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陶山祐司|インクルージョン・ジャパン株式会社

陶山祐司|インクルージョン・ジャパン株式会社

 - ,,,  11:00 AM

経済産業省を辞めて、僕が本当にやりたかったこと

経済産業省を辞めて、僕が本当にやりたかったこと

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2014年7月4日、世間では何の変哲もない、とある快晴の日に、僕は経済産業省を退職しました。経済産業省を離れるに当たって、1年以上、様々な方に相談しながら悩んできましたが、退職から3ヶ月経った今、その決断は誤りではなかったと思えています。偶然、経済産業省と出会い、そして、同省に入省して多くの貴重な体験を得たこと、それは、僕にとってかけがえのない人生の1ページでした。但し、未来を考える時、一歩そこから踏み出さなければいけない、そんなことを感じて、僕は経済産業省を退職することにしました。


レクリエーションとして始めた就職活動


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高校野球部の公式戦にて。


僕が経済産業省と出会ったのは、2008年12月1日、御茶ノ水のホテルで行われた合同就職説明会でのことでした。

僕は、小学2年生から野球を始め、大学2年まで野球以外のことは一切考えない人生を歩んできました。朝から晩まで、月曜日から日曜日まで野球のことばかり考え、野球部以外の人と遊ぶことも、あまりありませんでした。大学2年の時に体育会の硬式野球部を辞めた後は、一時、何をすれば良いのかわからなくなってしまいました。ただ、何かしたい、何かしなくてはという衝動に駆られて、バックパックを担いだ海外旅行や、ホテルでのアルバイト、留学生交流、他学部のゼミに潜り込んでの議論、読書会など、なんとなく面白そうだと感じた活動にとりあえず参加しては、新しい刺激を求めて、日々動き回っていました。大学3年になった後も、もう少し勉強したいからという漠然とした理由で大学院への進学を考えながら、気ままな生活を送っていました。

そんなある日、友達と話しながらキャンパスを歩いていると、一枚の合同説明会のチラシを受け取りました。毎日朝早くから終電まで働く父親の影響もあって、サラリーマンにはなるまいと思っていましたし、そもそも、お金を稼ぐことが何となく卑しいことと感じていたので、大学を卒業して就職するつもりは全くなく、社会勉強の一環として、「冷やかしで覗いてみたら面白いかな」という程度の気分でふらっと行ってみることにしました。

そんなつもりで行ってみたのが、かえって良かったのかもしれません。大学3年の6月という早い時期だったのも良かったのかもしれません。肩の力が抜けた状態で、「この会社は何をやっているんだろう」、「この人はどんな人で、何をして1日を過ごしているんだろう」、「もしも、僕が何かのきっかけでこの会社に入ったら、どんな日々を送り、どんな人生を送るんだろう」なんてことを想像しながら、合同説明会で社会人をつかまえては、細かく、具体的に、その人の生活や、その会社のことを聞いて回っていました。

応対している社会人にしてみれば、2、30分根掘り葉掘り質問攻めにされるので、ちょっと変な学生だなと感じたかもしれません。ただ、僕としては、普段は忙しいであろう社会人が時間を割いて色々なことを教えてくれる、いろんな業界のいろんな職種の人の人生を垣間見れる、そんな貴重な社会勉強の時間は、他にはありませんでした。

"就職"という目的ではなく、ただただ興味本位に始めた"(就職)活動"でしたが、どんどんと面白くなっていき、夏のインターンに参加したり、ベンチャー企業のビジネスプランコンテストに参加したりと、その活動の幅が広がっていきました。


ナンパされるかのように経済産業省と出会った


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大学2年時の中国への旅行にて。


就職活動をしているうちに、「自分は、まだまだ社会のことも知らないのに、大学院という特殊な環境で学問をするので良いのだろうか」という思いがむくむくとわき上がってきました。同時に、大学院生の知り合いもでき、大学院に進学した自分の姿もイメージできるようになってきて、なんとなく違和感を感じてきました。

それまでに聞いた話の中で、コンサルティングファームは様々な業界・企業の多様なプロジェクトに参加できて面白そうだと思っていたので、とりあえず、より深くコンサルティングファームの話を聞いてみようと思い、それぞれの会社の特徴や、どんな人が働いているのかについて調べ始めました。そして、とあるコンサルティングファームが合同説明会に出るということで、2008年12月1日、僕は御茶ノ水のホテルの合同説明会に向かったのでした。

合同説明会に参加し、目当てのコンサルティングファームの話を聞き終わり、大学に戻ってゼミに出るかと会場を後にしようとしたとき、「ねぇ君、ちょっと時間ない?15分で良いからさ」と軽いノリで声をかけて来る人がいました。

