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印南敦史  - ,,,,,,  11:00 AM

良いところを伸ばしあえる関係ならうまくいく:北海道・十勝に新風を吹き込む若き経営者の転機

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良いところを伸ばしあえる関係ならうまくいく:北海道・十勝に新風を吹き込む若き経営者の転機

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あたらしい場所であたらしい仕事をするとき、なにを基準に行動すればいいのでしょうか。イノベーションを起こすためには、どんなスキルや経験が必要なのでしょうか。それらを知りたいのなら、試行錯誤しながら行動する人に聞いてみるのが一番です

数々のクリエイター、ビジネスリーダーたちの働き方を紹介する米Lifehackerの人気連載「HOW I WORK」も好評ですが、同じようにぼくたち日本版では、自分らしい生き方・働き方を実践している人たちに会いに行こうと思いました。

第7回の取材相手は、北海道帯広市で、十勝地方の活性化を推進し続ける梶原一生(かじわらいっしょう)さんです。現在30歳。15歳から単身でニュージーランドに渡り、9年におよぶ留学生活ののち24歳で帰国。ご実家が経営する農産物商社「丸勝」傘下で「十勝ヒルズ」という"農と食のテーマパーク"の運営に携わっています。地元の人脈へも積極的に働きかけ、深いコネクションを形成しているのだとか。以下のサイトからも、そんな梶原さん流の地域活性化におけるヒントが見えてくるはずです。


北海道 梶原一生さん ムービー編 ①|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬


海外での生活が長かっただけに、帯広に戻ってからはさまざまな大変なことがあった様子。しかし「子どものころから変わっていない」という負けん気の強さが、結果的にはプラスに作用しているようです。



15歳で単身ニュージーランドへ


子どものころからアウトドアが大好きだったという梶原さん。石器時代に興味を持っていた小学生時代には、「どこでも歩けるようになるために」学校の行き帰りを裸足で歩いて足の裏を鍛えたり、友だちと一緒に河原で自給生活をしてみたりするような少年だったといいます。

そんなエピソード通り、当時からやんちゃなリーダータイプでした。学級委員にもたびたび選ばれ、生徒会活動なども積極的に行ってきたそうです。そして、中学卒業後に15歳で単身ニュージーランドへ渡ることを決意します。根底にあったのは「いろんなものを見たい」という好奇心だったといいます。住む場所は自分で探し、学校も自分で選び、生きていけるギリギリのお金以外は親からも受け取らず、アルバイトで稼ぎながら現地の英語学校、高校、専門学校、大学で学ぶという厳しい道を歩んでいきました。

最も多感な10代をそうして過ごしたことの意味は大きく、さまざまな人生勉強ができたおかげで「心が折れない自分」を形成できたといいます。ただ、ニュージーランド生活も9年目をすぎ、ある葛藤の狭間にいたのも事実。頭のなかで錯綜していたのは、「そろそろ帰るべきなのではないか?」という思いと、「ニュージーランドのライフスタイルが染み込んだいま、帰ったところで日本の生活習慣に馴染めるのか?」という不安でした。

しかしそんなころ、大きな転機が訪れることになります。


契機になった母の死、そして弟達の言葉


その転機とはお母様の死でした。親族の死という圧倒的な現実が梶原さんの方向性を変えました。「日本へ帰って家業に就く」という考え方に定まったわけです。また同じころ、大きな衝撃となったのは、3人の弟妹たちの口から出てきた言葉でした。

「俺たちは兄貴をライバル、あるいは目標として生きてきたんだから『誰かが(実家の)跡を継いでくれるだろう』なんていう気持ちだと困る。そんなんじゃ、兄貴として失格だぜ」

弟たちにそこまで言わせたなら、なおさらやるしかない。そんな思いも、気持ちを後押ししたのです。


「君の話を聞く気はないから」


帰国と同時に実家が経営する「丸勝」に入社。丸勝は60年にわたって営業を続けてきた農産物商社ですが、時代に即した新たな付加価値を身につけるため、観光事業に乗り出そうということになったのです。たしかに、水がおいしく景色もよく、自然に囲まれた十勝は観光に適した場所でした。

そんなとき、もともとは観光庭園だった施設が、ちょうどいいタイミングで売りに出されます。この施設を2008年8月に取得し、翌年のゴールデンウィークから「十勝ヒルズ」として再スタートさせることになったのです。

とはいっても、それまで「まったく手入れされていなかった」という庭園はジャングル同然。人を呼べる状態に戻すには、多くの時間と労力が必要でした。また梶原さん自身も、帰国後は「なにをどうしたらいいのかわからなかった」状態。「いきなり入ってきた」若造に対しては当時の社員も冷たく、声をかけても「君の話を聞く気はないから、言いたいことがあるなら社長を通してくれ」などと言われる始末。


コミュニケーションは信頼からしか生まれない


しかも社長であるお父様は、だからといって手を差し伸べてくれるような人ではありませんでした。ご自身が若くして苦労した経験を持っていたこともあり、「自分の力で乗り越えられないなら、会社を任せることはできない」と意図的に突き放されたのです。

