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印南敦史  - ,,,,,,,,  11:00 AM

人との出会いで道を見つけ、退路を断って突き進む:カンヌに挑む若き映画監督の転機

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人との出会いで道を見つけ、退路を断って突き進む:カンヌに挑む若き映画監督の転機

伊藤峻太


あたらしい場所であたらしい仕事をするとき、なにを基準に行動すればいいのでしょうか。イノベーションを起こすためには、どんなスキルや経験が必要なのでしょうか。それらを知りたいのなら、試行錯誤しながら行動する人に聞いてみるのが一番です

数々のクリエイター、ビジネスリーダーたちの働き方を紹介する米Lifehackerの人気連載「HOW I WORK」も好評ですが、同じようにぼくたち日本版では、自分らしい生き方・働き方を実践している人たちに会いに行こうと思いました。

第8回目の取材対象者は、フリーランスディレクターの伊藤峻太(いとうしゅんた)さん。伊藤さんは1987年生まれ、現在27歳。高校2年生から映画を撮りはじめ、2005年作『ウィッシュバニッシュラビッシュ』が高校生映画甲子園で2つの賞を受賞。次いで2006年作『虹色☆ロケット』はDVD化されるなど、大きな話題を呼びました。

現在は、『虹色☆ロケット』の制作をきっかけとして結成したアート集団「芸術家族ラチメリアカルムナエ」代表として、映像制作、イラストレーション制作、音楽活動などを幅広く活動中。7年の歳月を費やした新作『ユートピア』は、日本の若い映画制作者を支援する「Gateway for Directors Japan」の第1弾に選ばれ、第67回カンヌ映画祭でプレゼンテーションやビジネスマッチングを行える権利を得ました。伊藤さんの映画制作における奮闘の様子は下記のサイトによる動画にも詳しいです。


埼玉県 伊藤峻太さん ムービー編 ①|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬


若くして自らの表現手段を発見し、高校時代にはすでに進むべき道を見つけたようにも見える伊藤さん。しかし実際には、幼いころから拭えない苦い思いがあるといいます。そして、それは結果的に、自らの表現手段と深く結びついているのだそうです。



すべての原点は「怪獣」


伊藤さんは、東京都下の小金井市生まれ。ただし親の仕事の都合で、ほどなくして北海道の中標津町へ。以後も、北海道札幌市、宮城県岩沼市、兵庫県川西市、千葉県鎌ケ谷市、京都府京都市、千葉県松戸市、そして現在住んでいる埼玉県川口市と、各地を転々としてきました(伊藤さんについて語るうえでもっとも重要なポイントであるこの「移動」については、のちほど詳しくお話しします)。

そんな伊藤さんに大きな影響を与えたのは、小さいころから大好きだったというアニメや特撮。ディズニーからセーラームーンまで、ジャンルを問わず見ていたそうですが、中でも強く心を奪われたのは怪獣モノ。ゴジラやガメラが大好きで、特に昭和ガメラの「かっこ悪さ」には強く惹かれたといいます。中学1~2年生くらいまでは「人間が主人公の作品がおもしろいなんて考えられない」とすら思っていたといいますから、かなりの入れ込み具合です。


絵を描くことが自分を守る武器だった


怪獣映画を見るとき、なによりも刺激を受けたのは、その「非現実性」や「空想の力」の大きさだったといいます。そこから、自分でも物語をつくり、家にある人形を使って人形劇をするなど、「自分自身でつくりあげる」感覚を早い時期から知らず知らずのうちに身につけていたのだそう。

そして同じように大きな意味を持っていたのが、絵を描くこと。転校をくり返す過程では、短い期間でクラスに溶け込むためにも「突出した何か」を持っている必要があり、そんなとき絵のうまさは武器になっていたのだとか。「どこへ行っても通用する、自分の持てる唯一のもの」としての絵の比重が、どんどん大きくなっていったというわけです。


運命を変えた、ある同級生との出会い


そして、中学生のころからは「漫画家になりたい」という気持ちが大きくなっていきます。高校入学後も漫画ばかりを描いていたそうですが、同じタイミングで、その後の伊藤さんを左右する重要な人物と出会うことになります。

