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鳥本健太|アートプロデューサー

鳥本健太|アートプロデューサー

 - ,,,,,,  09:00 AM

上海に暮らし、現代アートで食べています:成り行き任せの海外アート起業記~第1回

上海に暮らし、現代アートで食べています:成り行き任せの海外アート起業記~第1回

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はじめまして、上海でアートマネージメント会社「Office339」を主宰している鳥本健太と申します。米田編集長にお声かけいただき、私の上海での仕事などについてライフハッカーで連載させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。


アートの仕事をやっていて、いつも質問される2つのこと


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海上荟 Shanghai Gallery Selection 2011


まずリアルな場面で初対面の方にこんな感じで自己紹介をすると、だいたい聞かれることが2つあります。

1つは「アートマネージメントっていったい何?どんな仕事をしてるの?」。

たしかによくわかりませんよね。私の親なんかは何度説明してもいまだに息子がどんな仕事をしているのか理解してくれていませんし、もしかしたら妻もよくわかっていないかもしれません。

乱暴に言ってしまえば「アート」に関わることであれば何でもやっています。展覧会の企画(キュレーション)やアーティストのマネージメメント、様々なアートプロジェクトのプロデュース等がメインですが、 場合によっては自社で作品を作ったりもしますし、作品を販売(ディーリング)もします。ギャラリーの運営をしたり、アート関連の文章を書いたりもしますし、翻訳もします。

ニッチな分野なので上海で私と同じようなポジションで働いている日本人はいないということもあり、本当にいろいろなお話を頂きます。この前は「街の贋作屋に頼んだ絵が全然似てなかったので、もっと似てるように塗り直してくれ」とか、意味不明な依頼もありました(笑)。


そして、2つ目によく聞かれるのは、「一体どうやって稼いでいるの?」ということ。


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いやほんと、アートって全然お金になりません。おそらく多くの方はアート作品が頻繁に売買される場面を実際には見たことはないと思います。不景気になったら真っ先に煽りを受けますし、毎月のように何百万、何千万円の作品を簡単に買える裕福な人がたくさんいるわけがありません。買っても置く場所がないし。最近日本では町おこし的なアートイベントがいたるところで開催されていて、あたかもアートが盛り上がっているような雰囲気がありますが、そこで支払われるギャラなんて微々たるものです。

でもやっぱりアートって面白いんですよね。訳が分からなくて。お金にならなくても必死に活動を続けてるアーティストがいて、それを支える人たちがいて、表現が生まれ、でも誰も明確な評価が出来る訳でもなく、ある人の目に留まると凄い額で取引されたり、かと思うと時間が経ったらゴミ同然になってしまったり(笑)。本当に面白いと思います。


アートのわけのわからなさが社会に必要とされる


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ただ、私が興味があるのはアートのマーケット云々ではなく、アートが持っている性質の部分。歴史を踏まえつつ常に新しさを求めるところや、アイデンティティの重要性、理解できないものとの対峙、人の欲望に寄り添うところ、遊びの要素などなど。そして私が今の仕事を続けている理由も、アートのような経済合理性がなく一見無駄に見えるもの、わけがわからないけど何となく面白いもの、そういういうものが今の時代に、そしてこれからの社会に確実に必要とされるだろう、という確信があるからです。

この連載では、そんなよくわからなくてお金にもなりにくいアートの仕事を、中国の上海で私がなぜ始めたのか、どんな仕事をどうやって続けて来たのか、などのお話ををゆる~く綴って行きたいと思っております。

いわゆる純粋な「現代アート」の世界からはみ出す部分も多々出てきますので、もしかしたら専門の方々や諸先輩方からは「それはアートではない!」とお叱りを受けてしまうかもしれませんが、そこはライフハッカー[日本版]という一般メディアということで、どうか大目に見ていただけますと幸いです!