受け継いだのは、「社員とのコミュニケーションは信頼からしか生まれない」という言葉のみ。しかし、それが大きなヒントになったといいます。以後はスタッフと一緒に泥にまみれて作業をし、食事に誘って話をし、プライベートでも時間をともにし......と、「自分にできることは誰よりもやろう」という思いを忘れることなく、一歩一歩地道に努力を続けていったわけです。

いい例が、庭園での作業。知識もなかったぶん、それを補うために「穴を掘るなら誰よりも速く掘ってやろう」「木の剪定(せんてい)をするんだったら、誰よりも長い時間やってやろう」と、どろんこになりながら誰よりもがんばり、誰よりも遅くまで仕事したということです。

ちなみにそんな状態を1年続けたそうですが、苦労はしたものの、つらいとは感じなかったとか。なぜなら、「誰よりも多くのことを自分自身が学ぶのは当然だ」と感じていたからです。


連携していくことで「点」が「面」になり売上アップ


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十勝ヒルズの入り口では、看板犬の「ホップ」がお出迎え


そんな経緯を経てスタートした十勝ヒルズのコンセプトは「農と食のテーマパーク」。庭園や農地をとことん整備し、従来の施設からのリブランディングを推し進め、コンセプトに共感してくれるスタッフやシェフを集めるなど、およそ2年の歳月をかけて立て直しをはかっていきました。そしてその直後、梶原さんに2度目の大きな転機が訪れることになります。


十勝ヒルズをスタートさせて2年目に、旭川、富良野、十勝をつなぐ「北海道ガーデン街道」という協議会が立ち上がりました。それまでは地域ごとの行政で固まっていたので、なかなか横のつながりがなくて連携できていなかった。それどころか、周辺のガーデンはお互いに観光客のパイを奪い合うような関係だけだったんです。しかし、それを全部まとめてひとつの観光ルートを作ろうということになったとき、初めて他のガーデンの方たちと連携できるようになったわけです。


点在していたガーデンにそれぞれ観光客を呼ぶのではなく、ルートを引くことで「地元全体を盛り上げていこう」ということです。この取り組みの中で梶原さんも、さまざまなアドバイスを受けたり、多くの人を紹介してもらったのだそうです。


本当に勉強になって、「自分たちのことだけじゃなく、地域をよくしていかなければ」という思いがどんどん大きくなっていきました。身についたのは、ひとつひとつの「点」が増えていけば、やがて「面」になり、さらに広がっていくという感覚。それが独自のノウハウや考え方として、自分のなかに根づいていった気がします。


社員一丸となって力を合わせ、コンセプトを忠実に守りながら努力を続けた結果、売上は大幅にアップ。十勝ヒルズを購入した2008年に5000人しかいなかった集客数は、現在5万人にまで増加。しかも十勝ヒルズだけでなく、北海道ガーデン街道に所属する他の施設も、平均120%程度の割合で売上が伸びていったのだといいます。


理想的なライバルとの出会いが二度目の転機に


ちなみに、北海道ガーデン街道の代表メンバーで、いちばん若かったのが梶原さんでした。


ガーデン街道がうまくいったのは、みんなの年齢が近かったせいもあると思います。僕は25歳で参加したんですが、次に若い人が26歳で、平均年齢34~35歳でしたから。しかも偶然ですが、メンバー全員に留学経験があった。だからおなじ感覚を共有できたんですね。そればかりか僕ともう1人を除いて、全員が社長のポジションにいた。ですから経営者的な観点から、いろんなアドバイスをいただくこともできたんです。

日本とニュージランドの空気の差みたいのを感じて、自分の生き方を考えていた時期もあった。でも、彼らと出会って一緒に行動をして、そこで成果が出て励まされたことで「自分は自分らしくいていいんだな」と気づけたのも、そのときだったと思います。


そして、そんな中でも特に影響された人物がいたのだとか。その方との出会いは結果的に、人生における二度目の転機になります。


「千年の森」というガーデンの社長で、ガーデン街道の団体を作った林克彦さんという方です。いまも一緒に出張や視察に行くことが多いんですが、すごく大きな刺激を受けている。38歳と年齢は少し離れていますが、負けたくないという思いを持っていますし、よきライバルだと思っています。もちろん僕の理想とする経営者は父親なんですけれど、近い年代のなかでは一番の理想。そして一番早く越えたい相手ですね。そういう人に出会えたことは、僕の人生で大きな意味があると思っています。


人に恵まれ、欲しい情報が集まってくる心がけ


よきライバルとの出会いも含め、梶原さんのお話から感じるのは「人に恵まれている」ということ。まるで磁石のように、梶原さんのまわりには人が集まってくるのです。人付き合いに関して心がけていることがあるとすれば、それはぜひお聞きしたいところです。


根本にあるのは、先代の社長の遺言です。「誰にでもマイナスな面はあるけれども、人と何かをやるのであれば、その人のいいところを見なさい」「良いところを伸ばしあえる関係であれば、絶対にうまくいく」ということ。それを僕はしっかりと守っているつもりなんです。

