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米田智彦米田智彦  - ,,,,  11:00 AM

音楽とビジネスのあいだでサヴァイヴする方法〜『松尾潔のメロウな日々』出版記念!松尾潔スペシャルインタビュー〜後編

音楽とビジネスのあいだでサヴァイヴする方法〜『松尾潔のメロウな日々』出版記念!松尾潔スペシャルインタビュー〜後編

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前々回の「音楽とビジネスのあいだでサヴァイヴする方法〜『松尾潔のメロウな日々』出版記念!松尾潔スペシャルインタビュー〜前編」はこちら

前回の「音楽とビジネスのあいだでサヴァイヴする方法〜『松尾潔のメロウな日々』出版記念!松尾潔スペシャルインタビュー〜中編」はこちら


松尾潔/Kiyoshi "KC" Matsuo

1968年、福岡県生まれ。音楽プロデューサー/作詞家/作曲家。「Never Too Much Productions」代表。早稲田大学在学中にR&B/ヒップホップを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。


好きなことを極めるうちに、なりゆきがなりわいになり、ライターから音楽プロデューサーになった


米田:松尾さんは一度もいわゆる会社勤めをしたことがないということなんですが、若い頃に、自分のキャリアについてはどう考えられていたのかもお聞きしたいんです。僕の個人的なこの本(『松尾潔のメロウな日々』)のクライマックスは、松尾さんが「なりゆきがなりわいになった」と書かれていることだと思っているんです。

松尾:ありがとうございます。僕はR&B を好きで聴き続けてきただけで、将来ライターになろうとかプロデューサーになろうとか思っていたわけではありません。だから、本当になりゆきなんです。履歴書を書かない人生なんですね。エントリーシートっていう言葉にすごく憧れがある(笑)。

米田:そこが逆にすごいなぁと思うんです。

松尾:今でこそR&Bは市民権を得ているかもしれませんが、聴きはじめた当時はあくまでマニア向けの音楽。だからR&Bについての文章を書いてるといっても、親や周りからは「そんなことやっても食っていけるのか?」とか「役に立つのか?」って言われましたよ。でも、役に立つ、立たないって基準で考えるとほとんどの趣味っていうのは役に立たないですよ。

米田:まあ、そうですよね。

松尾:でも「好き」のパワーはあなどれない。それくらい強いものです。役に立つか立たないか、自分の人生にとっての打算よりも、やっぱり人は「好き」っていうところに行くものだと思うんです。恋愛と一緒ですよね。少なくとも僕はそういう生き方をしてきたんだけども。「役に立つか」を好きなことより優先させるのではなく、好きなことをずっと極めていったらそれが役に立った、ということですね。親からは、堅実で収益性の高い仕事をやりながらマニアックな趣味を持ち続ければいいじゃないかと何度も言われましたけれども。

米田:20代で成功された松尾さんでも、そうだったんですね。

松尾:母親が口癖のように言っていたのが「三島由紀夫だって初めは大蔵省の役人だったんだから」(笑)。

米田:すごくハードルの高いたとえですね(笑)。

松尾:息子に期待してくれるのは分かるけど、そもそも、大蔵省に入ろうなんて思ってないし入れないし、三島みたいに小説を書こうとも思ってないから(笑)。ただ黒人音楽が好きでその世界がもっと知りたくて、知ることによって自分が感じる幸せを他の人たちとシェアしたいだけなんだという。


幸せを大きくする方法とは、人と分かち合うこと


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松尾:『松尾潔のメロウな日々』にも書いたように、ジェイムズ・ブラウンがインタビューで「成功とはつまり、分かち合うことです。あなたがやっとの思いで沼から陸に這いあがることができでも、それはまだ成功とは呼べません。陸にあがったら後ろをふり向いて、まだ沼であえいでいる者に手を差し伸べてごらんなさい。そのひとを陸に引きあげたとき、初めてそれを成功と呼べるのです」と言ったんです。