「いや、授業があるんで」
「じゃあ10分!」
「いや、無理です」
「じゃあ3分!」
「ちょっと時間ないんで」
「じゃあ1分」
「ちょっと厳しいですね」
「じゃあ15秒だけ!」

というやり取りの末、「なんかこの人面白いな」と感じたのがきっかけで、たまたま入ったのが経済産業省のブースでした。

経済産業省のブースに入ったものの、当時の僕は、「堅くて、自由なことができなくて、個人として成長できない、優秀な人もいない」というイメージがあった公務員に、全く興味を持っていませんでした。しかし、その説明会で僕が出会ったのは、それまで持っていた公務員像と違い、日本がこれからどのような難局に直面するのか、そして、それをどのように乗り越えていくのか、そのために日々、自分たちがどんなことに取り組んでいるかを熱く語る経済産業省の職員でした。その人を見ていて、僕は「ここで働いてみたい」と感じる職場に初めて出会えたことに気がついたのでした。(当時は、どうすれば経済産業省で働けるのかも、全くわかっていず、その後、大変苦労することになるのですが...)

そんなひょんなきっかけで出会った経済産業省でしたが、入省した後も、辛い毎日の中でも、常に学びと発見があり、大変刺激的な4年3ヶ月を過ごすことができました。いつまでたっても未熟で青臭い僕でしたが、経済産業省の諸先輩方には、時に厳しく、時に優しく指導していただきました。今でも、経済産業省に向けて足を向けて寝られませんし、経済産業省に在籍した4年3カ月は、他では得難い、貴重な体験をさせていただいた期間だったと感じています。


そして、経済産業省の外へ


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経済産業省にて働く筆者


では、そんな僕が、なぜ経済産業省を辞めたのか。それは、一言で言えば、"このまま"の暮らしは数年以内に崩壊する、という危機感を強く持ったからです。

少子高齢化の進行、財政赤字の増大、経常収支の赤字転落、不安定性を増す国際情勢。日本の行く先には、これまで直面したことがない課題が山積しています。

抽象的で難しい、官僚が使いそうな言葉ばかりを並べましたが、どれも、実は、僕たちの暮らしと密接に関連したことがらです。

例えば、「少子高齢化」というと難しく聞こえますが、僕の友人が生まれた兵庫県の多可町という町は、この10年程度で、生まれて来る子供の数が半分になり、このままでは、町が立ち行かなくなると危惧されています。(そして、それは、多可町だけではなく、日本の市町村の多くが抱えている課題でもあります。)一方、東京では、子供を生んだものの、ご主人の収入だけでは家計が賄えず、しかし、保育所が足りないために仕事に復職できなくて途方に暮れている人が多くいます。加えて、経済産業省で働いていた時に話を聞いたある大企業では、優秀な中堅職員が、親の介護のために離職することが大きな問題になっているとのことでした。

また、僕らが子供を育て、親の介護を行う時、今と変わらぬ支援制度があるかと言えば、それは疑わしいと言わざるを得ません。政府の借金は、既に1,100兆円を超え、どのようにそれを返済していくかの道筋は見えていません。日本国全体(日本にいる全ての国民、企業、自治体での合算)で考えても、国外から稼ぐ金額よりも国外に出ていく金額が多くなる「経常赤字」が目の前に迫っています。つまり、日本人の稼ぐ力が弱まっており、相対的に生活水準が下がっていくと言われています。

加えて、昨今では、中国が東シナ海や南シナ海に進出してきたり、中東で紛争が頻発しているといったニュースがよく流れます。遠い国のできごとのように聞こえますが、僕たちが日々使っている電気やガソリンなどのエネルギーは、その資源の9割以上を国外に頼っており、その半分程度を中東から輸入しています。中東からは、船を用いて、インド洋、南シナ海、東シナ海を通って日本まで運ぶので、その途上の情勢が悪くなることは、僕たちの生活に対しても大きな影響を与えるのです。(最悪の場合、ガソリンの値段が高騰したり、一部の地域・時間帯で電気が使えなくなるかもしれません)

また、ベトナムで働いている僕の友人は、ベトナム人は、日本人の1/10の給料で10倍働くと言っています。(しかも、そのベトナム人達は、英語もよく喋り、IT機器を使いこなしたりと、めちゃくちゃ優秀なそうです。)もちろん、そうした人ばかりではないでしょうが、新興国の人々は、日本のような豊かな暮らしを求め、必死に働いています。僕は、学生時代、バックパックを背負って、シリアやヨルダン、インド、中国を始めとする世界の国々を30カ国以上まわりましたが、日本がいかに恵まれているか、その時初めて気付き、大変驚きました。日本は、激しい国際競争のまっただ中で、今後、ますます新興国からの突き上げにさらされていくことになります。