事実、十勝で新しいことをする際にも、「相手のプラスの面を見ながら、自分のプラスの面を伸ばしていきたい」と思いながら進めると、本当に素晴らしい人間関係になるんですよね。そして、そんなひとりと仲よくなったら、そこからどんどんいろんな人が集まってきてくれる。欲しかった情報も自然と入ってきて、欲しかった人材のチームワークができて、すべてがうまくいくんです。


横のつながりを大切にしたい


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取材当日、農園は土作りの真っ最中。十勝ヒルズは新しい季節をこれから迎える


その話しぶりからは30歳とは思えないほど、しっかりとした考えの持ち主です。すでにリーダーとしての風格も身についているように見えます。そこで、リーダーシップについての考え方を聞いてみました。


リーダーシップについてはいろいろな考え方があると思いますが、僕の場合は、まずトップダウンは一切やりたくないんです。それよりも、横のつながりを大切にしたいですし、そういう意味で追い求めるべき理想は、父親が推し進めてきた家族経営の方法論です。

つまり、社員のみなさんが「この会社にいてよかった」と思えるような会社づくり、それは絶対に崩したくない。ですから、いまだに社員旅行には必ず行っているんですよ。道内を旅行することもあるし、利益が出たなら本州や、あるいは海外に行くこともあります。その他、みんなで焼き肉をすることもあります。とにかく、社員を家族のような存在として考えたいんです。


失敗はどんどんすればいい、それが人生につながる


信念をもってリーダーシップを発揮しつつ、自分自身の立ち居振る舞いについても、意識すべきことはたくさんあるとお考えだそう。中でも印象的だったのは梶原さんの「失敗を対する姿勢」です。


以前から変わらないことではありますが、いろんなものを見るということ。そして、許される範囲であれば、新しいことにはどんどんチャレンジしてみるべきだと僕は思いますね。過去にも山ほど失敗していますけれど、そんな経験があるからこそ現在の自分でいられるわけですし。


現在の梶原さんが、もしも過去の自分に対して「こうやって生きてごらん」というようなアドバイスをするとしたら、どんな言葉を投げかけたいでしょうか?


うーん......正直なところ、あまり生き方を変えたいなと思ったことはないので、言いたいことは特にないかもしれません。武器になっているのは「誰もしたことがない経験をした」ということだと思いますし。

たとえば「いろんなものを見たい」という思いをベースにしたニュージーランド留学が、まさにそれにあたると思うんです。ただ、もちろんその時々でも、失敗だってたくさんあったわけですよ。「いろんなところに住んでみよう」と思って貧民街に部屋を借りてみた結果、泥棒に入られてしまったりとか。でも、そういう失敗も含め、すべてがいまの自分につながっていると思っているんです。ですから、いままさに失敗しそうな過去の自分に声をかけるとしても、言いたいのは「失敗しそうだから気をつけろよ」ではなく、シンプルに「がんばれよ」ですね。失敗すればいいんだから(笑)。


十勝にしかないものを、ブランド化して発信していく


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「丸勝」が得意とする食品加工で、十勝の食材を発信する


いくつもの苦労を乗り越えてきた梶原さん。まだまだやりたいことはたくさんありそうですが、最後に、これからやってみたいことについてお聞きしました。


特産物など、十勝にしかないものをどんどん表に出していくこと、それに尽きますね。とはいえ、ただ出すだけでは意味がないと思うので、やるからにはきちんと十勝というブランドを確立させたい。そしてそんなとき、自分自身の海外経験がものを言う気がしているんです。海外で得たものと地元のノウハウとをくっつけて、新しい価値観を作り上げたいというわけですね。

そして近々の目標は、いま進めている2つのプロジェクトを成功させることです。まずは、昨年発足した「フードバレー・シェフの会」を浸透させること。これは十勝の洋食文化の向上を図ることによって「フードバレーとかち構想」に貢献することを目的としたもの。僕は事務総長を務めているんですが、あと2年くらいの間に、ハンガリー料理をベースとした「十勝洋食」を定着させたいと考えているんです。

もうひとつは、十勝産の食材を海外に送り出すこと。野菜や生ものは輸出が難しいものが多いので、ちゃんと加工して付加価値をつけたものを世界に発信したいんです。


梶原さんには2つの姿が見えます。個人として、尊敬する父親を越えようと燃える姿。企業として、十勝から新風を起こすべく奮闘する姿です。多くの失敗から身につけたタフさを感じさせる堂々とした振る舞い、そしてはっきりした物言い。「自分の芯」を明確に持っている方だという印象がありました。それは間違いなく、今後の仕事にもよい影響を与えていくことでしょう。

下記のサイト『キミハツ』内にある動画では、梶原さんが進めようとしている活動やその思いを知ることができます。ぜひ、あわせてご覧ください。


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北海道 梶原一生さん ムービー編 ①|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬

(印南敦史)

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