マンチェスターで優秀な中国人の友人から受けた衝撃


私がなぜ「上海」で「アート」の仕事をしているかというお話を少し...。

中国に最初に興味を持ったのは2000年頃。2年間通った大学を休学して「何も持たずに海外で生きのびてやる」という大きいのか小さいのかよくわからない志をもって日本を飛び出した私は、当時イギリスのマンチェスターという街で働いていました(大学は結局そのまま退学)。

その頃、マンチェスターで出会った中国人の友人のホームパーティに呼ばれることが度々あったのですが、ある日、彼らがとても興奮してはしゃいでいる夜がありました。何をそんなに喜んでいるのかと聞いてみると、ついさっき2008年のオリンピックの開催地が北京に決まったのだと言います。それはもう凄い喜び様でした。それを聞いた瞬間は、「そうか、日本の近くで開催されるんなら、もしかしたら見に行けるかもな~」くらいに思っただけでしたが、その後彼らが発した台詞が私の人生を変えてしまいました(というのはちょっと大げさですが...)。

その後、友人の1人が目を輝かせてこう言ったんです。「中国はまだまだ発展途上な国だし足りない部分もたくさんあるけど、人口も多いし、そのぶん自分たちのような(←ここミソ)優秀な若者もたくさん出てくる。間違いなく中国は発展していくから、オレたちには明るい未来が待っているんだ!」と。


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マンチェスター時代のホームパーティの様子


それを聞いて私は相当なショックを受けました。私は日本人として、母国にそんなに楽観的な希望のようなものを一度も持ったことがなかったなと。我々の世代はロストジェネレーションと呼ばれていて、社会に目を向けるような年齢になってから、ずっと不景気とかリストラとか就職難とかそんな言葉ばかり聞いて育って来て、日本の未来に何かすばらしいことが待っているような感覚は持ったことはありませんでした。

ですので、同世代の彼らの話を聞いて、一気に興味が湧いてきました。これが新興国の持つエネルギーなのかと。そして気がつくと、「いつか中国に行ってみなければ」と思うようになっていました。


中国の大連のIT企業に転職。その後、アートの道へ


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私が初めて住んだ中国の都市、大連。


イギリスから日本に戻って東京でIT関係の会社に勤めたのですが、あるとき、たまたま同僚が「○○の求人サイトに大連での求人が載ってたよ」という情報を教えてくれて、「とうとうその時が来たか!」という感じですぐに中国行きを決めました。それが2004年、私の中国生活は大連という街でIT関連の仕事でのスタートでした。

念願の中国は仕事がなかなか忙しく、大連も大きな街ではありましたが、期待していたような「中国の勢い」のようなものを感じることはできずにいました。そんなとき、連休に友人と旅行で上海に行き、たまたま「M50」というアートエリアを訪れました。上海の中心地から少し離れた紡績工場の跡地に、ギャラリーとかアーティストのスタジオとかデザイン事務所とかが100軒近く集まっているような場所なんですが、そこの雰囲気がエラく気に入ってしまいました。私はすぐに大連の会社を休職して、M50にあった小さなギャラリーに飛び込みで3カ月くらいバイトさせてもらいました。


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「M50」の様子。


その3カ月の間に周りのギャラリーやスタジオを回っていろいろと話を聞かせてもらったり、中国の現代アートがどんな状況なのか調べたりしているうちに、ちょうど中国のアートシーンがすごく盛り上がっているということがわかりました。「これは本当に面白い!」ということで、そのときはまだ大連の会社に籍があったのですが辞めさせていただき、上海に移ることを決めました。

もともと中国に来た理由も、経済発展から人や街や国が凄いスピードで変わって行く姿を目の当たりにしたかったということもあり、今考えても、当時は中国で上海という街以上にそれを感じられる場所はなかったように思います。


上海のアートエリア「M50」との出会いと消極的起業


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当時の上海の夜景


上海に来てからは、同じくM50というアートエリアにあった版画工房で働かせてもらうことになりました。そこは曾梵志(Zeng Fanzhi) とか、張洹(Zhang Huan)とか、周春芽(Zhou Chunya)など、今ではオークションで作品の価格が億を超えて取引されるような第一線で活躍するアーティストの版画を刷ったりしていました。

