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印南敦史  - ,,,,,,,  11:00 AM

ひたむきな行動力と発見力で事業を編む:秋田で「舞妓」を復活させた、若き女性起業家の転機

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ひたむきな行動力と発見力で事業を編む:秋田で「舞妓」を復活させた、若き女性起業家の転機

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あたらしい場所であたらしい仕事をするとき、なにを基準に行動すればいいのでしょうか。イノベーションを起こすためには、どんなスキルや経験が必要なのでしょうか。それらを知りたいのなら、試行錯誤しながら行動する人に聞いてみるのが一番です

数々のクリエイター、ビジネスリーダーたちの働き方を紹介する米Lifehackerの人気連載「HOW I WORK」も好評ですが、同じようにぼくたち日本版では、自分らしい生き方・働き方を実践している人たちに会いに行こうと思いました。

第6回目の取材相手は、生まれ故郷である秋田を、独自のアイデアで活性化させようとしている水野千夏さん。水野さんは1988年生まれ、現在25歳です。大学卒業後、OL生活を経て地元に戻り、歓楽街の川反(かわばた)にかつて存在していた川反芸者を「あきた舞妓」として復活させることを決意。現在も、さまざまな取り組みを推進しています。以下のサイトからも、水野さんの熱い思い、そして男勝りともいえる行動力を感じることができるはずです。


秋田県 水野千夏さん ムービー編 ①|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬


就職のために一度は秋田を離れ、生活の拠点を東京に移した水野さん。その経験が、かえって地元への思いを募らせたといいます。そこから導き出された決断は、人生の方向性を大きく変えることにもなりました。



子ども時代は、ごくごく普通の女の子


水野さんは、秋田県南に位置する大曲の生まれ。幼少時に秋田市に移り、高校生までを市内で過ごしました。お父さんとキャッチボールをするなど活発な側面を持ちつつも、基本的には「甘えんぼ(本人談)」。しかし小学生のころから中学生時代にかけては、バレーボールの厳しい練習を耐え抜き、強さや礼儀など人としての基本を学んだのだそうです。

横浜で暮らしていた大学生時代は、ときに授業をサボってみたり、バイトをしたり、友だちとお酒を飲んだりと、ごくごく普通の大学生の生活をしていたのだとか。「あのころもう少し真剣に勉強していれば、もっといろんな知識を身につけることができたかもしれない」という思いを否定できないと言いますが、それは大学を卒業した人の大半が感じることでもあるでしょう。


10年後の自分が想像できなかった


大学卒業後も「やりたいことが見つからない状態」のまま、東京で就職。「自分が好きなブランドだったから」という理由から化粧品会社を選び、渋谷の店舗で接客の仕事をしていたそうです。

接客が好きで、人と話す楽しさも実感できたため、多少のストレスがあったとはいえ順調な毎日。とはいえ、働きはじめた年の秋ごろに、考え方を変える必要性を実感させられるような出来事が。あるきっかけで将来の姿を想像してみたとき、10年後の自分がその会社にいることをイメージできなかったというのです。あとから振り返れば、それが大きな契機だったといいます。


目標は、1000枚の名刺交換


自分の将来を見つめなおすため、化粧品会社を1年で辞めて帰郷。その時点でおぼろげながら起業することを意識していたそうで、秋田のPR会社に営業職として就いたのも、「秋田で起業するために、秋田のことを知りたい」という気持ちがあったから。自分の顔と名前をなんとかして地元の人たちに知ってもらおうと、1000枚の名刺を交換することを目標に掲げ、県内の食品メーカーから生産者、宿泊施設などを中心に歩きまわったのだといいます。しかも、社長クラスの方々と会うことを意識していたという行動力には驚きます。

そのかいあって、わずか1年半の間に目標を達成。そんな中で、「秋田には自分が知らなかったおいしい食べものや、素晴らしいサービスがある」と知りますが、それらがあまり認知されていなかったことを不思議に思ったそう。さまざまな人に理由を聞いてみたところ、誰もが口にしたのは「人がいないんだから、売れるわけがないよ」という答え。