「成功」は「幸せ」と置き換えることができるのではないでしょうか。「ささやかな幸せです」という表現があるように、幸せと呼ばれるものの中には、もちろん自分だけの密かなプレジャーがあってもよいとは思います。でも、幸せを大きくする方法が仮にあるとするならば、それは人と分かち合うときではないかと。僕はそう思うし、ライターをずっと続けていたのは、まさにそういう理由からです。

むかし、僕の周りには僕より黒人音楽に詳しくて僕よりたくさんレコードを持っている人なんてたくさんいました。そのなかには自分のレコードを人に聴かせたくないという性分のコレクターも結構いて。でも、僕は自分がワクワクした音楽は周りに「どう?聴いてみてよ」って薦めたかった

僕も自分の批評的な耳で許せない曲は作っていません。「評論から実作に移って、知識が邪魔することはありませんか?」とよく訊かれますが、知識を得たことによって自分の中に育ってしまった批評眼が、実作のときにすごく慎重にさせているところはあるかもしれないですね。でも、それ以上に作品性を豊かにしてくれることの方が大きい。だから、知識はあっても損はしないと思うんです。方向性を見誤らなければいいだけで。そうは思いませんか?

米田:思います、まったく。僕も若い頃、音楽制作をしていて、いろんなものを見聞きしすぎたために自分が作る段階になると躊躇してしまうということによくぶち当たりました。今、やっている分野は音楽から編集の世界へと変わりましたが、それが自分の血となり肉となっているなと強く感じます。

松尾:例えば、米田さんは今、いろんな人にお会いになるじゃない。ビジネスの世界の人とかね。「僕も音楽好きなんですよ」って言って、けど好きってこう、いろんな程度があって、正直、「なんだ、その程度か」っていう人でも「好き」って言うじゃないですか。

米田:はい、言いますね。

松尾:それを見下すなんてお門違いだし、詳しいから偉いわけでもない。ただ、プロを目指すぐらい音楽浸りになった時期があれば、人生における音楽の効用も分かるでしょうから、決して無駄な経験ではなかったといえるはず。

取材で「音楽以外の趣味は?」と質問される度に僕が「趣味も音楽です」って言うと、「じゃあ、音楽より素敵なことはあるんですか?」と訊かれるんです。それに対して真摯に答えるとするなら「音楽より素敵なものがあるとしたら、それは音楽のような時間」ですね。


好きな音楽と映画と小説があれば幸せ


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米田:音楽のような時間...松尾さんを前に言うのははばかられますが、実は僕もそういう時間が一番好きだだという自覚があるんです。音楽が鳴っていないのに、音楽につつまれているような感覚が持てる体験、音楽のような流れの中にいるような空間や時間、とでも言いましょうか。

ところで、すごく下世話な質問で申し訳ないのですが、キャリアとか、お金を稼ぐっていうことに関して、松尾さんがどうお考えだったのかも知りたいんです。20代の頃って、毎日好きな音楽を聴き、ライナーノーツを書き、海外を飛び回って取材をし......という日々だったと思うんですが、自分の仕事に関してどう未来地図を描かれていたんだろう?って。

松尾:どんな環境が整えば自分は幸せを感じ続けられるのだろう?と真剣に考えた時期があるんですけど、辿り着いた結論としては、そんなに特別お金のかかる人間ではありませんでした(笑)。

好きな音楽と映画と小説をお金のこと気にせずに全部味わえたら、どんなに楽しい人生だろうと思ったんですね。そしたらもう、23、24ぐらいでそれが叶っちゃったんです。「やった!」っていう達成感よりも「あれ、俺、結構安上がりにできてたんだな...」という徒労感がありました。もし「豪華ヨットのオーナーになりたい」とかだったら話は違ったでしょうが、「好きな音楽をたくさん聴けたらいいな」という目標なんて、ライターという仕事をやった時点で結構叶ってしまっていたんですね、実は。