それは、高校1年生のときに同じクラスになった同級生の下條岳(しもじょうたけし)さん。最初の自己紹介の時点で「映画監督になりたい」と断言し、その年の冬には長編映画を撮って新聞などにも取り上げられた彼の個性が伊藤さんを刺激したのです。そして結果的には、伊藤さんも2年生のころから「引き寄せられるように」映像に関わりはじめていきました。

かくして、文化祭で上映するために初めて自分で作品をつくったのが高校3年生の夏。その後、先生から生徒指導のために見せる映像制作を依頼され、作り上げていった作品が『虹色☆ロケット』です。大学受験を控えた大事な時期でしたが、伊藤さんは「面白いクラスメイトたちを出演させて映像に収めたいという原動力もありましたし、観客として全校生徒2000人が用意されているのに、撮らない手はないだろう」と厳しいスケジュールの中で撮影を続けたのだとか。

この『虹色☆ロケット』が下北沢トリウッドの目に留まり、上映されることに。この上映は話題を呼び、作品はDVD化、販売もされました。伊藤さんが映像の世界へ本格的に入り込んでいくきっかけとなったのです。



伊藤さんにとって下條さんとの出会いは、その後の生き方が変わる最大の転機でした。


僕の最大の転機は、もう絶対に、高校で下條と出会ったことです。もしもあの出会いがなかったとしら、そもそも映像をやろうと思っていませんでしたし、絶対に映画は撮っていないですから。そういう意味では、同じクラスだったことは奇跡的ですらあったんですが、出会いひとつで人生はこんなにも変わってしまうのかっていうような気持ちです。

下條はいま、CM制作の現場にいます。しばらく映画は撮れないかもしれないですけど、「何年後かにまた集まって映画を撮れたらいいね」って話はしています。


「何をやりたいのかわからない」が、杉井ギサブローの姿で変わった


伊藤さんは『虹色☆ロケット』によって結果を残したのですが、それにもかかわらず高校卒業後の進学先には、住んでいた場所から遠く離れた京都精華大学を選びます。普通なら、東京の美大や専門学校を選びそうなものですが...。


簡単にいうと、東京の美術大学を全部落ちたんです。そもそも高校時代は、自分がなにをやりたいのかっていうこともわからなかった。だから、とりあえず有名美大のデザイン学科に入って、それから映像をやろうかなという程度にしか考えていなかったんです。なので高校3年の夏から美術予備校に通ったんですけど、受験用デッサンの勉強が本当に嫌で...。

受験と同じころから『虹色☆ロケット』も撮りはじめちゃいましたから、結果的に予備校には行かなくなっちゃったんですよ。だから美大に入るための絵の勉強は一切しないまま受けたんですけど、当然ながらひどい結果で(笑)。


そんな中、唯一合格したのが京都精華大学だったのです。入学したアニメーション学科は、ちょうどその年にできたばかりでした。


そもそも心のどこかでは、大学には行かずに漫画家になろうと思っていたんです。親に説得されたこともあって考えを修正していったんですけど、決定的だったのは、大学を見学しに行った際に、『鉄腕アトム』や『タッチ』を手がけたアニメーション監督の杉井ギサブロー先生に出会えたこと。ものすごくかっこいい先生で影響を受け、そこから気持ちが変わりました。それで受験してみたら、結果は1位通過だったんです。「この成績で受かったんだったら、これが運命なんだろう」っていうことで、入学する決心がつきました。

初めてできた学科で、先生たちも教え方がわからなかったせいもあり、授業のレベルは最初からとても高かったです。だから生徒もついていくので必死で、それでもなんとか食らいついて、楽しく大学生活を送りました。


卒業すると「戦わなければならない相手」が一気に増えた


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あっという間の4年間。しかし大学を卒業したとき、あることに気づいたのだそうです。


