

MORE FROM LIFEHACKER

powered by

Kotaku

Recommended

© mediagene Inc.