もちろん、「あのドーナツ盤が欲しい」とか、未だに手に入ってないレコードもあったりしますよ。でも、今はヨーロッパのオークションでも買えるぐらいの余裕はありますし、好きなアーティストを追いかけて海外に観に行くこともよくあります。でも、仕事の目的や意義とはそういうことじゃなかったんだなと思いますね。今、音楽を生業にしたことを後悔せずに済んでいるのはラッキーですけれど。


松尾潔が「コハダ事件」から得た教訓


松尾:分かりやすい贅沢の例として「鮨を腹一杯食えたらどんな幸せだろう」って言いまわしが昔からありますよね。およそ百年前に書かれた志賀直哉の『小僧の神様』にも出てきますよ。「鮨屋という場所に行けたら幸せだな」って願う小僧がいることを知った資産家が、自分の正体を明かさぬまま腹いっぱいの鮨を奢った。小僧はそれを神様の仕業と信じ込んだという、まあ、それはそれは残酷な話ですけど(笑)。僕、鮨は安いネタばかり好きみたいなんですね。いわゆる光り物のたぐい。なかでもコハダ。

25歳のときだったかな、年長の知り合いに初めて連れて行かれたある有名な鮨屋で、店の主人から「どうしましょう?」って訊かれて。軽い調子で「1回でいいから、もう動けないっていうぐらいコハダだけを食べてみたいんですよ」って答えたんです。ウケ狙いもあって、あくまで明るくね。

そしたら、その主人、黙りこんだかと思うとすごいスピードで次々にコハダを握って、僕の前にどんどん並べていくんですよ。初めの3、4貫くらいまではこっちも気持ちよく食べていたんだけど、茹で蛸みたいに顔を真っ赤にさせた主人が「若い客であんたみたいな気持ちのいいこと言う人は初めてだよ!」みたいな嫌味を言ってくる。あっという間に目の前にコハダが30貫くらい並べられて。もう恐怖ですよ。わけが分からない。「いや、もう結構です。さすがに満足しました」「いやいや、だって動けないくらいコハダ食べたかったんでしょ、あなた」ってやり取りがあって、常連らしき客たちがザワザワしだして、僕に向かって「兄さん、謝んな」とか言うのね。

そこまで言われるとこっちも「なんで謝んなきゃいけないんだ、この野郎」みたいな気持ちになってきて。高級かもしれないけど下品な店だな、一見の若い客を下劣なやり方でいじめやがって、と。「ご主人、僕はもう食べたくないって言ってるじゃないですか!」みたいな話になっちゃって。内心はびびってましたけどね(笑)。

そしたら今度はその主人、「お客さん、私の奢りだから飲んでください」と言って湯呑茶碗を僕に突き出してビールを飲ませようとするんです。「要りません、飲みません」と突き返したら、怒気を込めて「じゃあ、私が代わりに飲ませてもらっていいですか」なんて凄むわけです。「無性にビール飲みたくなってきたんですよ」って、たぶん怒って喉が渇いたんだと思うんだけど(笑)。ギャラリーと化した常連客たちが「兄さん、お酌すりゃいいんだよ」って口をそろえるもんだから、僕も腹くくってお酌したものの、「なんだ?この店は」と。で、予想通り「お代は要らない」と言ってくるから、「いや、払わせてくださいよ」って言い返したり。

この話には続きがあって、そんなことがあったのに、数カ月後またその店に行くんですよ。僕の話を聞いた血の気が多い悪友が「そんな失礼な店、俺が復讐してやる。同じ台詞吐いてやるぜ」って言うから一緒に乗り込んだんです。僕もやっぱりちょっと負けん気もあったんでしょうね。で、友達がなんて言うのか楽しみにしてたら、店の主人を前にして日和っちゃって「じゃあ、おまかせで」なんて言うんです。

米田:だはは。

松尾:「何だかなあ」と思いながら僕もそのおまかせを食べてみたら、これが結構旨い(笑)。「やっぱり名店って言われるだけの味ではあるな」なんて妙に感心しつつ、それでもオヤジの顔をじっと見てたんですよ。「あんときの俺だよ!」って感じで。