大学を卒業してみて実感したんですけど、学生のうちは、ライバルも学生なんですよ。「同じくらいのレベルのなかで、どのくらいなのか」っていう、負けたくないみたいな気持ちが根っこにあったわけです。でも卒業したら、なんの後ろ盾もないじゃないですか。ベテランの人たちとも同じ土俵に立たなくちゃいけないということで、それに気づいたときはハッとしましたね。「そうか、戦わなきゃいけない相手が一気に増えたんだな」って。


伊藤さんは、大学卒業時に就職活動をまったくしなかったのだそうです。なぜなら、2006年から構想を練り続け、2013年の初夏にシナリオを完成させた『ユートピア』という作品を完成させなければならないという使命感があったから。

モチーフは、グリム童話の『ハーメルンの笛吹き男』。架空の国を舞台とした、CGやアニメーションも交えた大作です。「自分の能力以上のことをやっているな」という感覚があったため、結果的にかなりの時間を費やさなければならなくなったのだとか。


決して、就職に興味がなかったわけではないんです。でも、「なにをやってるんだろう?」「なにに飲み込まれようとしてるんだろう?」っていう気持ちが否めなくて...。そして最大の理由は、1年生のときから考えていた『ユートピア』という作品が心のなかに大きくあったことです。『ユートピア』が完成しない限り、僕の人生は次へ進まないなと思っていたんです。完成前に就職してしまったら、もう撮れなくなってしまいますし。

だから最終的には、就職課に一度も行かないまま卒業してしまった。あのとき就職していれば、また別の人生があったでしょうけれど、『ユートピア』がある以上は就職するという選択肢はありえなかったということです。


「自分の場所」がない。その思いが永遠のテーマにつながった


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最新作『ユートピア』のワンシーン


ところで冒頭でも触れたとおり、伊藤さんにとっては幼少時から各地を転々とした経験が大きな意味を持っているといいます。それは『ユートピア』のテーマでもあるのだとか。


小金井から中標津に移って、そこからもまたいろんな土地に移動してきたので、「土地への愛」というものが僕にはないんです。自分にとっての地元が、はたしてどこなのかもわからない。

生まれてからずっと一緒に育った幼なじみもいないですし、自分の居場所はどこなのかわからない。どこの土地が僕の場所なのか、それがわからないまま生きているんです。だから土地への愛に飢えていて、行ったことのない土地や故郷に対する憧れのようなものがずっとある。それは『ユートピア』以降も、僕にとっての永遠のテーマになる気がしています。

それから、いま、つくりたい作品の構想が10個くらいあって、そのなかには次にやれそうなものもいくつかあるんです。その1つずつの規模を、これからしっかりと大きくしていきたいと思っています。そういう気持ちがあるから、いま『ユートピア』に情熱を注げることができるというか。

『ユートピア』には7年を費やしたので、完成したら抜け殻になっちゃうんじゃないかという不安があったんですが、撮り終えてみたら「早く次に進みたい」という意欲がどんどん湧いてきているんです。


『ユートピア』を経て伊藤さんの創作意欲はより燃えているようですが、しかし映画だけに限定するつもりはない、という思いもあるようです。


でも、発表の仕方はいろいろあると思うのですが、将来的には漫画を描きたい気持ちもあるんです。そこが悪いところなのかもしれないですけど、「本当に道は1本しかないのかどうか?」っていう、それは全然わからないですよね。いまは目の前に映画があるから映画に取り組んでいますし、次も映画をやりたいと思っている。でも、漫画も描きたいので、その時々でやれることを、やりたいことをやれたらいいなって思っているんです。


伊藤さんの場合、映画に加えて、小さな頃から親しんでいる漫画や、友人たちと続けている音楽活動など、他のさまざまな表現に対しても意欲を持っている。それらひとつひとつが複雑に絡み合い、オリジナリティ豊かな作品へと昇華されていくのでしょう。

10個くらいあるという構想すべてを実現できたとしても、そのころにはまた次の構想がたくさん生まれているはず。クリエイターとはきっと、そうやって前に進み続けるものだからです。

下記のサイト『キミハツ』内にある動画では、伊藤さんのあらゆる表現に関する思いを知ることができます。ぜひ、あわせてご覧ください。


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埼玉県 伊藤峻太さん ムービー編 ①|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬

(印南敦史)

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