このままの日本では、この荒波に対処できない、このまま僕が経済産業省にいても、直面する課題に対応できない。そう直観したので、僕は経済産業省を離れ、新しい国のかたち、"これから"の僕らの暮らしのかたちを模索することにしました。当面は、以下の3つのことをテーマに、活動していこうと思っています。


1. "ばかもの"を増やす


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大学2年時のチベットへの旅行にて。


経済産業省に入省して以来、僕は、エネルギー、電機産業、新産業の創出と、日本が苦慮している分野ばかりを担当してきました。震災以降、日本のエネルギー政策は迷走し、未だに確固たる方針が定まっていません。電機産業は、リーマンショック以降、大手企業が軒並み大赤字を計上しました。新産業の創出においては、シリコンバレーやイスラエルなどに圧倒的に差をつけられています。

僕は、これらの分野の苦境を見るにつれ、それらは、各々の分野特有の課題ではなく、共通した原因があるのではないかと感じるようになりました。

それは、日本人の多くが、平穏な社会の中で生き、既存の枠組みの中で物事を考えることに慣れ過ぎていて、1、成功する可能性が低い野心的な取組みにチャレンジしない、2、異なる背景を持つ人と交流・連携しない、という2点です。

現在の日本では、どんな分野においても、みな、現状を前提に考えようとします。「"これまで"、そうだったから。」「"これまで"、そうやってきたから」というだけで思考停止し、"これまで"の暮らしが、ずっと続くかのように感じているのです。

しかし、今後、日本が直面する課題は、そんな、なまやさしいものではありません。"これから"の暮らしを守るためには、"これまで"のやり方を全て守っていてはダメで、本当に大切なもの以外はどんどんと変えていく覚悟を持たなければなりません。

これからの時代に求められているのは、"前例"も"模範解答"も"ノウハウ"もない中で、失敗するかもしれない野心的な取組みにがむしゃらにチャレンジする勇気を持つことです。

僕も、経済産業省を退職する際、「これまで、そうしたキャリアを歩んで成功した人はいない」、「経済産業省を退職するなんて、ばかの極みだ」と言って、多くの方から止められました。しかし、"これまで"の前例や模範解答や公式に沿った行動をしていては、"これから"の日本を形づくる新しい取組みは仕掛けていけません。

"これから"の暮らしを守っていくために、みずから進んで"ばか"になる。そして、危機感を共有し、野心的な取組みに共にチャレンジする仲間を増やしていく。まずは、同じ志を持つ人を増やし、繋がっていきたいと思っています。


2. "よそもの"になる

経済産業省という大きな組織で働いていて、部署、組織、業界を超えた交流がなんと少ないのだろうという印象を強く持ちました。しかし、それは、経済産業省のみならず、他省庁、仕事上付き合いのあった大企業、ベンチャー業界に対しても同じことを感じるようになりました。地方にある小さな町でも、隣町との交流がほとんどないということが珍しくありません。さらに言えば、日本人自体も、他の国と比べて、外国人との交流が極端に少ないのではないでしょうか。

常に同じメンバーで議論していては、一定の枠の中のアイディアしか出てきません。それは、本人達も気づかぬうちに、議論の前提となる"(間違った)常識"が生まれてしまい、それが自由な発想を邪魔するからです。だからこそ、"よそもの(異なる背景を持つ人)"との連携を通じて、無意識的に"常識"と化していた議論の前提を外すことにより、革新的な取組みを進めていくことができるのです。

例えば、僕は、経済産業省に入省するまでは、政府に入れば、もっと簡単に、この社会をよくしていけると思っていました。しかし、経済産業省で働いて初めて、政府にも不得意なことがあるとよく分かりました。

政府も、もちろんお金が無尽蔵に使えるわけではなく(既に1,100兆円を超える赤字があります)、雇える人数にも限界があり(その上、雇用体系が硬直的で、優秀な人材を集めにくい)、国会議員の多数に賛成してもらわないとお金が使えません。憲法や法律に則って、公平に、透明に、正確に政策を実施する必要があり、時に煩雑な手続きが必要になります。よく、「政府ならばこれくらいはできるだろう」、「手続きが煩雑で動きが遅い」と言われますが、これらの制約があるため、一見簡単そうなことでも、時に難しくなるのです。

こういった視点も、「政府の中で働いたことがある人」という"よそもの"と話さないと、なかなか得られないものです。(さらに言えば、僕がこのように思うこと自体、ある種の"常識"に捉えられていると思っています。もっと外部の人が政府に入れば、政府の動き方も抜本的に変わると期待しています。)

当然のことながら、 "よそもの"と交流すると、「議論の前提が食い違う」、「専門用語が通じない」など、多くの壁にぶち当たります。実際に、"よそもの"と連携していくには、その壁を一つ一つ超えていく辛抱強い取組みが必要になります。

