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印南敦史  - ,,,,,,  10:00 PM

日本初のファクトリーブランド専門サイトを立ち上げた「イメージする力」

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日本初のファクトリーブランド専門サイトを立ち上げた「イメージする力」

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数々のクリエイター、ビジネスリーダーたちの働き方を紹介する米Lifehackerの人気連載「HOW I WORK」。同じように日本版では、これまでにも自分らしい生き方・働き方を実践している人たちから、その行動力の源や過去の転機などを伺い、連載としてまとめています。


第14回目の取材相手は、日本初のファクトリーブランド通販サイト「Factelier(ファクトリエ)」代表の山田敏夫さん。ちなみにファクトリーブランドとは、アパレル工場が自らの名前で製造し、販売する商品・ブランドのこと。工場に適正な利益をもたらすことができ、ユーザーは商品を従来の3分の1の価格で購入できるというメリットがあります。いわば山田さんは、これまで誰もやろうとしなかったことを、誰よりも早く実行に移した人物であるといえます。

1982年10月生まれなので、32歳になったばかり。大学時代には、交換留学制度を利用してフランスに留学したり、半年かけてユーラシア大陸を横断するなどアクティブに活動した経歴の持ち主です。そして、そのような体験が、のちの人生にも大きな影響を与えたといいます。自分を客観視できる山田さんの姿勢は、以下のサイトからも確認できます。


メイドインジャパンの品質に徹底的にこだわれ!~ファクトリエ・山田敏夫さん~|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬


なにかを具体的に教わったわけでもないのに、ふと気がつけば親と似たような仕事をしていたというのはよくある話。それは、山田さんも同じなようです。少年時代にそれを意識したことはなかったとはいえ、無意識のうちに親のDNAを受け継いでいたということ。そしてそれは、他に類を見ないオリジナリティーあふれるビジネスとなったのでした。


地方のブティックに人間関係を学ぶ


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山田さんは、2人兄弟の次男。真面目な兄とは対照的に、自由奔放なワルガキだったとは本人の談。実家は熊本市内で婦人服店を経営しており、店の上に住んでいたため、幼いころから商売が生活のなかに溶け込んでいたそうです。

そんななかで見ていたのは、地方のブティックならではの人間模様です。常連さんたちにとってそこには、単に洋服を買うための場所以上の価値があったということ。お店に出ている山田さんのお母様に、日常の世間話や愚痴などを話しにくる人が多かったということです。だから「お店の価値はモノだけにあるわけじゃないんだな」と感じることができたと言います。


衝撃的だった2週間のカナダ生活


中学生時代は、陸上競技に没頭する部活少年。しかしその一方、1年生のときに強烈な体験をすることに。それは結果的に、山田さんの人生に大きな影響を与えることにもなったのでした。


山田:中高生10人をカナダに2週間ホームステイさせてくれるという熊本の放送局のキャンペーンがあったんです。それに当選して中1のときバンクーバーに行ったんですけど、それがガツンとくる大きな体験だったんです。端的にいえば、世界との距離をめちゃめちゃ近く感じた。その頃はまだ熊本から出たことがなかったので、大分や鹿児島よりカナダが近いような気がしました。


商店街の小さな家に住んでいた立場からすると、家の大きさから豊かな自然まで、すべてが新鮮。しかしなによりも大きかったのは、コミュニケーションスキルを身につけることができたことだといいます。


山田:僕のホストファミリーは50代半ばの黒人の未亡人で、こっちはそれこそ"This is a pen"程度しか話せず、2人きりの生活には違和感もありました。でも、不思議とコミュニケーションがとれるようになったんです。だからその2週間がすごく楽しくて、帰ってきてから「またカナダに戻りたい」って泣きじゃくったくらいです。


パリのグッチで学んだこと


そんな経験によって視野を広げた山田さんが「またカナダに行きたい」と言うと、父親からは「1回行った国には二度と行くな」と言われたのだといいます。世界には何百カ国もあるのだから、1カ国だけを見ていたのではダメだということ。その言葉は、山田さんをより成長させることになります。


山田:大学は中央大学だったんですが、中大を選んだ理由のひとつが、交換留学制度が充実していたことなんです。そこで19歳のときには、制度を利用して半年ほどフランスに留学しました。で、せっかく行くのならいろんなことを経験したいと思ったので、20種くらいのブランドショップに「働かせてほしい」と書いた手紙を送りまくったんです。