版画工房での仕事ではいろいろなアーティストに会えたり、作品が制作され取引される過程などを見ることができたり、とても充実していたのですが、そこで働いて半年くらい経った頃に工房が家賃の問題などで郊外に引っ越すことになってしまいました。さすがに遠すぎて通えなくなってしまったので、仕方なく自分で出来ることからビジネスを始めることにしました。

それが2006年、私が26歳の時です。きちんと法人化したのはもっと後ですが、振り返ってみると一応それが独立した時になります。といっても自分としても「よし、起業しよう!」といった意気込みを持って独立したわけでもなく、成り行きでどちらかというと致し方なく...という感じでした。

何せアートでどうやって食べて行けるのかノーアイデアで、ビジネスモデルとか全くなかったですし、ほんと無いものづくしで、知識も経験もお金もないし、言葉もロクに出来ない。知り合いもほとんどいない。当時は1回しか会ったことのない友人の家に無理矢理お願いしてタダで居候させてもらっていたほどで、生活はというと日本にいた時にちょこっと投資していた中国株がたまたま調子良かったのでそのキャピタルゲインを切り崩してなんとかやりくりしていたくらいでした(笑)。


バブルで沸く中国のアートシーンとバブルの崩壊


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2006年香港クリスティーズ。中国人の現代アートの作品が始めて1億円を超えて話題となった。


それでもタイミング的な運もあり、最初の頃はツテで日本の雑誌メディアに中国のアート事情の原稿を書かせてもらったり、上海で開催されるアートフェアの出展コーディネートをさせてもらったりするところから始めて、そこから少しずつ自分で展覧会の企画をしたり、展覧会をしたアーティストのマネージメントをするようになったり、作品を販売して行ってマーケットに乗せる働きをしたりと、見よう見まねで仕事の幅を徐々に広げて行きました。

とにかく当時は中国のアートバブルの真っ只中だったんで、周りですごいお金が動いているし、みんなギラギラしていて、何か仕掛けたらすぐに反応が返ってきて面白かったですね。企画した展覧会で作品が完売、なんてこともよくありましたし、取り扱っているアーティストの作品がオークションに流れて売値の何倍にもなって取引されたりもしていて...。「あれ、これ普通にお金持ちになれるかも」なんて勘違いしそうになった瞬間もありましたが、すぐにリーマンショックが来て、アートバブルもすぐに終わり、私の浅はかな夢も一瞬で消えてしまいました(笑)。


金融危機でマーケットが一気に冷え込んでからは、周りの状況もずいぶんと変わりました。営業が続けられなくなったギャラリーがどんどん潰れたり、ある作品を巡ってヤクザみたいな人に絡まれたこともありましたし、気がついたら知り合いのギャラリストが行方不明になっていたり、お金って怖いなと...。


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長沢郁美による、子どもたちと段ボールで上海の街を作るワークショップ 「My Shanghai x My Creation」@SWFC


ただ、作品が簡単に売れなくなり業界としては元気のない時期でしたが、そのぶん怪しいディーラーや、著名作家の作品に似た絵ばかり描く中途半端なアーティストは消えてゆき、逆にマーケットの動向にとらわれない意欲的な作品が出て来たりもして、アートシーン自体は健全化したような感じがしました。

そのころから、景気やマーケットの動向に左右されずに、やりたいことが実現できるような仕事のやり方を模索するようになりました。

そして上海の街自体は、金融危機といっても2010年の上海万博に向けてガンガン開発が進んでいて、未来への熱気で満ちあふれていました。私があそこで踏ん張れたのも、街のエネルギーのおかげだった様な気がします。


※第2回につづく。


鳥本健太 KENTA TORIMOTO

1980年生まれ、北海道新得町出身。アートプロデューサー。上海を拠点とするアートマネージメント事務所「Office339」の代表。現代アートを軸に様々な領域を横断し文化的な価値を創造する企画をアジア各地でプロデュースしている。近年のプロジェクトとしては、中国のオタク層に話題沸騰中の連続ドラマ「日本屌丝」のプロデュース、上海環球金融中心5周年記念アートプロジェクト「滤镜 FILTER THE PUBLIC」総合ディレクションなど。

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