そこで水野さんが考えたのは、「だったら、秋田に人を呼ぶ仕組みを自分がつくればいい」ということでした。


消滅した川反芸者を「あきた舞妓」として復活させるために起業


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人を呼ぶ仕組みをつくるために必要なのは、秋田の歴史を深く掘り下げること。そう考えた水野さんは、仕事の合間をぬって図書館に通い、さまざまな資料を調べたといいます。そしてその結果、いまでは活気を失っている川反地区の歓楽街が、かつては肩がぶつかりあうほど多くの人であふれていたという事実に出合います。その中心で活躍していたのが「川反芸者」でした。初めて聞く名称でしたが、水野さんは活性化事業としての大きな可能性をそこに見つけます。

水野さんは、自ら舞妓となるべく、地元の老舗料亭である濱乃家の竹島社長に相談へ行きました。理由は、まずは自分が舞妓としてお客様の席に入ることが、事業を進めるために必要なことだと考えたから。ところが、その時に水野さんは24歳。「舞妓になるには年を取りすぎている」と、竹島社長から一蹴されてしまいます。「では、どうしたらいいのですか?」と聞くと、「舞妓を雇えばいい。そして、やるなら大きくやりなさい」という返事。そのときから、水野さんの頭の中で「舞妓事業」が具体化しはじめました。

2カ月後、竹島社長から「まだやる気があるなら、経営は手伝わないが人は紹介する」と連絡があり、商工会議所内の秋田経済会の方を紹介してもらいます。そこから水野さんは本格的に事業計画書をつくり、「秋田に舞妓文化を残す必要がある」と各方面に協力を要請。また勉強のため、山形、新潟、博多など県外の芸者組織を訪れました。

2014年4月14日、川反芸者を「あきた舞妓」として復活させるための事業会社「せん」を設立。記者会見を行って、若き経営者としてのスタートラインに立ったのです。


最低でも、1日にひとつは新しいことを学びたい


現在は、舞妓事業を具体的に始動するために、さまざまな準備をしている期間。でも、まだまだ学ばなければならないことがたくさんあるといいます。


舞妓事業のことは、これからももっと自分で勉強していかなければなりません。ですから、最低でも1日にひとつは新しいことを学べるように、本や資料を調べたり、いろんな情報を収集したりすることを絶対に怠らないようにしようと思っています。


水野さんは、先ごろ結婚されたばかり。プライベートもありますから、ただでさえ忙しいはずです。時間の管理も、なかなか難しそう。


大切なのは、メリハリをつけることですね。仕事に集中するときはちゃんと集中して、休むときは休む。それは意識しています。実際のところ、家庭と仕事との両立は本当に大変。たまに「もしも結婚していなかったら、こうやって家事をしなくてもいいのにな、仕事に集中できるのにな」って思ってしまうこともあるんです。仕事がすごく楽しいので...。

でも、そういうことを思い浮かべるときって、自分の時間の使い方がおかしくなっているときなんですよ。たとえば、だらけて仕事がたまってきてしまったとか。ですから、そこはちゃんとメリハリをつけてクリアしていこうと思っています。せっかく結婚したのに、そういうことが原因で幸せだと思えなくなってしまったとしたら、それは本末転倒ですからね。


あえて、同じフィールドにいるようには見せない


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経営者とはいっても、まだまだ「会社の社長です」と公言することすら恥ずかしく、「舞妓事業の代表です」と言うのが精一杯なのだとか。でも、若い舞妓見習生と接することが多いだけに、心がけていることはあるそうです。


なるべく、同じフィールドにいるようには見せないようには意識しています。「私はこういうことを考えている。だから、もしも共感してくれたらぜひ一緒に働いてほしい」というように。ちょっときつい言い方になっているかもしれないんですけど、それは大切なことだと思うんです。舞妓見習生さんたちと年齢が近いから、意識的に緊張感を持たせることは必要。たとえば面接するときは、あえて一切笑わないとか。もちろん年上の方に対しても、態度でちゃんと示すようにしています。


25歳という年齢のわりに、ずいぶんしっかりとした考え方です。そう考えられるのは、前職の経験が活きているのだそう。


この事業を始める前に勤めていたPR会社では、営業が社長と私しかいなかったので、いつも社長にべったりくっついて行ったんです。そんな中で、日常的にいろんなことを学んだというか。社長の隣で、実際に自分の目で見させてもらったことが大きかったと思います。


すべてを「自分でちゃんとやろう」と意識する


では、会社員として雇われていたころと、経営者である現在との差があるとすれば、それはなんなのでしょう?