結果、返事が戻ってきたのは1社のみ。かくしてそのブランド、グッチのショップで働くことになりました。


山田:といっても最初から店に出たわけではなくて、地下の倉庫で延々と在庫管理ですよ。在庫のストック管理とか棚卸しとか、半年の滞在期間中、ずっとそれを続けました。しかし、地味な仕事からも得るものがありました。一番大きかったのは、ひとりひとりの社員の指の先まで、グッチというブランドに対する誇りやプライドが行きわたっていること。自分が自信を持てることを仕事るというのは、とても強いことなんだなと実感したわけです。それは、現在の仕事の原点にもなっていますね。


スイスでもらったピンクのダウンジャケット


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中学時代に見たカナダ、そして交換留学生として体験したフランスと、海外経験は山田さんを確実に成長させます。そしてパリから戻った翌年には、バックパッカーとしてユーラシア大陸を旅することに。


山田:上海から入って、東南アジアのタイ、ベトナム、ミャンマーなどをまわって、そこからトルコに抜けて、ブルガリア、ボスニア、チェコ、ポーランド、ハンガリー。次にドイツに抜けて格安ジェットでスペインまで飛んで、モロッコに行ってからスペインに戻り、ポルトガルの最果てのロカ岬から大西洋を眺めてフィニッシュという感じでした。7ヵ月ぐらいかかりましたけど、多感な時期にカナダへ行って以来、海外に出ることが怖くなくなったんです。明らかに、言葉が通じなくてもコミュニケーションできたことの影響ですね。


最終的にはバックパッカーで30カ国ほどまわったといいます。心に残っているのは、旅先で出会った人々、特に日本人の心の温かさだったそうです。


山田:いつもTシャツにジーンズっていう軽装でしたから、冬はきついわけですよ。でもそんなとき、観光で来ていた日本人から服をもらえたりしたのでありがたかったです。スイスに行ったときはダウンジャケットをもらったんですけど、女性ものだったんでピンク色で、しかも丈が短いんですよ。でも、すごく助かりました。実は旅にかかったお金は18万円ぐらいで、しかも、ほとんど使わなくて済んだんです。どれだけ多くの日本人と出会うかが肝でしたね。


「人生の分岐点はどこでしたか?」という問いに対する答えも明確でした。


カナダに行った13歳のときと、フランスへ行った19際のとき。やはりそれは大きかったですし、間違いなく、その2つが分岐点でしたね。


どんくさいから努力する


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さて、大学卒業間近に避けて通れないのが就活ですが、そこで苦労をしたことはなかったといいます。理由は、海外への渡航実積がプラスに作用したから。


山田:就活で経歴をおもしろがってもらえたので、ありがたいことに引く手あまただったんです。就活イベントでは三菱商事とソニー、トッパン、リクルート、アクセンチュアから声がかかったので、就活はそれでいったんは終わりました。でも、ふと考えたときに実家のDNAが動き出しちゃったんですよね。「将来、100人も同期がいるような商社などに入って名刺を持ってしまったら、いつの間にかそこから抜けられなくなる。将来的には、絶対に独立なんてできない」と思ったんです。


だから、決まりかけていた大手企業に進むことはやめて、焦点をベンチャー企業に合わせることに。結果的にソフトバンクヒューマンキャピタルを選び、4年間勤めることになりました。


山田:いろんな人から「経営とは営業力だ」と聞かされていましたし、規模は小さい方がいろんな経験ができると思ったんです。仕事は、インターネットの求人サイトの営業。2年目でアシスタントマネージャーになり、3年目でマネージャー、4年目で部長になったので、組織を運営するマネジメントを学ぶことができました。それからソフトバンクグループ内での交流が盛んだったので、人脈も広がりましたね。


いかにも順風満帆だったようにも見えますが、実際には決してそうではなかったのだとか。


山田:根本的な話なんですが、僕は昔から不器用でどんくさいんですよ。陸上をやっていたときもそうで、最初にはじめたときは、遅すぎて周回遅れになるのでゴールさせてもらえなかったくらいなんです。でも、だからこそ、そこから努力して、最終的にはNHK杯のアンカーになれた。

同じように営業も、1年目は誰よりも初受注が遅かったんです。けど、人よりもマイナススタートなので、人よりも努力しなきゃいけないことがわかっていた。だから誰よりも行動して、その結果として1位がとれるようになったんです。それはプラスからはじまるものではなく、マイナスをゼロにしようとしたからこそできたと思っています。