そしたら、なんと! 最後の最後まで気づかなかったんです。なーんにもアクシデントが起こらないまま、普通におまかせを2人分食べて、2人分のお代を払って帰ったっていう話なんです。脱力しますよね。初めてお店に入った日、僕は自分の人格をかけて主人の挑発に向かい合ってたつもりだったんだけど、単に主人の虫の居所が悪かっただけなのかと。これには考えさせられました。

鉄道の乗客は旅先で車窓から見える風景を「自分はこれを忘れないんだろうな。あ、あそこに1人いる」なんて思ってるけど、向こうは列車は視界には入ったものの通り過ぎただけだったと。接客業ってそういうところあるでしょう? 僕にとっては因縁の店のつもりだったんだけど、向こうからすると全然忘れているという。この事件、僕には学ぶところがすごく大きかったんですよね。

楽曲を制作するときに「これが人生最後の曲になってもいいように」くらいの覚悟で臨むというのは、ある見方からすれば美しい話なのかもしれないし、実際にその心づもりが求められる場合もあるでしょう。でも、10年くらい前に秋元康さんに「松尾君は打率を気にしすぎ」と言われたことがあるんです。「毎回毎回、名曲を作らなきゃいけないっていう気負いがあるみたいだけど、大丈夫だよ。世間の人はヒットした曲しか覚えてないよ」って。

米田:雲の上から降臨してきたかのようなアドバイスですね(笑)。

松尾:ヒット曲が数百曲ある人がそうおっしゃるんですから説得力ありますよね。当時の僕は作った曲を全部合わせても百曲あるかどうかというのに(笑)。実際、それまでは「これが遺作になってもいいように」なんていつも思っていましたよ。今でもそういう気持ちはありますし。ただ、秋元さんのお話を聞いて、「ああ、そういう物の見方もあるのか」と少し気が楽になりましたね。それとセットみたいにいろんな局面で「コハダ事件」を思い出すんですよね。こっちが思うほど向こうが思っていないこともあるって。恋愛なんて特にそうかもしれません(笑)。

米田:僕も毎回誰かを取材したり、自分がメディアに出て人としゃべる度にそう思います。「ああ、失敗しちゃったな」とか「話が全然盛り上がらなかった...」とか凹むこともあるんですが、すぐに「ま、自分以外はほとんど覚えてないよな。だったらいいや、忘れよう」って思い直すんです(笑)。

松尾:だから、僕のクインシーの話もまさにそうじゃないですか。

米田:2008年にもう一度松尾さんはクインシーに会うんですよね。そこで、前回と同じ質問をされたという。

松尾:そう、「俺の人生を変えたクインシー」と思って、もうすごいヒントを出しながら誘導してるわけですよ。「95年にお会いしたときと同じ質問をさせていただきます」なんて言って。あのときは怖かった。でも、それゆえに今となっては甘美な記憶となっている「事件」を、その張本人に上書きしてほしいと。「あのときと同じこと言ってよね」くらいの感じでグイグイ迫ってね(笑)。で、満を持して「音楽とビジネスを両立する秘訣はなんですか?」って訊いたら、「うーん、健康だな」って答えられたという。僕からすれば「なんだそれ? まさかあのとき怒ったこと忘れたの?」って話ですよ。でも、もう完全に忘れてるんです、クインシーは。

米田:クインシーにとっては人生の車窓から見えた一瞬の光景ですもんね。

松尾:まあ当然なんですよね。そんなことを覚えておくには彼は忙しすぎるし、彼の人生は大きすぎます。怒られた当時の僕は27歳でしたから、27年分の1日っていうのは分母が小さくて、自分にとってはとてつもなく大きな話でしたけどね。

米田:松尾さん、ちょっと話、戻していいですか、コハダ事件の前まで(笑)。キャリアについてどうお考えになってましたか?っていう質問です。

松尾:余談三昧でごめんなさい! 米田さんと話をしてると「忘れてたな、こんな話」っていうのを結構思い出しちゃうもので(笑)。話を戻すと、僕はミュージシャンシップの延長線上でプロデュースをやっているつもりはないです。リスナーの感性の延長線上でプロデュースをやっているんです。作り手としての判断基準になっているのは常に自分が聴き手としていろんな音楽をジャッジしてきたときの経験と体感ですね。