僕は、そうした壁を乗り越え、「行政と民間」、「東京と地方」、「年長者と若者」、「日本と外国」など、"よそもの"との連携を通じて、(僕自身が"よそもの"となって、)これまでの"常識"に縛られない新たな取り組みを進めていきたい、そう考えています。


3. "働き過ぎ"ない

経済産業省で勤務していた4年3カ月での総残業時間は、およそ7,200時間、平均して、毎月大体140時間程度の残業を行っていました。(もちろん、この半分程度の月もあれば、300時間程度残業した月もありました。)月140時間の残業というのは、週に4日間終電(24時)まで残り、土日のいずれかで10時から23時まで勤務するくらいです。ざっくりした計算になりますが、大体、僕の感覚値でも、この程度は働いていたのではないかと思います。1日8時間勤務で計算すると、約8年分を霞ヶ関のビルの中で過ごしていた計算になります。

この数字は、僕が特別多いというわけではなく、経済産業省に総合職で入った若手であれば大体この程度は働いていると思いますし、中には、もっと長く働いている人も沢山います。

僕は、20代の中盤で、これだけ濃密な期間を過ごせたことを、経済産業省に感謝しています。体力があり、独り身である若いうちに、大きな組織の動かし方や、社会の動きについて、これだけ多くのことを集中的に学べたことは、僕にとって大きな財産となりました。

しかし、経済産業省をはじめ、政府内の先輩方の働き方を見る限り、30代や、時に40代の管理職になっても、未だに20代のように働いている方、働かざるを得ない方が多数いるのが見受けられます。勤務時間が長いこと自体を批判するわけではないですが、それだけの時間、物理的に霞ヶ関のビルの中にいて、本当に国民が求める政策をつくれるのでしょうか。政治家の要求や、組織内の慣習・"常識"といった事情もあると思いますが、いずれにせよ、今のままの働き方を続けていては、分野を超えた連携、創造的な成果は出てこないでしょう。

一例として政府の働き方を取り上げましたが、働き方の問題は、政府だけではなく、日本の全ての企業・組織が直面している課題でもあります。多様な働き方を認め、成果に則った評価をし、柔軟な雇用形態をとる。"働いている"ことに満足するのではなく、家族と時間を過ごし、"よそもの"と触れ合い、もっと外国に行く。そんなことが必要になっているのではないでしょうか。

"これから"の暮らしを守っていくために、どんな働き方がなされ、どんな組織のあり方が良いのか。自分自身の働き方や、組織との関わり方も含め、この問いにも向き合っていきたいと考えています。


結局は、全て人と人との間の信頼関係


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経済産業省退職の当日の筆者。


経済産業省を退職する際に、「君のこれまでの活躍は『官僚』という肩書きがあったからではないか」と言われたことがありました。確かに、「官僚」という肩書きによって、貴重な機会を与えていただき、普段では会えない方に会い、普段では参加できない場に参加していたというのは事実です。

しかし、経済産業省で勤務していて、結局は、制度も政府の機能も全て人が担っている(しかも、結構な少人数で)ということ、そして、政府内の仕事の進め方も、政策の企画や実行も、結局は、全て人と人との間の信頼関係によって動いているということを実感しました。

官僚の中でも、肩書きを超え、一人の人間として、政治家や民間の方からの相談を受け、社会に対して影響を与えている人に多く会いました。そうした人を見るにつれ、結局、本当に重要なことは肩書きではなく、自分の一つ一つの行動であり、それによって積み上げられる(もしくは、壊されていく)信頼なのだと理解することができました。

経済産業省で得た貴重な体験を社会に還元するという意味でも、今後も、1つ1つ信頼を積み上げていくということが重要だと感じています。


絶対に"失敗"しない「元」官僚


「元」官僚では何もできない。

そうおっしゃる方は沢山います。確かに、官僚を辞めたこと自体を"失敗"と言われる方もいるかもしれません。

しかし、「チャレンジし続ける人にとって、その結果は"成功"か"学び"しかない」と言います。

チャレンジし続ければ、きっと"これから"の暮らしを守っていける。そして、笑顔な人、幸せな人を1人でも増やしていける。

僕は、そう信じています。


陶山祐司(すやま・ゆうじ)
東京都生まれ。2014年7月に経済産業省を退職し、3人目のメンバーとしてインクルージョン・ジャパン株式会社に参画。経済産業省では、震災及び原発事故を踏まえた中長期のエネルギー政策の企画立案や、電機産業の競争力強化、新産業の創出促進を担当。関心事項は、思想(倫理学、美学、哲学、小林秀雄、ドラッカー)、安全保障、文化芸術など。

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