人よりも努力しなきゃいけないということは、ビジネスの世界にもいえるんだということがわかりました。それが、一番の収穫だったかもしれません。


道を間違えたかもしれない


ところが、以後の山田さんは転職を決意します。


山田:営業力を学べて、マネジメントを勉強させてもらえて、圧倒的な成績を残せた。恩返しもできたし、後輩も育てた。そんな実感が持てたので、「東京ガールズコレクション」をやっている、通販サイトのファッションウォーカーという会社に移ったんです。実家とグッチが培ってくれた、ファッションの世界に戻ろうと思ったんですね。営業の次になにがやりたいのか考えたとき意識の根底にあったのは、「人の生活に幸せのアクセントを加えることがしたい」という思い。それが、僕にとっては服だったということです。


とはいえ、スタート時点ではアルバイト扱いだったというのですから驚きです。当然ながら、収入もガクンと下がることに。


山田:そこでもまた、僕のどんくささが出たわけです。27歳で営業部長をやっていた人間が、月収14、5万の倉庫のバイトからはじめたんですからね。3ヵ月で契約社員にはしてもらえましたけど。電車で昔の仲間と会ったりすると、出荷作業が仕事の僕はTシャツとジーパンだけど、彼らはスーツを着ている。道を間違ったかもしれないと感じましたね。トンネルのなかにいたような感じです。「バイトのまま、30歳とか40歳になっちゃうのかな」って。


しかし、ここでまたもや持ち前の努力体質が発揮されます。当時の取締役が倉庫に顔を見せたときに直談判し、「倉庫におもしろいやつがいる」と気に入られ、本社の事業開発部に引っぱってもらえたというのです。


イメージできることが大切


下町の倉庫から一転し、勤務先は六本木の本社へ。広告からイベント、タイアップなど、2年の間に50種ものプロジェクトを手がけたとか。そして実積を積み上げたのち、いよいよ独立。お話をお聞きしていると、就活の時点で独立を意識していたようですが...。


山田:実家がありますし、自分もいつかなにかをやるんだろうなと思っていたんです。あと大事なのは、「イメージできるか」ということなんですよね。つまり僕には、サラリーマンとして一生を終えることがイメージできなかったんです。イメージできないことはうまくこなせないんですけど、そのかわり、イメージできることは進められる。つまり自分がイメージできたから、ファッションの通販をやろうと思ったわけです。


ファッションウォーカーで扱っていたレディースではなくメンズを選んだことにも、明確な理由があるのだとか。


山田:メンズを選んだのは、僕が着てイメージできるからです。たしかにファッションウォーカーもレディースでしたし、レディースの方が売れるんですけど、自分がわからないことをひとりでやるのってリスクが大きいんですよ。"自分ごと化"できない。でもワイシャツだったら、ネクタイだったら、カーディガンだったら、自分でイメージできますからね。そういうことをしたかったんです。


どんくさいのに、せっかちな亀


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先述したとおり、ファクトリエはファクトリーブランドです。そして、中間業者を排除したその取り組みは、「前例のない」事例でもあります。だからこそ、理想論だけでは片づけられないことも多数。これまでに、数々の苦労を重ねてきたようです。


山田:最初は、売れなかったシャツをトランクに詰め込んで行商したりもしましたし、前期の決算だって良くありませんでした。でも、おかげさまでいまは好調で、もうすぐ銀座にショールームをオープンすることにもなりました。ちゃんと乗り越えてきているという実感はあります。地に足をつけながらもつま先立ちしてるんで、ふくらはぎはパンパンですけどね(笑)。


せっかちだからこそ、スピード感を発揮できる。どんくさい亀だけれど、だから「せっかちな亀」かもしれない。山田さんは、そのようにご自身を分析しています。そして、思いの根底に根ざしているのは「勝負をかけないと、契約を交わしている13の工場を救うことができないからだとか。そのために必要な売上を逆算し、その数字に向かって努力を続けている最中です。印象的だったのは、「イメージできる」ことを大切にしているという考え方。たしかにそれは、どんなことについてもいえる重要なポイントかもしれません。

ちなみに「結婚願望は?」とお聞きしたところ、「ありますよ。でも、優先順位が大切だと思うんですよ。いまは仕事が忙しいし、楽しいし、他のことは考えられない」とのこと。つまり、結婚はまだイメージの段階ではないのでしょう。いつかきっと、そちらにも絶好のタイミングが訪れるはず。前向きなお話をお聞きしていて、強くそう感じました。


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メイドインジャパンの品質に徹底的にこだわれ!~ファクトリエ・山田敏夫さん~|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬


(印南敦史)

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