米田:『bmr』の音楽ライターだった10年間が、音楽プロデューサーとしての素養になっているとも書かれていましたね。

松尾:世間では音楽評論家は「聴くプロ」だと思われていますよね。音楽ライター時代の僕は、聴き手の痒いところに手が届くのは当然、かつ痒くないところまでも提示して、痒いと思わせるまで書かなければと自分に課していました。それこそが仕事の醍醐味と思っていたので。そんな経験が聴き手のマインドを常に忘れない音楽作りにつながっています。人に聴かれない音楽って本当に寂しいですから。


大衆が思わず口ずさんでしまう音楽をつくること


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米田:では、最後にこれだけは質問させてください。かつて松尾さんがクインシーにした質問、「音楽とビジネスを両立させる秘訣はなんですか?」という問いかけを、僕から松尾さんにさせてください。

松尾:音楽とビジネスの両立...そうですねえ、クインシーと同じことを言っても芸がないよなあ。クインシーが言ってることは、今でも僕にとっては正解たり得ているものなんですけど。

米田:ちなみに最初の方ですよね。2回目の「うーん、健康だな」じゃなくて(笑)。

松尾:そうそう最初の方(笑)。音楽ビジネスは、例えば、お米やパンといった主食を売ることとは明らかに違うはずなんです。音楽には一銭も費やさずとも生きていける人たちは確実に存在しますし。でも、作り手は「自分にとって音楽はパンと同じだ」みたいなセンチメンタルな台詞を言いがちなんですね。「三度の食事は我慢できても一秒も音楽を聴けない日なんてあり得ない」みたいなことを言うのがかっこいい、みたいな。音楽ビジネスっていうのは、必ずしも音楽が必要な人ばかりが相手ではないという、クールな見極め、現状認識の上に成り立つビジネスだと思いますね。それは諦観とは違うもので。

自分が作る音楽を好きな人が絶対どこかにいるはずだって思わなきゃやりきれないのは当然です。でも、それと一見矛盾するようだけれども、仕事である以上は、これがなくてもほとんどの人の生活には関係ないという認識がないと、Needを創り出せない。自分にとっては音楽なんて必要ないと思っている人に聴かせる音楽を創りだす仕事でもあるんですね。

「旅人とプラタナス」というイソップ童話をご存じですか? 夏の真昼のこと、強い陽射しを受けて疲労困憊した2人の旅人が、1本のプラタナスを見つけてその木陰に入り、涼をとります。彼らはプラタナスを指差して「プラタナスって実はならないし、ほんと役立たずの木だな」と言う。すると、プラタナスの木が「私のおかげで助かっているくせにこの恩知らずが」と怒り出すという話。僕にとって優れた大衆音楽はそのプラタナスみたいなものなんですよ。「こんな音楽、なくてもいいよ」って言いながら口ずさませたい。怒る必要はないですが(笑)。

「なんだ? このバカみたいな歌。オレも歌っちゃってるじゃねえか」っていうような。そういう意味では秋元さんはやっぱりすごいなあと思います。『恋するフォーチュンクッキー』、あれは本当に今の時代にあって数少ない歌謡曲らしい歌謡曲だなと。「俺は秋元康なんか好きじゃねえよ」っていう人の唇にもメロディが侵入してくる。キスの名手みたい。「AKBは嫌いだけどあの曲だけはね」とかっていうのはもう最大の賛辞ですよね。僕、AKBって全然詳しくないんですけど、さっきから話してるうちに前田敦子の物真似したくてしょうがなくなっちゃった(笑)。松尾潔のことが嫌いな方も松尾潔の曲は嫌いにならないでください!

米田:締めが前田敦子の名セリフですか(笑)。そろそろ時間ですね。最後の質問ができてホッとしてます。たくさんの興味深いお話、ありがとうございました!


(聞き手・文/米田智彦、写真/有高唯之)

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