やっぱり雇われてたときって、嫌なことから逃げていた部分があったと思うんです。面倒くさいことを、人に任せてしまったりもしていましたし。でも、経営者になったいまは、すべてを自分でちゃんとやろうと意識しています。実際、責任が自分にドンとのしかかっていることがわかりますし、そこからは逃げられませんから。

でも、プレッシャーに押しつぶされそうになることも、たまにあります。夜にふと、資金計画のことなどを考えたら動悸が激しくなってきて、「仕事しなきゃ!」って目が覚めてしまったり。最終的には「いま考えても仕方がないか」と開き直って寝ますけど(笑)。


大切なのは、話し方、言葉づかい、そして態度


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水野さんにお話を伺っていると、「人に好かれるタイプだな」と感じます。ご自身ではコミュニケーションについて、なにが一番重要だと考えているのでしょうか?


話し方です。舞妓さん見習いの子にも、「話の内容じゃなくて、話し方、言葉づかい、態度が大切」だって伝えているんです。特に女性は、それがなにより重要だと思っていますね。たとえば失礼な方がいたとしても、笑顔で「やめてください」と言うのと、真顔で怒ってしまうのとでは大きな違いがありますから。本当にお客さまは神様なので、その3つは大切だと思いますね。あとは、清潔感も。


ただ、歴史のある業界だけに、障害やしがらみのようなものも多そうです。


もちろん、なにかをやるとなるとしがらみもあるでしょうが、いまは若さで乗り越えています。もう少ししたら若さは使えなくなるので、いま思う存分、それを活用して(笑)。具体的にいえば、若さを盾に「そうだったんですか?」って、しがらみのようなものには気づかないふりをしています。すると業界の方は、「知らないのが当たり前だ」と理解してくださる。そして怒るわけでもなく、コソコソッとさりげなく「本当はこうなんだよ」っていう感じで教えてくださるんです(笑)。


「女性でも、仕事しながら子育てできるよ」という姿を見せたい


では、若さをバネにして進んでいった先にある将来、どんなことをしたいのでしょう。水野さんは、事業のことはもちろん、「働き方」についても思うところがあるようです。


やっぱり、秋田を大きく変えるような動きを実現させてみたいですね。それがなんなのかは、これからわかってくるのでしょうけれど。人間的には、下から慕われる人になりたいなと思います。口に出すのは恥ずかしいですけど、「ああいうふうに仕事ができるんだ」とか、「ああいうスタンスで仕事したい」って思ってもらえるようになりたいです。

それから、プライベートでは子どもが3人欲しいです。子どもができたら仕事が大変そうだと言われることもあるんですけど、自分の会社なので、抱っこひもで子どもを背負って仕事できると思ってますし。たとえば東京だと、起業しながらもちゃんと家庭を持って子どもを育ててる方もたくさんいるじゃないですか。でも秋田ではまだまだ、子どものせいにして仕事をしていないとか、仕事してるから子どもを産まないとか、子どもをなにかしらの理由にしている方がすごく目立つんですよね。私はそれは違うと思っているので、仕事をしてても子育てはできるし、家庭とも両立できるというお手本を示したいんです

そんなことも含め、自分よりさらに下の世代の人たちに「女性でも、仕事しながらできるよ」っていうことを見せられるようになりたい。女性として、きちんとした人生を歩んでいきたいなって思います。


清潔感のあるルックスからしっかりとした考え方まで、水野さんには人を惹きつけるさまざまな要素が揃っているように感じました。相手を魅了する爽やかな笑顔は、これからも多くの人の共感を生むことでしょう。とはいえ現在は準備期間なので、事業自体はまだまだこれから。プロジェクトが始動した時点でどんなことが起きるのか、将来的に秋田をどう変えていくのか、期待は高まるばかりです。

下記のサイト『キミハツ』内にある動画では、水野さんが働く姿や仕事に対する考え方などをさらに知ることができます。ぜひ、あわせてご覧ください。


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秋田県 水野千夏さん ムービー編 ①|キミハツ -未来をハツラツにできるか。-|オロナミンC|大塚製薬

(印南敦史)

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